●父さんがついた嘘(うそ)
占い師の仕事をしていると、
相談の中にも、さまざまな人間模様が、垣間見られる事がある。
その中でも、あるOLさんが語ってくれた彼女の半生が忘れられない。
それは忘れもしない、彼女が小学3年生になった時に起きたという。
いつもの様に、学校から家に帰ると、
母さんは、もう家には、いなかった。
父さんにいくら理由を聞いても、
離婚したから、もう母さんはいないと言うだけだった。
少したってから教えてもらったのだが、
母さんは、若い男と出て行ったという。
つまり、母さんは、
私と父さんを捨てたのだ。
その時から、父さんは、少し優しくなった。
父さんはいつもより早く起きて、朝食を作ってくれた。
ただし、いつも目玉焼きとソーセージとトーストだけだった。
母さんが作ってくれていた時よりも、かなり品数は少なかったけど、
私は決して、それを口にする事は無かった。
今までは、学校の事など聞いた事なんか無いのに、
「今日は学校で、何があったのかい?」とか、
「学校でいじめられて無いかい?」など、
子供心にも父が無理している様子が感じられた。
やがて、5月になり、私にも辛い日がやって来た。
図画工作の時間に、先生が、
「母の日に、お母さんに折り紙で何か作ってあげましょう。」という。
でも、ここまでは良かった。
私もみんなに混じって、花を作った。 お父さんにあげればいいや。
しかし、先生の次の言葉が私を地獄に突き落とした。
「お母さんへの日頃の感謝の手紙を書いて、その手紙に張り付けて下さい。」
周りの友達は、すらすらと手紙を書き始めている。
「お母さん、いつもありがとう!!」と・・・
涙が出て来た。
私だけ何も書けないでいると、周りの友達が、
「大丈夫?」「どうしたの?」と心配してくれた。
でも、言えなかった。
私が母さんに捨てられたなんて、先生にも言えなかった。
ただただ泣いている私に、先生は優しく言ってくれた。
「じゃあ、家に帰ってから書きなさいね。」
父は授業参観にも会社を休んで来てくれると、はりきっていたが、
私が断った。
「父さんが来る家なんて、どこも無いから・・恥ずかしい。」
友達に、私がお母さんに捨てられたのを知られたくなかった。
夏休みが終わると、スーパーでの買い物は私の担当となった。
学校の帰りに、父が紙に書いてくれたものを買ってくるだけだったが、
肉にも色々あって、最初はかなり戸惑ったのを覚えている。
こんな事ならもっと母と買い物に一緒に行っていれば良かった。
それでもスーパーは、私にとって辛い場所の1つだった。
父には言わなかったが、スーパーは母子連れが多く、
私ぐらいの子が、母親におねだりしている姿を見るたびに、
私は母親に捨てられたんだと、改めて思い知らされるのだった。
私が小学5年生になった夏、
風の噂で、母さんが隣町で一人で暮らしているという事が分かった。
父に聞くと、どうやら駆け落ちした男に捨てられたという。
父は私に「父さんはもう母さんと寄りを戻す気は無いから。いいか?」
と聞いてきたので、私も「うん。」と答えた。
内心複雑な気持ちがよぎったが、私を捨てたという事実には勝てなかった。
私達を捨てたから、バチが当たったんだ。
自分にそう言い聞かせて、それ以上母の話はしなくなった。
やがて、私は小学校を無事卒業する時が来た。
しかし、その卒業式の日を、今でも忘れる事が出来ない。
体育館で行われた卒業式には、父が来てくれた。
そして、外での記念写真。父とのツーショット。
それが終わると父は、先生にもお礼を言ってくると言って、
私だけ体育館の前で待っている時だった。
その時、偶然、学校の外の金網の間から、
母が私を見に来ているのを発見してしまったのだ。
なぜか涙が出てきた。
私を捨てた母が、来てくれていた。
絶対許せない母なのに、涙が自然と出ていた。
偶然見つけたと言いましたが、
そんな遠くの人を偶然見つけるなんて事は無いのです。
正直に言うと、私はもしかしたら母が来てくれているのでは、と、
体育館で卒業式をしている最中でも、自然と母を探していた気がします。
心のどこかで、来てくれてると思っていたのかもしれません。
だから母を見つけた時、直ぐに母だと分かったのです。
やがて、父が戻って来ると、泣いている私を黙って抱き寄せて、
お祝いだと言って、焼肉屋に連れってくれました。
父には、戻って来た時、なぜ私が号泣していたのかも、
母が来ていた事も言えませんでした。
その後、友達には私立の中学へ一緒に行こうと誘われていたのですが、
私はお金の係らない地元の中学へ進みました。
そして、やっと中学にも慣れた1年生の秋、
私の人生を一変させる様な出来事が起きたのです。
父が急性胃ガンで入院したのです。
病院に行くと、父の上司の方が保証人になるという事で、来ていて、
その時は何がなんだか分かりませんでした。
お医者さんも看護婦さんも、何も言ってくれなかったので、
後になって聞いたのですが、
あの時父は、ガンが腹膜とリンパ節と肝臓に転移していて、
余命1ヵ月だったそうです。
しかし、父は意外と早く退院したので、
私はよもや余命一ヶ月だとは知るよしもありませんでした。
そんな父が亡くなる2週間前、
私は父の元に呼ばれました。
そこで父は、静かにこう言ったのです。
「バチが当たったんかなぁ。」
「お前に、ウソをついていた事があるんや。」
「えっ、何?」
「ホントはな、母さん愛人作って出てったんや無い。
お前を捨てたんじゃ無いんよ。」
なんと、母は私を捨てて出て行ったのでは無かったのです。
当時、仕事で行き詰ると、私が居ない所で、
母に暴力を振るって、殴る蹴るのDVをしていたと言うのです。
母は殺されると思って、私を連れて出て行こうとしたそうですが、
父に見つかって、娘を連れて行くならこの場で殺すと言われて、
身一つで出ていったそうです。
私は言葉が出ませんでした。
あの卒業式の日も、きっと母は私の側に駆け寄りたかったに違いない。
でも父が怖くて来れなかったんだ。
父が死にそうなのを目前にしながら、
母が実は私を捨てたんじゃないと知り、自然と涙が流れていました。
「母さんな、今隣町で、ひとりでアパートで暮らしているらしい。
なんかスーパーで働いていて、苦労しているみたいだから、
オレが死んだら、この家に呼んであげなさい。」
そう言って、母の住所を電話番号が書かれたメモを渡してくれました。
それから父はあっという間に天国に行ってしまいました。
父は亡くなった後、私が困らない様にと、かなりの事を身辺整理していた様で、
とうざ困らない様に、100万円の現金や通帳や印鑑をまとめてあったり、
葬式は自宅での密葬でという様な事も枕の下から出てきました。
しかし、中学生の私には葬式はどうしたらいいのか、
亡くなった父をどうしたらいいのか、分からない事だらけで、
父が亡くなったその日の内に、自然と母に電話していました。
すると母はまるでどもでもドアを使ったかのように、すぐに家に飛んで来てくれました。
何年振りかに会った私達は、直ぐに抱き合って泣きました。
母はただただ、「ごめんね。」「ごめんね。」を繰り返しました。
父は保険金を残しており、また退職金も入ったので、
母はスーパーを辞め、その後私とこの家で暮らす事が出来ました。
お蔭で私も短大に行く事が出来、
今年その短大も無事卒業する事が出来、就職先も決まりました。
私は、その話を聞いて、
「そう、良かったね。
今は幸せ?」と聞くと、
彼女は、「はい。幸せです。」と答えた。
しかし、その直後、彼女は意外な事を言ったのです。
「実は先生、これには、続きがあるんです。」という。
それは彼女が、就職先に初出勤の朝だった。
出勤前に、朝食を家で食べている時、
色々と新しい会社の事とか、将来の事を話している中で、
私がふと、
「私、父さんみたいにDVをする男とは結婚しないからね。」と言うと、
なぜか母さんが泣きだしたのです。
そして、こう言ったのです。
「父さんね、DVなんかして無いの。
亡くなる前にね。電話くれて、
娘の事を頼むって。オレがDVをして出て行った事にするからって。
娘には言うなよって、言われてたんだけど・・・・」
私は、その瞬間、全てが走馬灯の様に思いだし、理解出来ました。
そう言えば、ちょっとおかしいと思う事もあったのです。
小学3年生まで一緒に暮らしていて、
父が母に暴力を振るったなんて場面、一度も見なかったし、
しかもDVで逃げた母が、すぐ隣の町に居るというのも不自然でした。
母とは、あれからもう7年近くも一緒に暮らしているので、
昔の憎いという感情はもうまったくありませんでした。
父は私の為に、ウソをついたんだ。
もし、父が死んで、中学生の少女一人だけになったら、
孤児院に行くか、親戚の家をたらい回しになっていたかもしれない。
だから、あえて父は悪役になったのです。
人は亡くなる時、惜しまれて、悲しまれて逝くのが望ましいのに、
父は私の為に、あえて憎まれ役となって、逝ったのでした。
「父さん、気が付けなくてごめんね。」
私はあえて、訂正して母に言いました。
「私、父さんみたいな男性と結婚するからね。」
END