●若気の至り
若気の至り(わかげのいたり)という言葉がある。
この意味は、
「若い人は経験も浅く、人間としても未熟なので、
無分別な行いをしてしまうことから。
年配の人が若者の失敗をかばうときや、
自分自身の過ちを若さのせいにする時に使われる言葉である。」(故事ことわざ辞典)
つまり、若い時は、知らない事が多いので失敗するのが当たり前だと言う事だ。
私も自分の高校時代や大学時代を振り返って見ると、
随分バカだったんだなと思う事が沢山ある。
そして、そんな「若気の至り」は、
霊能者の方にも、あるのである。
霊能者といえば、聖人君子の様に思われるかもしれないが、
やはり私達と同じ人間なので、赤ちゃんの時もあれば、子供の時もあり、
そして、若気の至りだったと思われる時期もあるのだ。
ある時、私は霊能者の家に居た。
霊能者と云えどもいつもお客で一杯という訳では無い。
暇で、相談者が全くいないという時もある。
そんな時、彼女はよく自分の昔話をしてくれた。
彼女が高校生だった頃、はやり「若気の至り」で、
自分の霊能力を随分雑な使い方をしていた時期があったという。
例えばこんな事があったという。
彼女も学生時代、バスケットをやっていたそうなのだが、
ある時クラス分けして対戦する時があったという。
その時、普段から少し反目していた女子生徒に、トラベリングの反則を指摘され、
それが一度ではなく、二度も三度も指摘してきたのだ。
結局それも影響して、自分たちのチームは負けてしまった。
さすがに頭に来た彼女は、その女子生徒をじっと霊視して、仲間に言った。
「あの子の家、来週小火(ボヤ)があって、車庫が燃えてしまうのよ。」と友達に言って、スッとしたという。
実際翌週、その子の家の車庫が燃えたという。
最初はいいきみだと思ったが、その火事で車庫に居た犬が死んだと聞いて、
内心、複雑になったという。
何となく間違った使い方だと感じた。
それが決定的だったのは、彼女が母親と喧嘩した時だったという。
電話代の事で喧嘩になった彼女は、母親を霊視した。
すると、
お母さんが、自転車から落ちて怪我する様子が見えたという。
さすがに喧嘩したばかりだったので、その時は言えなかったのだが、
段々と言わないと、言わないと。という気持ちになって、
翌日母親に、自転車に乗っちゃダメと言ったのだが、母親は耳を貸そうとしなかった。
そこで、彼女は学校に行く前に、母親の自転車の鍵をこっそり取って、
学校に持って行ってしまったという。
これで、お母さんが、自転車で事故る事は無い。
しかし、結果は違った。
彼女が家に戻ると、母親が居ない。
その後、母親は病院に居る事が分かった。
母は自転車の鍵が見つからないので、お隣さんの自転車を借りて出かけたのだ。
しかし、慣れない自転車だったので、交差点でブレーキ操作を謝り落ちた事が分かった。
わたしのせいだ。
私が自転車の鍵を持って行ってしまったから・・・
私が変な使い方で霊視を使ったから・・・
それ以来、変な使い方で霊視をすると良く無いと感じて、やらなくなったという。
私はもう1つ、霊能者の方に聞いた事がある。
それは、人間なら誰でも思う事かもしれないが、
私は彼女に、こんな事を聞いてみた。
「その霊能力で、お金を儲けようと思った事は無いんですか?」
すると、彼女は恥ずかしそうに、
「あるのよ!」と言う。
やはり彼女が学生時代、電話代がかさんだ時、
ふと、霊視で宝くじが当たらないかと考えたそうである。
アメリカの宝くじは、好きな数字を6つ書けばいい。
つまり、当りの数字が霊視出来れば、それを書くだけで、何億も稼げるのだ。
ちなみに、去年8月にアメリカで830億円の宝くじが当たった人が居たが、
日本では、そんな高額の宝くじが当たる事は無い。
それは日本がケチだからでは無く、日本では最高額を15億円にしているからだ。
しかも、日本とアメリカでは、当選したお金の貰い方も違う。
日本なら、税金が宝くじには無いので、1億円当たったら、全部貰えるが、
アメリカの場合、30%税金で持っていかれる。
さて、霊視で宝くじを当てようと思った彼女は、
学校帰りに、宝くじ売り場に行ったという。
そして、宝くじ売り場をじっと見て霊視した。
・・・・・
(なかなか結果を言わない彼女)
「それで、どうなったんですか?」と、せかす様に食いつく私。
そんな私を見て、彼女は静かに言った。
「ダメだったのよ。」
「霊視するとね。
そこで働いているオバサンが、家でご主人と喧嘩している様子が見えたり、
娘さんを溺愛している映像が見えたりして、
宝くじの当選番号とかは、いっさい浮かんで来なかったの。」
それ以来、そういうお金も儲けの霊視もしていないという。
私もそれを聞いて、
なんか、残念という気持ちと、
ホッとした気持ちが入り混じった変な気持ちになった。
もしかしたら、私も「若気の至り」で、その時、
もし宝くじが当たるなら、おこぼれにあずかりたいと思ったのかもしれない。
END