●雷(カミナリ)と祟り(たたり)。

 

 

今日は何を書こうかと思っていると、

 

 

ここ千葉では激しいカミナリが鳴り初めました。

 

 

電灯の真下は危ないという事で、電気を消して考えていると、

 

 

そうだ、今日は雷について書いてみようと思った訳です。

 

 


ところで、皆さんは、子供から、

 

 

「なぜ、カミナリは鳴るの?」って聞かれた事はありませんか?

 

 

そんな時、こんな風に説明してあげて下さい。

 

 

 


まず、地面に雨が降ります。


すると、地面に水たまりが出来ますね。

 


そして、太陽が出ると、

水が空中に蒸発し始めます。

 

 

その湿った空気が上空で集まると、雲が出来ます。

 


上空は寒いので、雲の中の水滴は、段々と氷の粒になっていきます。

 

それからも、更に上空に上っていきます。

 


すると、段々と氷の粒は大きくなっていきます。

 

やがて、大きく成り過ぎると、重たくなって、今度は地面に落ちてきます

 

 


でも、上って来る氷の粒もあります。


つまり、上って来る氷の粒と、落ちて来る大きな氷の粒がぶるかる事があります。

 

ぶつかると、そこに静電気が発生します。

 


ある程度の静電気は、雲の中に貯められるのですが、

 


その静電気がいっぱいになると、雲の中に貯められなくなり、

 

その電気を地表に向かって発散します。これがカミナリです。

 

 

 

つまり、入道雲の下でカミナリが起きるのは、これが理由だったのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 


さて、元々、雷(カミナリ)がなぜカミナリと呼ばれているかと言うと、

 

 

昔は、神様が怒っていると信じられたので、「神鳴り」と言われました。

 

 

 


その後、雷はある人の怨霊のせいだと言われる様になります。

 

 

皆さんは、この時期、受験などで願掛けに天満宮にお参りにいかれると思いますが、

 

 

学問の神様と崇められている菅原道真をご存知でしょうか?

 

 

なぜ、彼が学問の神様とされているかと言うと、

 

 

彼が天才だったから、その彼にあやかろうとするからですね。

 

 

5歳で和歌をたしなみ、11歳では詩を作るなど、神童と呼ばれました。

 

 

やがて、学者としての頂点でもある文章博士になるばかりか、

 

 

弓矢では的に百発百中当てる腕前で、文武両道の天才でした。

 

 

彼の才能は政治の世界でも当時の宇多天皇に重宝され、

 

 

昇進に昇進を重ね、ついには右大臣にまでなります。

 

 

右大臣は当時の政界ではナンバー3の偉い地位です。

 

 

現在の政治で言えば、副総理の職と言ったところです。

 

 

 

 

ここまでが、菅原道真の「我が世の春」(最も良かった時期)でした。

 

 

 

 

 


しかし、どの世界にも人の出世や幸せをネタム人はいるものです。

 

 

特に政治の世界は、それが多いと言えましょう。

 

 

菅原道真が右大臣になった当時、

 

 

それよりも一つ偉い左大臣、今で言うと官房長官でしょうか。

 

 

に、藤原時平という有力貴族が就いていました。

 

藤原家は代々政治の世界で影響力を発揮していた貴族だったので、

 

 

ただの頭のいい男が良い地位に就いたのが気に入りません。

 

 

なんとか菅原道真を、政界から失脚させよとします。

 

 

やがて、菅原道真のウソの情報を天皇に流します。

 

 

今で言うフェイクニュースを広めた訳です。

 

 

どんなフェイクニュースかと言うと、

 

 

「菅原道真は、自分の義理の息子を天皇にしようと企てていますよ!!」

 

 

とウソの情報を当時の醍醐天皇にチクったのです。

 

 

 


これによって、菅原道真は無実の罪で、右大臣を辞めさせらただけではなく、

 

 

都から遠い九州の大宰府に飛ばされます。

 

 

この2年後、菅原道真は失意のまま病にかかって亡くなったのでした。

 

 

 


菅原道真はこの世からいなくなり、

 

 

藤原一族にとっては、「我が世の春」。

 

 

 

と、なるはずでした。

 

 

 


ところが、ここから菅原道真の崇り(たたり)が始まるのです。

 

 

 

 

まず、菅原道真の死後、都にカミナリが多く落ちる様になると、

 

 

都で疫病がはやり出し、貴族が多く死に始めます。

 

 

人々は、これは菅原道真さまのたたりだと噂する様になります。

 

 

そして、菅原道真を陥れた藤原時平も39歳の若さでこの世を去ります。

 

 

続いてウソの話に利用した皇太子の保明親王も21歳の若さで亡くなります。

 

 

次は菅原道真を左遷させた醍醐天皇ではないかと噂されます。

 

 

その噂に恐怖を抱いた醍醐天皇は、急いで既に亡くなった菅原道真を、

 

 

元の右大臣の位に戻し、菅原道真を大宰府に飛ばす命を書いた文書を燃やして、

 

 

左遷を無かったものにしようとします。

 

 

更に、菅原道真が埋葬された大宰府に怒りを鎮める為に、社殿を造る様に命じます。

 

 

これが後の大宰府天満宮です。

 

 

しかし、呪いは止まりません。

 

 

その後、次の皇太子である藤原時平の孫である慶頼王が5歳で死にます。

 

 

その後も皇族や藤原貴族の死が続き、

 

 

ついには、宮中に大きなカミナリ落ちたのです。

 

 

そのカミナリによって、醍醐天皇は健康を害し、そのまま亡くなったのでした。

 

 

 

 


その後、菅原道真の霊が現れ、都に住む女性に、

 

 

「都にいた頃に好んだ場所である右近の馬場に、

 

 ほこらを建てて、私が立ち寄ることができるようにせよ!。」と告げます。

 

 

しかし、女性にはお金が無く、ほこらを建てる事ができません。

 

 

すると、今度は7歳の子供に菅原道真の霊が取り憑き、

 

 

「右近の馬場に、早く社を建ててまつるように」と告げます。

 

 

そこでついてに北野の地に社殿を造り、菅原道真を天満天神として祀りました。

 

 

これが北野天満宮です。

 

 

日本各地に天満宮がありますが、天満宮とは菅原道真をまつっている神社の事です。

 

 

沢山の天満宮が作られるにつれ、菅原道真の呪いはおさまりました。

 

 

やがて、菅原道真の力は凄いという所と、

 

 

菅原道真は学問の天才だったという事がクローズアップされ、

 

 

しかも、菅原道真の命日が2月の25日だったのが、

 

 

学問の神様になった決定的な要因でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は、屈しくも、

 

国立大学の入学試験日と重なっているのです。

 


以後、学問の神様として、大学受験で参拝する人が絶えません。

 

END

 

 

 

 

 

参考:落雷の写真は雷写真コンテストより https://www.otowadenki.co.jp/contest_category/num16/