●怖かったマレーシアの思い出。
私はアメリカ在学中、一度だけ友達の車を運転させてもらった事があった。
それは丁度雪だった日で、雪の中での運転はどんなものか体験したかったのだ。
しかし、思ったよりも雪道は大変だった。
なにしろ、ちょっとでも坂になっている路面があると、
車が自然に滑って落ちていくのである。
幸い、私が練習したのは、車が来ない道を選んでやったので、大事には至らなかったが、
現地の友人いわく、坂道ではブレーキはなるべくせずに、車を止めず、
ゆっくり常に車を動かせろとの事だった。
彼に交代すると、何事も無い様に簡単に運転する。
さすが雪がよく降る現地の人だと思った。
実は私が自動車免許を取ったのは、アメリカに留学する半年前だった。
つまり、私が高校3年だった時で、まだマレーシアに居る時に取ったのだ。
マレーシアで運転免許を取った私が言うのもなんだが、免許は日本で取った方が良い。
マレーシアで免許を取ると、安く取得できると聞いていたので、
私はアメリカに行く前に、車の免許を取っておこうと思った。
まずは、運転免許教習所だな。と思って電話帳をめくり、
それらしい運転教習所に電話した。
すると、もう翌日から習えるという。しかも送り迎えもしてくれるらしい。
さっそく申し込むと、先生が車で家にやって来た。
先生は現地のマレー人だった。
マレーシアでもタクシーは沢山走っているが、
運転手はマレー人かインド人が多かった。中国人の運転者は少ない印象だ。
私の家の運転手も現地のマレー人だった。 とにかく運転手は現地のマレー人が多い。
これには理由がある。
もし、日本で交通事故を起こしたら、まず警察が来て、その後裁判だろう。
しかし、ここマレーシアで交通事故を起こして、現地の人でも轢いたら大変だ。
警察が来る前に、怒った住民からなぶり殺しにされてしまうかもしれない。
私も父から、運転を習うのはいいが、もし万が一、人を轢いたら、
そこに止まらずに逃げろ。と言われていた。
つまり、まずはその場を逃げて、その足で警察に行けというのだ。
海外で車を運転する時は、そんな心得が必要な時がある様だ。 特に日本の戦地だった場所は。
そんなマレー人の先生が、私に運転を教えに家にやって来たのである。
先生は、オンボロ車でやって来た。
「なんだ、こんなオンボロ車で運転の練習をするのかぁ」と思っていると、
先生は、「では、さっそく練習に行きましょう。」とウチの車を指差した。
なんと、練習する車は、親父の車だと言うのだ。
親父に電話すると、仕方ないと思ったのか許してくれた。
オンボロ車よりも、事故に遭った時、ウチの車の方が頑丈だから安全だと父は言った。
当時ウチは、世界一頑丈な車で追突した時に安全だと言われていたボルボの次に、
丈夫だという車に乗っていたのだ。(メーカーは忘れたが、やや大きめで幅広の車だった)
今でも世界一安全な車メーカーはボルボらしい。
なにしろ崖から落ちても大丈夫だという頑丈さ。
下はバスと正面衝突したボルボ。 ボルボの形はまだ残っている。
それにしても、ウチの車を練習車にするとは、なんと賢いというか、ずる賢い。
ウチの車を使えば保険はいらないし、事故っても心配ない。それにガソリン代も節約できる。
まあいいか、オンボロ車を運転するよりも安全だし、この車を運転出来れば普段利用できる。
そう思って、私と先生は出発した。
教習所までは、先生が運転した。(当然だが。)
10分ほど運転すると、やや広い空き地に着いた。
「じゃあ、さっそく練習を始めよう、降りて、運転席に来なさい。」
「ちょっと待てよ、ここでやるのか?」と私。
「そうだよ。」と先生。
「えっ、教習所はどこ?」
「Here!(ここだよ。)」
なんと、教習所は、この空き地だというのだ。
もっと言えば、きっとこの空き地だって、お前の土地じゃねぇだろ。
しかし、言い合ってもラチがあかない。
と言うよりも、言い合える程、私の英語もうまく無かったので従う事にした。
1時間ほど、空き地をぐるぐる回ったり、加速したり、バックしたりした。
何も無い空き地を、ただ走る。
なんと味気の無い教習所だろう。ホコリがたって前が見えなくなる事も・・・・
そんな所で、約1時間やみくもに走り回った後だった。
先生が、「そろそろ路上に出て運転してみよう。」と言う。
「ちょっと待てや、仮免(かりめん)はどうした?」
「仮免?」
「そうや、路上を運転するなら仮免が必要だろう?」と私。
「仮免なんて、マレーシアには無い。」と先生。
「Really?(ホントに?) まじか!!」と私。
こうして、私は初めて車の運転席に座って1時間後には、街を運転し始めたのである。
怖いのなんのって、私は震えながらハンドルを握っていた。
対向車が来るたびに、恐怖だった。
ぶつけたらどうしよう。親父の車に傷つけたらどうしよう。
ただただ恐怖で震えながら運転していた。
先生は、「大丈夫、ボクがついているから。」と言うのだが、
しかし、私は心の中で思っていた。
「あんた、座ってるだけだよね。それにウチの車だから、
あんた、補助ブレーキ無いよね。
ボクがついてるから大丈夫なんて、ってよく言うよなぁ。」
よっぽど言いたかったが、補助ブレーキという単語が出てこない。不覚!
それでも30分位、街中を走ったかな。
それから、そんなに広く無い山道を走ったのだが、そこでミスった。
前から大きなトラックが来たのだ。
トラックは大きくてこっちのレーンにまではみ出して走っているの見て、
私は怖くてハンドルを切りそこねて、やぶの中に突っ込んだ。
大きな木に当たった訳では無かったので、車は前方の擦り傷だけですんだ。
しかし、教習所は1日で解約だ!!
これなら、ウチの運転手に教えてもらった方がよっぽどいいわ。
現在では、マレーシアにもちゃんとした良い教習所があるらしいが、当時は無かった。
その後、私は運転手に教わりながら、運転免許の試験を受ける事になった。
当時、私の親友でニュージーランドからの留学生だったグローリィと一緒に試験を受けに行った。
試験は、実技と筆記の2つだが、実技は問題無かった。
たぶんどんな下手くそでも実技は突破できるだろう。その位簡単なものだった。
今でもそう聞く。
問題は筆記テストだった。なにしろ、英語じゃなくマレー語のテストだ。
しかし、やぶれかぶれで選択した答えが、まぐれ当りしたのか一発合格した。
後から聞いた所によると、どうやら合格点数は現地人の為に低いらしい。
日本の筆記試験なら、100点満点中、90点以上取らないと不合格になるので、
筆記試験で何回も不合格になってしまう人がいるのだが、マレーシアは低かった様だ。
一緒に行ったグローリィは、どうだったのか聞くと、
実技試験の時に、失敗して、赤信号を突っ切ってしまったと言う。
そうか残念だったな。と言うと、彼も合格したと言う。
そんなバカな! 日本なら赤信号無視なら、一発不合格だ。
聞くと、面接官にその場でお金を渡して、無かった事にしてもらったという。
つまり、賄賂(ワイロ)だ。
そんな手があったのか。 てか、ダメだろう。それ。
ここまで読んだ方は、それはさすがにそれは作り話だろうと、思われるかもしれないが、
これが当時のマレーシアの現実であり、現在もワイロは続いていた。
2018年9月13日、つまり今から約1ヵ月前の事だ。
マレーシアの運輸省のローク大臣が、外国の免許をマレーシアの免許に書きかえる事を禁止した。
大臣いわく、今まで、
■正規の運転試験を受けずに、賄賂を払ってマレーシアの運転免許を取得した者が多すぎる。
■外国の免許をマレーシアの免許に書きかえる時に、賄賂を払って取得している。
そんな違法な運転免許が少なくとも1万4千件以上確認された。(その多くは中国人)
つまり、先月までマレーシアの運転免許はワイロでどうにでもなっていたと暴露したのだ。
この大臣の免許書き換え禁止発令によって、日本の商社マンたちが困っているという。
なにしろ、マレーシアで日本人が運転するとなると、2つ方法しかなくなる。
■1つは、国際免許を日本で取得して、それでマレーシアで運転する。
しかし、これには1つ問題がある。
実は国際運転免許証は、有効期限がたった1年なのだ。
しかも、更新する時は、日本に一旦帰国して初めから申請して発行手数料を払わないと貰えない。
■もしくは、マレーシアで運転免許を取り直すかである。
ただし、試験は原則マレー語だ。私は受かったが、今の合格点は上がっているかもしれない。
私にとっては懐かしい思い出だったが、賄賂が今まで続いていたとは、
なんとも笑えない先月のニュースだった。
その後、私は帰国すると、日本で運転免許を取り直したのは言うまでもない。
END
ボルボの画像:出典:https://twitter.com/policehour/status/772463204156997632
