●泥棒の店。

 

 

 

霊能者と云えども間違う時があります。

 

 

今日は、そんな「間違い」をテーマに書いてみました。

 

 

 


ある日、霊能者の所に、お母さんと小学生の息子さんがやって来と時があったそうです。

 

 

息子さんは学校で水泳クラブに入りたいとお母さんに頼み込んでいましたが、

 

 

息子さんは小さい頃心臓が悪かったので、お母さんとしては心配でした。

 

 

医者は大丈夫だろう。と言ってはくれてたものの、それでも絶対では無いと聞いていたので、

 

 

お母さんとしては、止めさせたかったのです。

 

 

それでも息子さんは、友達もしているし、自転車を買ってそれで通うので、

 

 

ママには送り迎えしなくてもいいから。迷惑かけないから。とお願いしていました。

 

 

 

そこで霊能者に、息子が水泳をしても本当に大丈夫か霊視して欲しかったのでした。

 

 

 

 


さっそく霊視が始まりました。

 

 

 


すると、彼女のお祖父さんの霊と、ひとりのお婆さんの霊が現れたのです。

 

 

そこで、霊能者の方が相談者のお母さんに聞きました。

 

 

「お婆さんの霊が来ていますが、心当たりはありますか?」

 

 

 


しかし、相談に来たお母さんは、首をひねって、

 

 

「いいえ、私の母も、夫のお義母さんも生きていますから。」と言う。

 

 

そこで、霊能者がもっと詳しい情報を得て、

 

 

「お婆さんの霊は、アンという名前だといいます。」と言いました。

 

 

しかし、お母さんは「アン」という名前を聞いても、まったく心当たりが無いと言いました。

 

 


更に、詳しい情報を、現れたお婆さんの霊から聞き出そうとする霊能者。

 

 

「アンという方は、自転車で怪我してから亡くなったそうです。

 

 だれか、ご先祖で自転車で怪我して亡くなった女性はいませんか?」と聞きました。

 

 


それでも、お母さんは、「自転車で亡くなった女性なんて、聞いた事無いです。」と答えた。

 

 


ここまでハッキリ否定されると、

 

 

霊能者の方も間違った人が現れてしまったんだと思ったそうです。

 

 

こういう事は、たまにあると霊能者は言います。

 

 

例えば、次の相談者の方の霊が、その前の相談者の時に現われたり、

 

 

翌日の相談者の母親の霊が、前日に現われて来て「よろしくお願いします。」言ってきたり。

 

 


だから、きっとこのお婆さんの霊・アンも、間違って現われたのだと思い、

 

 

霊能者はお母さんに謝って、アンの霊の事は無視して続ける事にしました。

 

 


そこで、アンと一緒に現われた奥さんのお祖父さんの霊と話をしました。

 

 

 

 

すると、お祖父さんの霊は、意外な事を言ったのです。

 

 

「孫には、水泳をやらせてあげなさい。

 

 問題無いから。


 でも、

 

 自転車は絶対ダメだ。」と。

 


なんと、問題は水泳では無く、自転車だと言うのです。

 

 

 


その後、お祖父さんの霊に、詳しく聞いてみると、

 

 

自転車を買うと、孫は必ず誰かを轢いてしまう事故を起こすと予言するのです。

 

 

だから、絶対孫が中学生になるまでは、自転車を買ってはならない。と強く言うのでした。

 

 


そして、アンというまったく関係の無い霊が現れた理由も分かったのです。

 

 

実は、アンと言うお婆さんの霊は、自転車に轢かれて亡くなった女性で、

 

 

こういう良い人も、自転車に轢かれて死んでしまったのだよ。と、

 

 

娘であるお母さんと孫に、教えたくて連れて来たというのです。

 

 


霊能者の方にとっても、犠牲者の霊を連れて来たなんて初めてだったそうです。

 

 

 

その後、息子が中学になるまでは自転車買わず、

 

 

お母さんが送り迎えをする事になったのは言うまでも無いでしょう。

 

 


ちなみに、小学生の自転車だからと軽く考えていけません。

 

 

日本では、自転車の事故は無いだろうと考えて余り心配しない方が多いのですが、

 

 

実は、事故がいざ起きると、自転車も車なみに怖いのです。

 

 

平成20年9月22日午後6時50分頃、

 

 

神戸市北区の住宅街で、当時小学5年生だった少年(15歳)が、

 

 

自転車を走らせていて、歩行者の女性(67)と衝突事故を起こしました。

 

 

その後、損害賠償で裁判となり、神戸地裁は、少年の母親(40)に、

 

 

約9500万円の高額の賠償を命じる判決を下したのです。

 

 

そのニュースを聞いた他の弁護士や専門家たちは、その高額賠償を聞いて、

 

 

「妥当な金額」だと評価したのでした。

 

 

自転車は車と違って、保険の加入義務が無いので、ほとんどの人が無保険で乗っています。

 

 

しかし、1つの子供の事故で、家も財産も無くなるかもしれませんよ。

 

 

私は自転車に乗らないし、子供もいませんが、

 

 

もし、子供がいて自転車をよく乗るようなら、

 

 

きっと必ず月々360円の自転車保険に入るでしょう。(約3億円まで補償)

 

 

 

 

 

 

 

最後に、

 

 

「間違い」で人生が救われた人がいます。

 

 

今日はそんな実話を紹介して終わりに致しましょう。

 

 

 

 

 

 

1949年、岐阜県の大垣市に1人の男の子(隆夫)が生れます。

 

 

しかし、子供の頃、隆夫はある事故で左目の視力を失ってしまいました。

 

 

それ以来、みんなと一緒に行動したり集まったりする事を避け始めます。

 

 

中学生になった時、何かを感じたのかもしれません。

 

 

母親にこう言いました。「俺は波乱万丈な生き方をしたい。」

 

 

工業高校の教師だった父親は、それを聞いて、こう言って心配したといいます。

 

 

「俺は、石橋を叩いても考え込むタイプなのに、

 

 あいつは、崩れかけた石橋でも渡ってしまう。」

 

 

隆夫は、地方に居たんじゃダメと思い、上京する為に勉強します。

 

 

そして、東京にある大学に入学しました。

 

 

しかし、これといって特に目標がある訳でも無く、何となく上京したので、

 

 

大学に入学したものの、授業をさぼって雀荘に通うありさま。

 

 

そんな時、テレビで活躍していたボクサーに憧れ、

 

 

自分もプロボクサーになりたい。とボクサーを志しジムに入会してトレーニングに明け暮れます。

 

 

しかし、彼の夢は無残にも散ってしまいます。

 

 

不自由な左目が指摘され、プロテストさえ受けさせてもらえなかったのです。

 

 

こうして、最初の夢は、自分の不自由な体の為に断念せざる負えませんでした。

 

 

しょうがない。彼はなんとか大学を卒業すると、

 

 

普通の人と同じ平凡な道を歩もうと、中堅の不動産会社に就職し真面目に働き始めました。

 

 

ところが、その不動産会社がなんとオイルショックで2年後に倒産。

 

 

先輩に泣きついた隆夫は、先輩と一緒に分譲別荘地のセールスを初めます。

 

 

しかし人と馴れ親しくするのが苦手で愛想も無い彼がセールスなど出来る訳がありませんでした。

 

 

4ヶ月で挫折して会社を辞める事になりました。

 

 

それ以降は、フリーターでのその日暮らし。

 

 

腐った彼は、麻雀に明け暮れるという生活に陥ります。

 

 

徹夜麻雀をして、部屋には朝帰り。

 

 

夕方まで寝ていて、起きたらまた麻雀屋に行くという自堕落な生活。

 

 

 


ある日負けが込んで、気が付いた時には、所持金が5円という事態に。

 

 

さすがの彼も焦りました。今日の晩飯を買うお金も無いじゃないか!!

 

 

このままでは、部屋代も払えない。 路上生活者になってしまう。

 

 

焦った彼は、近くのゴミ箱を漁ります。

 

 

そして、誰が捨てたか分からない汚れた新聞紙を拾うと、

 

 

新聞の求人欄を見て、なんとか日雇いの仕事を始めました。

 

 

そして、なんとか新聞の勧誘員としての日雇いの仕事を見つけ難を逃れます。

 

 

ある時は、湾岸労働者として働きました。

 

 

しかし、彼は焦りました。大きな事言って実家を飛び出したのに、このありさまです。

 

 

麻雀に明け暮れた20代も、もう終わりに近づいていました。

 

 

何かしなければ、何かしなければ・・・・このままの人生ではまずい。

 

 

しかし、彼には何もありませんでした。

 

 

料理が出来る訳でも無く、手が器用な訳でも無く、

 

 

人脈がある訳でも無く、そして、目が人よりも不自由な自分。

 

 

でも、何かしなければ・・・

 

 

やっと彼が思いついたのが、バッタ屋でした。

 

 

バッタ屋というのは、倒産しそうな店から商品を買い叩いて、それを安く売るという店です。

 

 

他にも処分品や、サンプル品の余りなどを安く買って来て売るというものです。

 

 

彼はその為にお金を貯めて、やっとの事で、西荻窪に20坪の空き倉庫を借ります。

 

 

20坪というと、牛丼屋さん位の面積で、品物を売る店としては小さいものでした。

 

 

この時、隆夫はもう29歳になっていました。

 

 

 


問題は店の名前を、何にするかでした。

 

 

色々と理想の名前はあったのですが、店舗の狭さから

 

 

たった4文字しか店の名前が書けないという制限がありました。

 

 

彼は悩んだあげく「泥棒市場」と付けたのでした。

 

 

後に、この奇抜なネーミングが彼の人生を救う事になります。

 

 

 

 

 

しかし、商売はそんな甘いものではありませんでした。

 

 

隆夫の店に並んでいる物は、確かに安い物ばかりでした。

 

 

でも、それは倒産しそうな店や、在庫が多くて困っている物を買い叩いてきた物でした。

 

 

つまり、簡単に言えば、普通では売れなかった商品ばかりだったのです。

 

 

店を出したものの、まったく売れません。

 

 

というよりも、店は倉庫を安く借りた場所なので、綺麗では無く、

 

 

しかもバッタ屋というのは、安く叩いて買う代わりに、

 

 

買う時は箱買いで大量に買わないといけませんでした。

 

 

だから、彼の店の商品はちゃんと綺麗に並べる事が出来ず、

 

 

箱のまま置いたり積んだりしていて、雑なものでした。

 

 

そんな店はまず女性は敬遠して来ません。子供も来ない。

 

 

食料品じゃないので、人々にとって絶対必要な物でも無いのです。

 

 

ただボールペンなど、日用品などが安いだけでした。

 

 

店は開店休業状態。人が入ってくれなければ、どんなに安くても売れません。

 

 

1ヵ月経っても、2ヵ月経っても、人が来ません。

 

 

3ヶ月が過ぎた時、彼はもうダメだと思いました。

 

 

仕入れにお金を使っていて、このままだと店の賃料も払えなくなる。

 

 

もう夜逃げしか無い。

 

 

そう思っていた、ある日。

 

 

その日も、売上が無く、落ち込んでいました。

 

 

店を閉めた後の夜、なんとか店の外からでも中の事がわからないかと、

 

 

商品のポップを店の中で、箱に張り付けていた時でした。

 

 

深夜なのに、誰かが入って来たのです。

 

 

なんと、空いていた店のドアからお客が間違えて入って来たのです

 

 

多分、店の電気が点いていたので、営業中だと勘違いして入ってきたのでしょう。

 

 

しかし、追い返す事はしませんでした。

 

 

その男性は、特に何か買うでもなく、時間をかけて店の中を歩いているだけでしたが、

 

 

それでも隆夫にとって、たった一人でも来てくれた事が嬉しかったのです。

 

 

すると、不思議な事が・・・

 

 

 

なんと、もう1人、誰かが入って来たのです。

 

 

店に二人もお客が居るなんて、嬉しい。

 

 

すると、また一人。

 

 

 


当時、夜間に店を開けているという所は、

 

 

セブンイレブンの夜11時くらいでした。

 

 

だから、他の店が夜空いているなんて、無かったのです。

 

 

 


彼は、その様子を見て、ヒラメキます。

 

 

深夜の時間帯は、意外と買い物の需要がある!!」

 

 

彼はそれからというもの、出来る限り深夜営業を始めたのです。

 


すると、次第に口コミが広がります。

 

 

「泥棒市場なら、深夜でも空いてるぞ、暇だから行って見るか。」

 

 

「あそこは、盗んできた物を、こっそり夜中にさばいているから安いんだって。」

 

 

泥棒が盗んだ品を売ってるらしいぞ、行って店主の顔をみてやるか!」

 

 

 


泥棒というネーミングと、夜中にやっているという時間帯が、

 

 

世間の怪しさを助長し、次から次へと口コミが広がったのです。

 

 

その他にも、彼は、来るお客は物を買うというよりも、

 

 

何があるのか見るのが楽しみに来ているという事に気が付きます。

 

 

そこで、店を迷路の様にして、まるで宝探し感覚の配置にしたり、

 

 

すぐに物が分かるだけでなく、その効用とか、使い道とかを、

 

 

手書きのPOPに書いて、大きく張り出して商品を分かりやすくしました。

 

 


気が付くと、夜逃げまで考えていた店が、年商2億円までの店になったのです。

 

 

人がやりたくない所に、成功に鍵があったのです。

 

 

 


その後彼は、もっと大きな店舗を借り、

 

 

好きだったスペインの文豪セルバンテスの名作にちなんで

 

 

その作品の主人公である既成の常識や権威に屈しない

 

 

ドン・キホーテが店舗名にふさわしい名前だと命名したのです。

 


ドンキホーテ創業者・安田隆夫氏は言う。

 


私は、小学校4年生のときに目をケガしまして、今もう左目がまったく見えないんです。

 

 

まさに独眼竜。そのころはどうしようもないガキ大将で、

 

 

本なんかまったく読まなかったんですが、

 

 

何回か入院をしまして、病院でじっとしていなきゃいけなくて、これが辛くてですね(笑)。

 

 

で、しょうがなく本を読み始めたんです。そうしたら、はまりましたね。

 

 

『十五少年漂流記』とか、夢中になって読みました。

 

 

ですからもう、私は本に救われましたね。

 

 

ケガをしたから良かった。

 

 

何が幸いするかわかりません。


END

 

 

 


参考:リーダーたちの名言集 名言DBhttps://systemincome.com/68726
HOTNEWS https://hotnews8.net/human/never-give-up
企業家大百科 https://kigyoka-shacho.com/2018/04/29/yasudatakao-keireki-wife/
cocoa https://www.youtube.com/watch?v=SqNpUNMTPFc

baseraさんの画像 https://matome.naver.jp/odai/2149716963901528301