●生きているだけでいい。

 

 


1955年、

 

 

和歌山県の最南端の串本町で、一人の男の子が生まれた。

 

 

名前はたかふみ

 

 

 

お父さんは、会社の社長をしていて、優しいお母さんとの3人暮らし。

 

 

しかし、そんな幸せは長くは続かなかった。

 

 

 


たかふみ3歳の時。

 

 

母さんが死んだ。

 

 

病死だった。

 

 

 


やがて、たかふみが小学校の高学年になった時、

 

 

父が再婚する。

 

 

 

 

 

家に、継母が連れ子とやってきた。

 

 

しかし、新しいお母さん(継母)は、たかふみに冷たかった。

 

 

 


可愛がるのは、自分の子供だけ。

 

 

たかふみが側にいても、常に無視した。

 

 

たかふみを可愛がる事は無かった。

 

 

 


継母は、義理の弟だけを特別扱いしたのだった。

 

 

 

 

 


珍しい食べ物は、全部自分の子供にあげた。

 

 

ある日、その子が、「これ嫌い!」とプッと吐き出したという。

 

 

「もう、これ嫌いなの、この子。」

 

 

そう言うと、吐き出したヤツを、「たかふみ、食べな。」と。

 

 

なんで吐き出したものを食べなかアカンねんと、よく泣いたという。

 

 

 

 


たかふみは、亡き実の母を懐かしく思ったのだが、

 

 

継母と父は、亡き母の物は全てごみとして捨ててしまったので、

 

 

亡き母の物は1つも残っていなかったという。

 

 

 


それでも、たかふみは、悪いのは自分かもしれないと思い、

 

 

継母に気に入られようと、学校で何か面白い事があると、

 

 

それを面白可笑しく継母の前で演じて、

 

何とか笑わせて気に入ってもらおうとしたという。

 

 

継母と仲良くしたくて、毎日必死で面白いことを考えた。

 

 

楽しませて、笑わせる事が出来れば、きっとボクにも心を開いてくれるはず。

 

 

 

 


しかし、中学生になったある日、

 

 

継母の本当の気持ちを知ってしまう。

 

 

 

 

ある夜、継母が酔って、家に帰って来た時があったという。

 

 


すると、隣の部屋で酒を飲みながら

 

 

うちの子は、この子だけや……」って言う継母の声が、

 

 

薄い壁伝いに聞こえてきたという。

 

 

 

 


泣いた。


ただひたすらベッドの中で、泣いたという。

 

 

 

 

それからだという。今も、酒飲む女の人が苦手なんです。

 

 

芸能界行くまではほとんど飲まなかったし、

 

 

今も本質的に酒は好きじゃないと思います。と後に語っている。 

 

 

 

 

 

 

そんなたかふみだったが、

 

 

継母の子供には、罪は無い。

 

 

彼は、継母の子供を「チビ」と言ってとても可愛がったという。

 

 

 


チビも、たかひろの事を慕ってくれて、

 

 

継母とは違って、たかひろの事を尊敬して、応援もしてくれたという。

 

 

チビは、サッカーが得意で、高校のサッカー部のキャプテン。

 

 

インターハイに出て、国体選手にも選ばれた。

 

 

将来は大学に進み、日本代表選手になってもおかしくない実力だった。

 

 

当時、家を出て大阪に住んでいた、たかふみのマンションに遊びに来た時、

 

 

今度ワールドカップを二人で一緒に見に行こう。と約束した。

 

 

その僅か半年後の事だった。

 

 

 

 


チビが死んだ。

 

 

 

 

ある新聞では、灯油を全身にかぶっての焼身自殺だと掲載されたが、

 

 

未だに、たかふみは、それを信じていない。

 

 

チビとワールドカップを見に行く約束してたんだ。死ぬわけがない。

 

 


当時、チビの友人の話では、

 

 

他の人が、大学に進み、サッカーが出来るのが羨ましいと言っていたという。

 

 

噂では、継母が父親の工場を、たかふみ達には渡さない為に、

 

 

チビに大学を諦めさせて、工場を継がせる様に言っていたのではと囁かれた。

 

 

結局、父の工場は全焼したという。

 

 

 

 


当時、たかふみは、芸能界にデビューしていたが、

 

 

この義弟のチビの死がショックで、

 

 

しばらくは舞台で笑いがとれなくなってしまい、

 

 

芸人を辞めようかと悩んでいた。

 

 

 

 

 

現在、心理学の世界では、

 

 

人生で、何かショッキングな出来事があった時、

 

 

それを乗り越える、一番有効的な方法は、

 

 

その出来事を、笑いに変える事だと言われている。

 

 

 


それを知っていたのか、当時仲が良かった芸人のオール巨人さんが、

 

 

舞台に一緒に出た時、唐突に、

 

 

お前んち兄弟焼いたらしいな?」とたかふみに尋ねた。

 

 

そこですかさず出た言葉が、

 

 

「そや、材木きれたから代わりに焼いたんや。」ととっさに口から出たと言う。

 

 

すると、いくらかの笑いが起こったそうで。

 

 

楽屋に戻ってから、

 

 

「ありがとう。これで俺これからも芸人続けられるわ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


たかふみの芸名、明石家さんま

 

巨人さんに、涙ぐみながら、感謝したという。

 

 

さんまの由来は、父親がさんまの開きの加工業をしていたことからだった。

 

 

当時、さんまさんは、大阪と東京の仕事を掛け持ちしていて、

 

 

その時に、いつも同じ飛行機を利用していた。

 

 

123便である。

 

 

1985年8月12日。 その日も123便を予約していた。

 

 

ところが、その日に限って、「オレたちひょうきん族」の収録が中止となった。

 

 

しょうがない。1本早い便にするか。と変更。

 

 

すると、乗るはずだった日本航空123便が山中に墜落したのである。

 

 

 


九死に一生を得た。

 

 

 


彼は今でも言う。あの時ホントは死んでいたと。

 

 

それからは、人々を笑わせるだけに生きる道を究める事だけに進んだ。

 

 


ちなみに、実生活では大竹しのぶさんと結婚していますが、

 

 

その時、大竹しのぶさんには、連れ子がいました。

 

 

つまり、さんまさんは、継父になる訳です。

 

 

昔、自分が、そんな境遇に苦労して悲しんだ過去があるからか、

 

 

大竹しのぶさんの連れ子には、とても優しくした

 

 

その後、実の子のIMARUさんが生れる訳ですが、

 

 

帰宅すると、まず連れ子だった二千翔(にちか)さんを抱き上げ、

 

 

その後にIMARUさんを抱いたほどだったという。

 

 

だから、大竹しのぶさんと離婚する時、

 

 

連れ子の二千翔(にちか)さんは、

 

さんまさんの所に残るとだだをこねたほどだった。

 

 

 


また、さんまさんは、自分が継母にいじめられた経験から、

 

 

誰かがいじめられているのをほっとけないという面もあった。

 

 

 

 

 

ある日、大阪で収録だった時、

 

 

なんば花月の階段に、ジミー大西が居た。

 

 

ジミー大西は、当時仲間にいじめられていた様で、

 

 

階段の手すりに、チンコをタコ糸で結ばれてほったらかしにされていたという。

 

 

それを解いてあげて助けてあげたのが、最初の出会いだった。

 

 

 


ジミー大西は、小さい頃からいじめられていた子供だった。

 

 

高校の時は特に酷く、ある日国鉄阪和線の津久野駅で、いじめっ子達に、

 

 

「次に来る快速電車に乗りたいから何とかして停めてくれ!」と命令されて、

 

 

本来、津久野駅に停車しない快速電車を止める為に、裸にされ、

 

 

線路に突き落とされた。

 

 

危なく快速電車に轢かれて死ぬ所だったが、電車は緊急停止。

 

 

その後、いじめっ子は逃げたが、ジミーは駅員に捕まった。

 

 

そして、ジミーは学校に連絡されて停学処分

 

 

しかも、ジミーの両親は国鉄から多額の賠償金(数百万円)を請求され、

 

 

借金をして支払ったという。

 

 

 

 


ジミー大西は、その後、本番で放送禁止用語を叫んでしまい、

 

 

テレビから干されて仕事を失ってしまう。

 

 

 

そんなジミー大西を救ったのが、さんまさんだった。

 

 

 


さんまさんに運転手にならないかと誘われた時、

 

 


ジミーは運転免許すら持っていなかったし、

 

免許を取るお金もまったく無かったという。

 

 


そんなジミーさんにお金を出してあげ、合宿制の自動車教習所に通わせた。

 

 


しかし、普通なら合宿で2週間程度で免許が取れるはずですが、

 

 

漢字が読めないジミーさんは筆記試験をパスすることができず、

 

 

落ちるたんびに、さんまさんにお金を送ってもらっていて、

 

 

結局、卒業するまでに半年という時間を費やすことに。

 

 

後日談でさんまさんが授業料だけで「もう1台車が買えた」と話した。

 

 

また、運転手になった後も、

 

 

さんまさんが車を運転している時に、

 

 

バックするから、ジミーに後ろを見ておくように頼むと、

 

 

ドスンと壁にぶつかってからも、ジミーさんは、

 

 

オーライ、オーライ」と言い続けていて、さんまをがっかりさせたという。

 

 

 


それでもジミーを見捨てなかった。

 

 

お前は、運転手だけではダメだからと、

 

 

テレビでも使い物になるよう仕込んだという。

 

 

やってる、やってる」を覚えるまで半年かかった。

 

 

ジミーを育てたのは特に才能を見抜いたとかいう訳ではなく、

 

 

ジミーをいじめた仲間達に対しての、意地だったという。

 

 

ジミーはこんなに立派になって、テレビで活躍してるんだぞ!。と。

 

 

 


テレビで一度、死後の世界についての特集番組があった。

 

 

その時、司会の人が、出演者に、

 

 

「自分が死ぬ前にお金は家族に残す派?全部使い切る派?」と問いかけた。

 

 


すると、 マツコ・デラックスは使い切る派で、

 

 

「家族いないもんね。無趣味だし。友達もいない。

 

どうやって使っていいか分からない」

 

 

それに対して、さんまさんは残す派で、IMALUさんと元妻の連れ子に、

 

 

「苦労しない程度には残したい。と、今考えてる。」とし、

 

 

子供たちに残すのはあくまでも最低限の額であることを述べ、

 

 

「あとは寄付しようと思ってる」と明かし、共演者の驚きを誘った。  

 

 

 

 

さんまさんは、以前から、

 

 

座右の銘として、

 

生きてるだけで丸儲け」と常に言っていて、

 

 

 

それは、若くして亡くなった実の母。

 

 

そして、火事で亡くなった弟。

 

 

死ぬはずだった、飛行機事故。

 

 

そんな経験を経ての、言葉「生きてるだけで丸儲け」なのかもしれない。

 

 

 

だからからか、愛する娘のIMALUさんの芸名が、

 

 

I(生きているだけで)

 

MALU(丸儲け)なのだという。

 

 

 


END

 

 

 

 

 

 

 

 

参考:
Electrical wave wiki  明石家さんま
明石家さんま  2ch過去スレ
無限の可能性さん【明石家さんまの壮絶な生い立ち】
gozzip 本人もビックリ?ジミー大西の半生が描かれたドラマをさんまが企画プロデュース!