●1年間の「さよなら」。
私の母は今でこそ立正佼成会ですが、昔はキリスト教徒(カトリック)でした。
その影響で、私も何回か教会について行った結果、
所沢の教会で行われていたボーイスカウトに入隊しました。
ボーイスカウトになるには、小学6年生以上でないとなれないのですが、
当時もうすぐ6年生でもあった私はカブスカウト(小学3年~小学5年)ではなく、
特別にボーイスカウトに入れてもらえる事になりました。
その陰には、教会で知り合った6年生の吉川君が、誘ってくれ、
ボーイスカウトの隊長に頼み込んでくれた事もあったからでした。
皆さんは、教会、特にカトリックでも大きな教会には、
信者の方の悩みを聞いてくれ、アドバイスを頂ける場所があるのをご存知でしょうか?
映画などで、信者の方が個室に入って神父さんに悩みを打ち明ける部屋です。
その場所は告解堂とか、ゆるしの秘蹟と呼ばれる、ざんげ室です。
そこで神父さんが無料で信者の方の悩みを聞いてくれる訳です。
今日は、私が当時印象に残っている神父さんのカウンセリングとも言える、
ある信者の方へ実際に語った言葉の一例を書いてみたいと思います。
私もたまに参考にさせて頂いている言葉です。
実は、ある信者とは、友達の吉川君その人の事です。
彼の母親は、肝臓ガンに始まった癌が全身にまわり余命1年が宣告されていたのです。
だから、学校から帰るとすぐに母親のお見舞いに行くという毎日でした。
ただ母親のたってのお願いから、ボーイスカウトだけはちゃんと続けて欲しいと言われて、
今も吉川君は頑張って続けていたのです。
そんな夏の日の事です。
吉川君のお母さんが宣告された1年が経とうとしていました。
お母さんの具合も、良くない日が目立つ様になっていましたが、
ボーイスカウトを休むと、お母さんが怒るので吉川君は毎日曜日参加していました。
ところが、夏休みを利用してボーイスカウトで、
二泊三日の富士登山が行なわれる事になったのです。
吉川君は、最近のお母さんの具合から行きたくないと言ったのだが、
こんな機会は滅多に無い事だとお母さんに諭され、なくなく参加したのでした。
私もその富士登山に参加して、小学生にして初めて富士山の山頂に登りました。
富士登山は、経験すれば分かりますが、5合目から8合目までは比較的簡単なのですが、
8合目から9合目までが地獄です。
8合目までは、山小屋が見えるたびに、ああ、7合目だ、ああ8合目だと、
杖(つえ)に合目達成の焼印スタンプを押してもらい達成感があるのですが、
(今で言うところの御朱印みたいなものでしょうか)
8合目を出発してからは、山小屋に到達しても、また8合目、また8合目、まだ8合目と、
永遠に8合目の山小屋なのです。
9合目に到達すると、そこからはアッという間なのですが、
リタイヤするほとんどの人は、8合目の無限ループでギブアップしてしまいます。
時間で言えば、普通の登山者なら、
5合目~6合目までが、50分。
6合目~7合目までが、70分。
7合目~8合目までが、80分。
そして、
8合目~9合目までが、130分です。
しかも、後半体力が無くなってきている時の130分なのです。苦しいですよ。
ちなみに、登山渋滞が起きるのもそんな8合目です。
もう8合目嫌だと、山小屋で動けなくなっていて山小屋が満杯激混み状態なのです。
9合目~山頂までが、40分と一番短いし、山頂が近いのが分かるのでアッと言う間です。
まぁ、これを読んでから行けば、ある程度覚悟して登れるので、
ああ、これが地獄の8合目かと冷静になって頑張れるかもしれませんね。
(もし、ご友人が富士山登るよ。と言ったら、忠告してあげて下さい。)
ちょっと話が脱線してしまいましたので、元に戻しますね。
そんな吉川君と頑張って登った富士山でしたが、
帰宅後、彼を待っていたのは、母親の死でした。
しかも、母親は彼が富士登山していた時に亡くなったので、
吉川君は、母親の死に目にも会えなかったのです。
彼の落胆ぶりは、はた目から見ていても激しくて、かける言葉も見つかりませんでした。
その後、葬式を終えた彼は、告解堂(ざんげ室)で神父さんに言ったそうです。
「ボクはとんだ親不孝をしてしまいました。
富士山の登っていたので、母の死に目にも会えませんでした。」
すると、神父様は、こう言ったといいます。
「そんな事は無いよ。
むしろ親孝行をしたと、私は思いますよ。
聞く所によると、お母さんは亡くなる前、
周りの看護婦さん達に、こう言ってたそうだよ。
息子がね。 私の息子がね。小学生で富士山の頂上に登るんですよ。
と、それはそれは嬉しそうに語ってたって。
君は、親孝行したんだよ。」
「でも神父様、
私はそのせいで、母にさよならも言えなかったのです。」
「それは違うな。
世の中には、心臓麻痺や交通事故や火事で一瞬の間に亡くなる人は多い。
でも、君のお母さんは違う。
君は1年間もさよならを言えたじゃないか。
だから、決して死に目に会えなかったとか、
さよならを言えなかったと思ってはいけないよ。」
吉川君は、神父様のその言葉を聞いて、
そうだ、この1年間、毎日の様にお見舞いに行っていて、
最後こそ会えてはいないけど、残りの363日は、
毎日さよならを言っているいる様な日々だった。
余命宣告はある意味、吉川君に与えられた
長いさよならを言わせてくれる日々だったのではないかと。
彼は自分を責める事を止め、神に感謝したそうです。
「母さん、ありがとう。
さよなら。」
END
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ボーイスカウトhttps://www.scout.or.jp/
初心者のための登山とキャンプ入門https://www.camp-outdoor.com/tozan/fujisan/course.shtml



