●医者のガン見落としで、末期ガンになる。
大阪に住む32代の女性からの電話相談。(というより愚痴でしたが)
彼女は二人目を妊娠していた5年前の4月、
お風呂に入っている時に、自分の右胸にシコリがあるのを見つけたと言う。
そこで翌日すぐに病院に行って先生に見てもらうと、
「乳腺炎だと思いますが、大丈夫でしょう。」という診断。
彼女は安心して帰宅したと言う。
ところが2ヶ月後、母乳に血が混じる様になったという。
これは何かおかしい。ともう一度、同じ医者の所に行く。
しかし、医者の診断は「様子を見ましょう。」だったという。
安心した彼女は、帰宅したのだが、
やはり、時々授乳時に出る血に不安を覚えて、再び相談に行く。
でもその医者は「大丈夫でしょう。様子を見ましょう。」という意見を変えなかった。
ある日、親にその事を話すと、
「直ぐに他の医者に診てもらいなさい。」と怒られたという。
そこで、別の病院で検査したした所、乳ガンだった。
すぐに右乳房を全摘。
現在、食事療法とホルモン療法をしながら子育てをしている。
一人の医者の誤診で、彼女は右乳房を失ってしまった。と嘆いた。
医者からは、他に転移していたもおかしく無かったと言われたという。
母がいなかったら、末期ガンになっていたと思います。
2013年、正月。
41歳になるある男が、最近不自由に感じる事があった。
それは、
トイレに行く回数が増えた様な気がする。
数えて見ると、1日に10回以上は必ず行っている。頻尿だ。
急におしっこに行く回数が増えるのに不安を覚えた彼は、
主治医の元に駆け込んだ。
すると、診断結果は膀胱炎だった。
出してもらった薬をちゃんと服用したが、頻尿はまったく改善されない。
再び病院を訪れた彼に、医者は、
「貴方、お酒をよく飲むでしょう、飲み過ぎが原因でしょ。」と言われ、
「お酒を飲むから薬が効かないんだよ。」と指摘された。
彼は断酒を決行した。
しかし、大好きな酒を10日間断っても、頻尿の回数がまったく減らない。
そして5ヶ月が経った時だった。
尿道に痛みが走ったのである。
すぐに再度病院に行き診察してもらうと、
「前立腺炎」と「前立腺誇大」だと診断された。
薬をもらって、とりあえず安心して帰宅する。
ところが、2013年の大みそかの晩だった。
トイレでおしっこをすると、
便器が真っ赤に染まったのだ。
さすがにビックリして主治医に電話すると、
知り合いの総合病院の泌尿器科を紹介されて、年末年始は休みなので、
翌年の2014年1月6日に受診した。
尿細胞診検査をおこなう。(尿中の細胞を鏡検し、悪性の細胞の有無を調べる検査)
先生からは、検査結果が出るまで漢方薬で様子を見ましょうと言われる。
しかし、いくら待っても先生からの検査結果の報告が来ない。
やがて検査から約1ヶ月後の2月2日。
再び大量の血尿が出て、慌てて泌尿器科のその先生の元を訪ねた。
すると、先生は前回行った検査結果を初めて見る感じで見ながら、
「よく調べたら、クラスVって数値が出てるね~。」と告げた。
尿細胞診検査で「クラスV」というのは、
「明らかに悪性腫瘍ですよ。という診断」つまりガン確定という結果だ。
この泌尿器科の医者は、検査結果が出ているのに、
それもガン確定という結果が出ているのに、それを見もせずに、
私が受診しに行った時、初めて見て驚いて宣告したのである。
結果は「膀胱がん」(ぼうこうがん)
つまり、1ヶ月もガン確定結果が出ているのに、それを見ずにほっといたのだ。
もし、私が受診に訪れなければ、手遅れになっていたに違いない。
彼はすぐに他の数人の医師に診断を仰いだ。
その結果、ステージ4の「浸潤性膀胱がん」という衝撃の真実を知る。
それも既にリンパ節に転移している末期がんである。
告げられた余命は1年以内。
結局彼は、主治医の誤診と怠慢な泌尿器科の先生のせいで、
余命宣告までになってしまったのである。しかも金を払って。
「もう死ぬんだ。無理だ。
病気には勝てやしない。」
毎晩泣いた。
ホントは妻の前でだけは泣きたく無かったんだけど、泣いた。
42歳(厄年真っただ中だった)
その後、北関東の病院に行くと、
医師からは、膀胱(ぼうこう)の全摘出は避けられないと言われ、
もう少し早ければ、膀胱を全摘せずに済んだものを残念とも言われたという。
しかし、人口膀胱の装着を試してみると、
これからの人生、こんなものを付けて生きるのは耐えられないと思った。
すると、妻が調べてきてくれて、
最先端の治療法で、人口膀胱ではなく、自分の小腸を利用する手術があるという。
彼は奇跡を信じて、今まで一番親身になって、
治療計画を立ててくれた東大病院の門をたたく事にした。
手術に向けて、まず抗がん剤治療をおこない、
2014年6月、ダビンチというロボット支援を使った手術を行った。
手術は13時間もかかる大掛かりなものとなり、出血量も多かったので、
術後のICUでは、相当な痛みが襲ってきたという。
手術は成功したが、余命宣告が無くなった訳では無かった。
そんな時、元マネージャーが一冊の本を持ってきてくれた。
「どんなガンでも自分で治せる!」川竹文夫
その本の第2章に出て来る、肺線がんの佐藤さん。
分かった時は、既にガンが進行していて、医者からは余命1年と宣告される。
「俺と同じだ!」
医者は佐藤さんに、「このままではガンが大き過ぎて、手術も出来ません。
抗がん剤で、小さくなれば手術出来るかもしれません。」と告げた。
そこで抗がん剤治療を始める。
すると、ガンが4分の一に縮小し、手術も成功した。
ところが、1年後に再発。
5年生存率も僅か3%と宣告され、佐藤さんの心はどん底に落ちた。
それからだった。
佐藤さんは自力で徹底的に生活習慣を見直して、免疫力を上げる事にした。
やったのは、
■食事療法
■ビワの葉療法
■散歩
■深呼吸
■大声で叫ぶ
それを読んで、彼は驚いたという。
なんと、俺がやっていた事ばかりではないか!
その後、佐藤さんは見事に完治。
生存率僅か3%と医者から宣告された末期がんを奇跡的に克服したのである。
彼は上の佐藤さんの方法に、もう1つある方法を加えた。
それは「笑い」である。
今までの人生、余り心から笑うという事が無かったかもしれない。
彼はブログに書いている。
「笑いってNK細胞を6倍にも増やすらしいから〜
がん細胞をやっつけるんだわ。」
彼は入院時に、親友に「何かいるものはないか?」と聞かれると、
「笑い」かな。と答えた。
すると親友のやっさんは、よりすぐりのお笑いDVDを持ってきてくれた。
すると奇跡が起きる。
その後の病理検査で、
転移があった骨盤から癌が消えていたのだ。
こうして余命1年以内と宣告された、元世界チャンピオン、
元ボクサーの竹原慎二さんは、奇跡的に生還したのである。
現在、笑顔を忘れず、芸能界に復帰して今も活躍している。
彼は言う。
私の3大療法は、
■食事
■運動
■そして、笑い。
です。
そして、なによりも妻の存在です。と。
奥さんと結婚したのは、1997年、一般人の女性だった。
当時、竹原慎二さんは世界ミドル級王者として、モテモテだった。
彼に言い寄って来る女性は沢山いたのである。
そして、その女性達は、世界チャンピオンのボクサーという彼に注目していた。
しかし、香織さんだけは違ったと言う。
ボクサーの彼にちやほやして近寄って来る女性とは真逆だった。
香織さんだけは、「早く辞めて」と竹原さんの体だけを心配していたという。
竹原さんは、この思いを知って、ああ、この子と結婚したいと思ったという。
「独りだったらあきらめていますよ、もういいやって。」
「こんなに愛されていたんだなと。女房には頭上がらないし、大事にしないと」
妻のお陰で、今の自分があると彼は締めくくった。
参考:竹原慎二さんのブログ
https://ameblo.jp/shinji-takehara/entry-12287130415.html
https://ameblo.jp/shinji-takehara/entry-12189570161.html
https://ameblo.jp/shinji-takehara/entry-12201689134.html
http://www.asagei.com/excerpt/87394
とりま芸能速報 https://torigei.com/tv/takehara-shinji/
あの人の現在 https://anohito-genzai.com/takehara-shinji-imagenzai

