●未だに息子の幽霊が出る家
私がアメリカに留学している時、
卒業まじかの時、一度だけマレーシアにいる両親の元に帰った事があった。
妹は既にミシガンの大学に留学していて、マレーシアの実家にはいなかった。
妹は私と違って優秀だったから、高校の成績もトップクラスで何の問題も無かった様だ。
私達がマレーシアに行った時は、ユーケィハイツという山の斜面に立つ家に住んで居たのだが、
さすがに山なのでサソリやコブラ・20cmもあるゲジゲジが出たり、
2回も泥棒に入られかけたので、治安の比較的いい場所の平地にある家に引越す事になった。
それでも洗濯物が盗まれたりしたが、マレーシアでの被害としてはかわいいものだ。
ただ、山じゃないからと安心していたら、裏庭でブラックコブラが出た事があった。
飼っている犬が盛んに吠えるので、ガーデナー(庭師)が調べると、
側溝にブラックコブラがいたのだ。ブラックコブラは、
コブラなので噛まれると猛毒なのは普通のコブラと変わらないのだが、
厄介なのは、毒のツバを吹きかけて相手の目を潰すという技を持っている。
マジか! 日本で見た図鑑にはそんな奴はいなかった。サッカーならレッドカードの反則だ!
とにかく、庭師の号令で犬をブラックコブラには近づかせない様にして、
私達も家の中で犬と待機となった。
その後、庭師は熱いお湯をコブラにかけて殺して事なきを得た。
私は高校生の時、庭の水やりなら僕でも出来るのに、
なんで、お金を出してまで庭師なんて頼むのかと、ずっと疑問に思っていたのだが、
その疑問は、この瞬間、一発で吹き飛んだ。
そんな家に、何年振りかで帰って来たのだ。
妹が居ないだけで、あとはまったく変わっていなかった。
テレビは相変わらず2チャンネルのみで、ちょいちょいお祈りの時間も入ってきて面白くなかった。
家でつまらなそうにしていると、親父が会社に来るか。と誘ってくれた。
親父が働いていたのは、日本の会社の現地法人だった。
マレーシアは日本人の移住先ランキングでも上位に入る国だ。
老後はマレーシアで年金暮らしという生活プランを立てている人も多いと聞く。
確かに、治安も良い方だし、物価も安い方かもしれない。
ただ、父の様にマレーシアで現地法人を作るとなると話は別だ。相当な苦労が予想される。
マレーシアには、主にマレー人と華僑(中国人)とインド人が住んで居ると思っていい。
普通、会社を起業すると、誰を雇うかは社長の自由だが、マレーシアではそうはいかない。
政府がマレー人の保護政策を行なっているからだ。
社員の相当数(%)をマレー人で占めなければならない。
それも全員平社員とかの低い地位のみではダメで、何人かは良い地位に居る事を要求してくる。
それだけでは無い。政府は過保護と言えるほどマレー人を守っている。
まず、一旦雇ったら、原則解雇出来ない。
失敗しても役職も下げられないし、減給も出来ない。
だからか、中国人は一生懸命働くが、マレー人はそんなに一生懸命働かない人が多い。
と言うか、一生懸命働かなくてもクビにならないし給料も下がらないのだ。
おまけにマレー人は、プライドが高い。
新入社員だからといって、トイレ掃除をかってでる人などいないし、言われてもやらない。
一度、空港にお得意様を出迎えに行った事があった。
当然、お客様の重そうな荷物を出迎えた私達が持ってあげるのだが、
それをマレー人にお願いすると、「オレは奴隷じゃない。」と言って断られた。
また、マレー人で謝る人は少ない。現地では謝ったら負けという考えを持っているのだ。
一度、テーブルにあったグラスを肘が当って落としたマレー人がいた。
それを見ていた店主が、弁償を迫ったのだが、
落としたマレー人は最後まで、コップが自分で勝手に落ちたと言い張って譲らなかった。
本来は優秀なのに、過度の保護政策がマレー人労働者をダメにしているのかもしれない。
それに比べて華僑(中国人)の方は優秀な人が多いと感じた。
華僑には政府の保護が無い分、とにかく頑張る。
私が会社に立ち寄った時も、父の部下だった華僑の人が積極的に話しかけて来て、
なんとか上司の家族とも親交を深めようとしてくる。
結局根負けして、その日の夕飯をその華僑の方の家に招待される事になった。
彼はタンさんと言って、父の会社では会計の仕事をしている人だった。
タンさんの奥さんが作った中華料理は品数も多く、どれもとても美味しかった。
麻婆豆腐らしき料理を大皿から取った時、私は謝って少しテーブルクロスにこぼしてしまった。
私が困った顔をしていると、タンさんが、
「Never Mind! 」(かまわないよ!)と言って笑った。
中国人の食卓では、テーブルクロスを汚すのは、
「それだけ食卓に活気があり楽しい食事だったという証」らしい。
中には、汚れた手をテーブルクロスで拭いてワザと汚す人も多いという。
世界では中国人が食べ終わったテーブルが汚いという批判が多いが、そんな意味があったのだ。
また、私はあえてよそってもらった食事を最後に少しだけ残した。
日本では、よそってもらった食事を残すのは、口に合わなかったと言う意味に捉えられ、
失礼だから無理にでも完食するのが常識なのだが、
華僑(中国人)の間では違うと事前に父に教わっていたからだ。
華僑(中国人)の食卓では、少し残すのがマナーだという。
なぜなら、お客が少し残したという事は、
「食事をもてなした方は、お客が食べ切れないほど沢山の料理を出してもてなした。」
という証なのである。
だから、完食されと、出した料理が足りなかったという事になり失礼だったとなるらしい。
国が変わると、食事のマナーも随分変わるものだ。
そう言えば、一度マレー人の社員の結婚式に招待された事があったが、
出た食事を素手で食べる事になって驚いた事があったっけ。
食後は、リビングでの寛ぎの時間となった。
その時にタンさんは、私に大学ではどんな事を勉強されているのですか?と聞いて来た。
私が美術と占いを勉強していると答えると、
タンさんは、やけに占いの話に食いついて来た。
どういう占いの勉強をしているのか、とか幽霊の事は分かるのかとか。など。
理由を聞くと、
どうやら、タンさんのお兄さんの家に幽霊が出るらしい。
それもその幽霊は、亡くなった息子さんの幽霊だと言うのである。
こうして私は、否応なしに幽霊騒動に巻き込まれていったのである。
後半は、明日のブログに続く。