●私が最初に知った霊能者
私が中学生だった頃、まだ霊能者がどのくらい凄いかなんて知らなかった。
マレーシアに行った時も、まだ高校生だったし、
マレーシアはテレビも2チャンネルしかなく、
イスラム国なので、お祈りの時間になるとテレビも中断され祈りになった。
だからほとんどテレビも見なかったし、新聞も見ないという生活だった。
その後、私はアメリカの大学に行った訳だが、
最初の年は、一人での生活に慣れるまでが大変で、
大学の授業や、学費を稼ぐ為のアルバイトなどで、
興味が他に行く事は無かった。
やっと一息つけたのが、その年のクリスマスである。
私は親の所に帰るお金も無かったので、周りの大学生が実家に帰宅する中、
1人寮に残っていた。
日本と違って、クリスマスはほとんどのお店は閉まっている。
私と同じように日本から留学して来た吉岡君(仮名)も寮に残っていた。
彼の父親は外交官で、息子にも将来外交官になってもらいたいと、
彼を留学させていた。
そんな私と吉岡君と、ドイツ人の留学生の男性と、
イランからの留学生の男性の合計4人が、ある家庭のクリスマスに招待された。
イランと聞くとウソ!と言われそうだが、
当時は何故かイランからの留学生が沢山いたのである。
家族とクリスマスを暮らせない留学生をディナーに招待してくれるボランティアの家族は、
大学で紹介してもらい、私達はそれに応募したのだった。
私達を招待してくれたのは、息子さんが2人いるクリスチャンの夫婦だった。
しかも奥さんがケイコさんと言って日本人だったのである。
アメリカのクリスマスは、どんな料理が出るのか初めてだったので、ワクワクした。
出て来たのは期待通りの豪華な料理だった。
ローストビーフとマッシュポテトがメインである。
それに人参やインゲンなどが添えられ、デザートにアップルパイが出て来た。
一人で食べるよりも、沢山の人達と食べるディナーはやっぱりいい。
とても美味しかったのを今でも覚えている。
食後には、ゲームをしたりして、その後、
私と吉岡君と奥さんのケイコさんの3人で世間話をした。
その他の人達はまだ旦那さんや息子さん達とゲームを続けていた。
ケイコさんは、久々に日本語が思う存分話せると言い、色々な話を聞かせてくれた。
彼女が聞かせてくれた話の中で、私が一番興味が湧いたのが、
霊能者の話だったのである。
彼女は今から9年前、単身アメリカに留学しに来ていて、
当時カルフォルニアに住んで居た。
大学時代から1人のアメリカ人男性と付き合っていたのだが、
付き合って4年経っても、プロポーズされないままだった。
いつも「I love you.」とは頻繁に言ってくれるのだが、プロポースはしてくれない。
彼の事は好きだけど、信じていいのか?
相手が日本人なら、なんとなくニュアンスで分かるのだが、
初めての外人との恋だったし、アメリカ人の本音が分からなかった。
周りには、自分よりも美人でスタイルの良いアメリカ人が沢山いる。
もしかしたら、ただ遊ばれているだけなのかも・・・・
そう頭をよぎった。
彼を信じて、このまま付き合うか。
それとも、日本に帰った方がいいのか。
彼女の頭の中は、それだけに支配されたいたのだが、
彼に答えを聞くのは、怖かったという。
そんな時だった。
彼女は友人から霊能者を紹介されたという。
名前を Ron Elgasという男性の霊能者だった。
(ちなみに、今調べてみると、もうご高齢だとは思うが、
まだご活躍している様である。http://www.ronelgas.com/)
彼女はワラにもすがる思いで、その霊能者の所に相談に行ったという。
すると、Ron Elgas氏は、彼女をじっと診て霊視を始めた。
そして、こう言ってくれたという。
「彼は今、仕事で悩んでいる様ですが、
いずれ貴方と結婚します。
多分、北の方に行って、家を買い、
男の子が二人できて幸せになるでしょう。」
それはまさしく彼女が望んでいる答えだった。
彼女は結婚もそうだが、男の子が欲しいと思っていたからだ。
占ってもらってから2週間が過ぎた時、
彼がいきなりケイコさんに言ったという。
「仕事を変えようかと思うんだ。
ワシントン州のシアトルに行こうと思うんだけど、
君も一緒に来てくれるかい?」
ケイコさんは涙を流しながら「はい」と答えたと言う。
ワシントン州はカルフォルニアの北にあったのだ。
その後二人は結婚し、男の子が二人生れたのだった。
それから彼女はボランティアにも積極的になったのだという。
私はケイコさんのその話を聞いてから、
霊能者という存在にどんどん魅かれていったのである。
END