●7月28日の惨劇

 


テレビをつけると、ほとんどのニュースは那須町の雪崩で、

 

 

8人もの尊い命が奪われた事故をやっている。

 

 

とても残念である。

 

 

 


事故当時は吹雪の状態だったという。

 

 

そこで、講習会に参加していた高体連の登山部の委員長と副委員長の教職員が

 

 

27日午前6時頃、予定されていた茶臼岳まで往復する登山の中止を判断した。

 

 

そこまでは良かったと思う。

 

 

しかし、何故か1時間半後、雪をかきわけて歩くラッセルの訓練を、

 

 

することを決めたのである。

 

 

せっかく集まった部員たちに、訓練させてやろうという考えだったのだろうが、

 

 

そこまでなら、時間を有効に使いたいという先生の気持ちが分かる気もする。

 

 

しかし、選んだ訓練場所が悪かった。

 

 

 

ラッセルとは、積雪を「かき」「踏みしめ」道を作りながら進むことを言うのだが、

 

 

この訓練は、積雪が胸当りまで積もっていれば、どこでも良かったのだが、

 

 

 

生徒達が訓練した現場は、雪崩が起きるのに十分な斜度があり、

 

 

木がなく、いかにも雪崩が発生しやすい地形だったという。

 

 

また吹雪だったので、雪崩の発見も遅れる視界だった。

 

 

しかも、なだれ注意報が発令中にやるって、どういう事。

 

 

 

 

もう一つ私が残念に思うのは、

 

 

春山安全登山講習会は54年前から行われている伝統ある訓練で、

 

 

昔からの色々な技術を教えようというものなのだろうが、

 

 

時代が変われば、技術も変わるのだと割り切れなかったのだろうか。

 

 

 


雪崩が起き、生徒達を雪の中から掘り出すのに30分。

 

 

しかし、それまでに探したり、掘る場所を決めるのに約2時間。

 

 


助けに入った救助隊は言う。

 

 

もし、雪崩に巻き込まれた生徒達が、位置情報を知らせる

 

 

電波発信機(ビーコン)を身につけていたら、もっと早く救出できたのにと。

 

 

せめて、先頭をかって出ていた大田原高校の生徒たちにだけでも、

 

 

持たせてあげられなかっただろうか。

-20度~ー45度に対応

 

 


また、54年の伝統のある訓練もいいのだが、

 

 

現在の世の中、雪崩にあっても助かるという、

 

 

雪崩用のエアバックというものがあるのだ。

 

 

そんな最先端技術の導入は出来なかったのだろうか。

 

 

 

 

 


今回の事故とは関係が無いのだが、

 

 

 

生徒達の訓練中の事故という事で、私はある事件を思い出した。

 

 

 

 

 

その事件は、橋北中学校水難事件として、今も語り継がれている。

 

 

この事件は、その後、日本怪奇大全に掲載された。

 

 

橋北中学校では、学校行事として毎年、水泳訓練を実施してきた。

 

 

そして予定通り、昭和30年、7月28日に文化村海岸で水泳訓練を開始した。

 

 

この日も、絶好の海水浴日和だったという。

 

 

 

 


この海岸は、遠浅で、数十メートル幅の砂浜がある海岸なので、

 

 

急に深くなったりする海岸とは違い、安全な場所と考えられ、

 

 

子供達は貝を拾ったりして、遊び場所としては最高の海岸だった。

 

 

 

しかし、不思議な事に、こんな遠浅で安全と思われる海岸なのに、

 

 

津市は昔から、ここを正式な海水浴場として認めていなかった

 

 

その恐ろしい隠れた事実が、後で分かる事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲劇は午前10時頃に起こった。

 

 

それは、女子生徒約100人が海に入ってからわずか5分後に起きた。

 

 

突然大波が来て、女子生徒たちが次々に遠浅の海で溺れ始めたのである。

 

 

溺れて助けを叫ぶ声を聞いて、見ると女性教諭までも溺れているではないか。

 

 

大波にのみ込まれたのは、先生を含めて49名。必死の手当てで13名が、

 

 

意識を回復したが、女生徒36名が水死した。

 

 

 

 

なんと溺れるはずが無い、遠浅の海で36名もの女の子が亡くなったのだ。

 

 

 


これが、橋北中学校水難事件のあらましである。

 

 

 

 

 

 

 

多分、ニュースや新聞などには、

 

 

これ以上の事は余り書かれていないだろう。

 

 

 

 

 

 


しかし、

 

 

かき消されたある生き残った少女の証言が、一部で話題になった事がある。

 

 

その生存者の少女の証言とは、こうだった。

 

 

 

 


泳いでいると、突然何人かの友達が悲鳴をあげながら溺れだしたんです。

 

 

私は助けを呼ぼうと、海岸の方へ向きを変え、泳ぎ始めました。

 

 

ところが、その瞬間、足に何か冷たい物がからみついたんです。

 

 

私は海藻でも足にからまったのかと思って、振り払おうとしました。

 

 

 

 

 


でもそれは、海藻ではなく、人の手だったんです。

 

 

 

 

 

海の底から手が伸びてきて、私の足をつかみ、

 

 

海の底の方へと引きずり込もう引っ張るんです。

 

 

そして辺りを見ると、防空頭巾を被った沢山の人影と手が海の中に居たというのです。

 

 

ある子は、防空頭巾を被った黒い影に、抱きかかえられて海に沈んでいったそうです。

 

 

彼女は、そこで気を失ったそうだが、幸いにも駆け付けた人たちによって救助された。

 

 

 

 

 

その後も、助かった生徒の多数が、

 

 

「防空頭巾をした人の手が足をつかみ、海に引きずり込もうとした。」と証言したが、

 

 

そのいずれもが、ニュースにのる事は無かった。

 

 

 

 

 

しかし、あるジャーナリストが、少女達がウソを言っているとは思えず、

 

 

気になって調べてみると、

 

 

 

 

 

 

事故の10年前は、第二次世界大戦中で、、

 

 

アメリカ軍の空襲で、この津市では、500名もの市民が焼け死んでいた。

 

 

そして、火葬出来なかったという身元の分からない多くの遺体を、

 

 

なんと、この海岸に埋葬したというのである

 

 


そして、防空頭巾などを被った多くの市民が空襲で亡くなった日こそ、

 

 

昭和20年の7月28日だったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在、いかにも泳ぎやすそうな穏やかな中河原周辺の海岸が、

 

 

今も、遊泳禁止となっている。

(Wikipediaより)

END