●公園に捨てられた箱の中に・・・。

 

 

 

公園の中に捨てれた箱の中と言えば、

 

 

子猫が相場でしょうか。

 

 


しかし、もし、それが猫じゃなかったら・・・・


貴方は、どうしますか?

 

 

 

 

 

 

 

1994年、イラク

 

 

ナンという町の近くにある公園に、

 

 

箱が1つ捨てられていました。

 

 


通りがかった女僧が、中を覗いてみると、

 

 

箱の中には、2人の男の兄弟の赤ちゃんが入っていたのです。

 

 

 


普通、赤ちゃんを見つけた人は、「まあ、可愛い」とか言う所ですが、

 

 

見つけた女僧は、ビックリしたといいます。

 

 

なぜなら、その赤ちゃん達には、手足が満足に無かったのです。

 

 

2人の兄弟の赤ちゃんは、2人共に先天性四肢障害もしくは、先天性四肢欠損症だったのです。

 

 

多分、双子の男の子を産んだお母さんは、

 

 

二人に手足が満足に無かったので、がっかりして育てる自信が無くて捨てたのでしょうか。

 

 


障害がある子供を産んで、育てる自信が無いからと公園に捨てるなんて。

 

 

なんという酷い母親だと思う人もいるでしょう。

 

 

 

しかし、当時この地方では、ある深刻な状況が地域を取り巻いていたのです。

 

 

 

 

実は赤ちゃんが捨てられていた場所は、3年前にあった湾岸戦争の戦場だった場所で、

 

 

激しい地上戦があった所でした。

 

 

1991年1月17日に始まった湾岸戦争は、わずか43日間、地上戦ではわずか100時間で、

 

 

一応の終結となったのですが、問題はその時に使われた恐ろしい兵器でした。

 

 

その恐ろしい兵器の名前は、劣化ウラン弾

 

 

アルジャジーラより


ウランとは、ウラニウム鉱石から取れるものですが、核分裂を起こす事から、

 

 

このウラニウムを原子力発電(原発)に使ったり、核兵器を作ったりするのに使う訳である。

 

 

ただ、ウラニウムの中には、核分裂を起こすウラン235は0.3%しか含まれていない。

 

 

そこでウラン235を取り出す為に濃縮作業が必要になる。

 

 

しかし、濃縮してもどうしても残った廃棄物にも多少ウラン235が残ってしまい、

 

 

その廃棄物からも多少の放射能が出る。

 

 

今までは、そられを放射能廃棄物として、捨てるのに苦労していた。金もかかった。

 

 

そこで、捨てるのに金がかかるなら、何かに使えないかと考えた訳である。

 

 

皆さんは、中学の時に、理科の教科書の一番後ろのページに、

 

 

下の様な元素記号表があったのを覚えているだろうか?

 

 

実は、この表、ただ適当に並んでいる訳では無い。

 

 

軽い順に並んでいるのだ。

 

 

一番左上の水素が、この世で一番軽い

 

 

そして、一番右下のローレンシウムが一番重いのである。

 

 

私達が吸っている酸素は、2段目の8番にとあるが、

 

 

風船の中に、7番以上の元素を入れれば、理論上は空に飛んでいくという事になる。

 

 

と言う訳で、風船の中に世の中で一番軽い水素を入れると、よく風船が飛ぶという訳だ。

 

 

表の中に赤○をした部分が、今回の話で出たウラン(U)である。

 

 

つまり、ウランはとても重いのだ。

 

 

そこで軍部は考えた。重いウランで砲弾を作ったら、戦車の固い鉄板を打ちぬけるのでは。

 

 

こうして出来上がったのが、劣化ウラン弾である。

 

 

当然、放射能廃棄物で出来ている兵器なので、放射能を発散する兵器なのだが、

 

 

軍部は、人体には影響しないレベルだと説明する。

 

 

確かに、天然ウランからウラン235を取り出した後の放射能廃棄物なので、

 

 

放射能レベルは、天然ウランと比較すると約60%と低い。

 

 

しかし、問題はそこでは無いのである。

 

 

問題は劣化ウランは燃えやすいという事なのだ。

 

 

そして、厄介なのは、劣化ウランが燃えると70%がとても細かい「エアロゾル」という

 

 

ミクロン以下の微粒子になって、これを人が吸い込むと、肺や肝臓に留まりやすく、

 

 

一旦体の中に留まると、半永久的に体外に排出されずに、そこから微弱な放射能が出続けるのである。

 

 

その量は年間13600ミリシーベルトとも言われていて、

 

 

日本人が自然界から受ける平均放射能が約1.5ミリシーベルトであり、

 

 

東日本大震災の時に福島の原発事故で非難の基準とされたのが年間20ミリシーベルトであるから、

 

 

その被ばく値は、死のレベルである。

 

 

そんなエアロゾルは、風に吹かれて、戦場から何十キロも離れた場所まで飛んでいき汚染する。

 

 

ちなみに、劣化ウランの半減期は45億年なので、汚染された土地は永遠に今も続いている。

 

 

現在、劣化ウラン弾が公式に使われたと認められているのは、

 

 

湾岸戦争、ボスニア紛争、コソボ紛争、イラク戦争、アフガニスタン戦争、対イスラム国の戦争である。

 

 

ちなみに、今回もしアメリカと北朝鮮が和平交渉なく戦争になっていたら、

 

 

ありえない程大量の劣化ウラン弾が、北朝鮮にぶち込まれる予定だったのである。

 

 

つまり、これから子供を産みたいという男女は、こういう地域に行かない方がいい。

 

 

なぜ男性もかと言うと、

 

 

湾岸戦争に参加した米軍兵士の間で、ガンになりやすいという人が多く現われ、

 

 

帰国後に出来た子供に異常が現れ始めたのである。

 

 

そこでアメリカの復員軍人局が調査に乗り出した。

 

 

すると、湾岸戦争後に奥さんが妊娠・出産した二百数十名の内、

 

 

なんと67%の赤ちゃんの耳が無かったり、目が見えなかったり、指がくっ付いていたり、

 

 

眼球が無い赤ちゃんが産まれたのである。(軍部は長い間、これを秘密にしていた)

 

 

南イラクでは子供の白血病が大流行し、異常出産が10倍に増え、遺伝子異常が3.5倍になり、

 

 

多くの若者が怖くて結婚しなくなったという。

 

 

 

 

 

 

余談が長くなってしまったので、話を元に戻します。

 

 


そんな土地で彼らを産んだお母さんは、二人を公園に捨てたのだった。

 

 

捨てれられた2人の兄弟を見つけた女僧は、すぐに孤児院に連れ帰ったという。

 

 

孤児院に収容されると、誰か引き取ってくれる裕福な人が現れるの待つのですが、

 

 

彼らを引き取ってくれるという家庭は現われませんでした。

 

 

なにしろ、手足が満足に無い子供を引き取って育てるという人などいなかったのです。

 

 

周りの子が、引き取られて行く中、

 

 

兄弟はお互いに励まし合いました。

 

 

少しだけ立てる弟は、兄の為に歌を歌って励ます事もあったといいます。

 

 

やがて、引き取り手も無いまま4年が過ぎました。

 

 

 


そんなある日、

 

 

孤児院に、一人のオーストラリア人の女性がみえました。

 

 

モイラ・ケリーという慈善団体Children First Foundationの人道的活動家の女性でした。

 

 

ケリーは、兄弟を見ると、オーストラリアで治療をさせたいと申し出ます。

 

 

弟のエマニュエルは、その時の事を、こう振り返ります。

 

 

彼女が孤児院のドアから入って来た時、天使が入って来たと思いました。

 

 

それほど、彼女は輝いて見えたのです。

 

 

しかし、手術は困難を要しました。

 

 

何度も手術しないといけなかったのです。

 

 

でも、ケリーは長い間、この兄弟と接している内に、段々と愛情が芽生えて来ました。

 

 

すると、二人を自分の子供として育てたいと思う様になりました。

 

 

そして、二人を養子にする事を決めたのです。

 

 

二人を学校に通わせると、通い始めたのが遅かったのに、とても熱心に学び始めたと言います。

 

 

そして、お兄さんのアーメドは水泳が得意なのが分かりました。

 

 

手足が無くても、お前は泳ぐのが好きなのね。

 

 

彼女は、好きなものはトコトンやらせました。

 

 

すると、アーメドはその才能をメキメキと頭角を現し始め、

 

 

なんと水泳を始めた2008年から僅か3年後には、

 

 

種目別で世界新記録を出したのです。

 

 

そして翌年の2012年には、パラリンピックのオーストラリア代表となったのでした。

 

 

手足が無くても、オリンピックに出れるし世界新記録も出せる。

 

 

これは多くの人に、勇気と感動を与えました。

 

 

 


そして、弟のエマニュエルは歌が好きだったので、

 

 

ケリーは、その方面を一緒になって手助けしました。

 

 

エマニュエルは、ボク達兄弟を助けてくれたママ(ケリー)に恩返しがしたいと、

 

 

一生懸命に頑張ったといいます。

 

 

そして、ある時、テレビ番組の「Xファクター」という番組に出演したのです。

 

 

その時の感動の映像が下です。

 

 

すると、合格しただけでなく、その番組を見て多くの人が感動したのです。

 

 

そして、次々とオファーが来る様になり、映画の主題歌を歌ったりと、

 

 

ハリウッドに進出するまでになったのでした。

 

 

「ママ、ありがとう。」

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=tK0WAgY8D0A

END

 

 

 

参考:恐怖の劣化ウラン兵器http://www.geocities.co.jp/wcitizen21/datugenpatu/rekkaurantowa.htm