●遺品の中のお守り

 


このお話は、昨日のブログ(●孫の一言に脅えるお祖母さん)の続きです。

 

従って、昨日のブログ(http://ameblo.jp/hirosu/entry-12150007014.html

 


を先にお読みください。


そしてから下をお読み下さい。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■












 

[前回までのあらすじ

 

今から、11年以上も前の事です。

70歳になるという女性の相談は自分の生い立ちから話始まりました。

彼女が二十歳の時、新橋に住むお金持ちの男性と結婚したといいます。

ご主人の父親は当時闇市をやっていたそうで、そんな裕福な家に嫁いだ彼女でしたが、

結婚して5年経っても待望の子供が出来ません。義父は、まだかまだかの催促。

そんなある日、夫が2歳の可愛い女の子を、連れて来たのです。

「今日から、この子はウチの子だ。養女にしたから。」

私が夫に逆らえる訳がありません。ましてや、

義父からのプレッシャーから逃れられると思うと少しホッとした気持ちもあったと思います。

夫は、私に詳しい事は一切教えてくれませんでしたが、

時ある毎に夫の若い部下などから話を聞きだし何となく事情が分かってきました。

夫は義父の闇市の仕事を手伝っていたのですが、闇市は東京の色々な場所にあり、

それが新宿ゴールデン街にありました。夫は、そこで知り合った女性の子供を、

養女として引き取った様でした。多分夫はそこの娼婦に入れ込んだのでしょう。

もしくは私に子供が出来ないので子供が出来てもいいと思ったのかもしれません。

その後結局彼女は子供には恵まれずその養女を自分の娘の様にして育てたと言う。

ところが娘さんが中学生になった頃でした。家に1通の電報が届いたといいます。

それは今でも彼女の記憶に鮮明に残っているといいます。

ヨシダキヨという人からでした。「一目、娘に会いたい。」

それは、紛れも無く養女の本当の母親からだと直感したといいます。

帰宅した夫に、すぐにその電報を見せると、夫は、その電報を掴みとると、

「お前はなんもセンでもいい。あの子にも言うなよ。」

そう言って、黙って行ってしまいました。私には何も出来ませんでした。

ただ、娘に会った時、なぜか涙が一筋流れたのを思い出します。

それから何ヶ月かして、風の噂で、そのヨシダキヨさんという女性は、

誰にも看取られる事無く、独り下宿で結核で亡くなっていたそうです。

下宿が義父のものだったので、夫の部下が、始末した様です。

当時、部屋の消毒やら大変だった様で、多分間違いないと思います。

私はその時まで「なぜ夫に頼んで、娘を一目母親に会わせてあげなかったのかと」

ずっと後悔していましたが、その時から、「母親は結核だったのだから、

会わせなく良かったのだと」自分に言い聞かせる様にしました。

当時、結核は死病と言われていて、罹った人はまず助からず、


咳やタンから側にいる人にもうつるという恐ろしい病気だったんです。

それから、何事も起こらず、娘はすくすくと育ち、

娘さんが大学生の時に養女である事を話しました。しかし娘さんはそれを聞いても、

特に動じる事はなく、「そう。」と一言いうだけだったという。

その後、一人娘だった事もあり、婿を取る形で31歳の時に結婚。

翌年には孫も生まれました。私の記憶の中の忌まわしい出来事も、徐々に消え、

私は、ただ目の前の孫を可愛がるお婆ちゃんになっていました。

ところが、孫娘が中学生になったある日の事です。

娘(孫の母親)が自転車で転倒して、救急車で病院に運ばれたのです。

病院が中学校の側だった事もあり、孫娘は先に徒歩で病院に向い、

私はタクシーを呼ぶと、すぐに病院に駆け付けました。

聞くと、命には別状は無いとの事で、2階の大部屋に居るとの事でした。

そして、2階に着くと、なぜか、孫娘がポツンと廊下に立っているんです。

部屋が分からないのかとも思いましたが、

孫娘が立っているのは、まさに母親の病室の前でした。

下を向いている孫娘に、「どうしたの? 入らないの?」と声をかけました。

その時でした。病室に入らず廊下で待っていた孫娘が、

私に対して、恐ろしい事を言ったのです。














 

 

 

孫娘は、下を向きながら、私に、


「お母さんは、結核なの。

 そばに行くと病気がうつるから、

 会いたくても、会えないの。」




そう言ったのです。








私は、足が震えるほどビックリしました。






もちろん、母親は自転車から転倒しただけの軽い脳震盪です。


 

しかし、遠い昔、

私達が、実母が結核で最後に一度養女に会いたがっているのに、

会わせなかったという事実を思い出さない訳がありません。




 

それは、この孫娘が知るはずもない、

会った事も無いはずの、実の祖母の結核の事を、

なぜ、この時私に話したのか、なぜ知っているのか。



 

この事は、養女だった母親にも一度も言った事がありません。

だから、絶対この孫が知っているはずが無いのです。





孫娘は、その言葉を言うと、

やがて、廊下の床に倒れ込んでしまいました。





我に返った私が、娘を抱き起すと、

孫はすぐに気がつき、「あっ、おばあちゃん、来てたの。」と、

普段の孫娘に戻っていました。




 

あれから3ヵ月。


特に何も無く、時が過ぎています。

孫娘も、あれから変な事を口走る事もありません。





「でも先生、私は何か怖いんです。

 娘の中に、何かいるんじゃないか。

 私を怨んでいるヨシダキヨさんがいるんじゃないかと。

 だから、あれから娘と二人になるのが怖いんです。」



そう彼女は語った。









私はとりあえず、彼女に聞いてみた。

「お孫さんが、変な事を口走ったのは、その一回だけですか?」

「はい。あの時だけです。」

「ご主人は、ご健在ですか?」

「いえ、10年前に亡くなりました。」

「ご主人の死因は、結核じゃないですよね。」

「はい、胃ガンでした。」








私は感じたままを彼女に語った。

「貴方は、昔、養女を実母に会わせなかったという贖罪の気持ちが有る様ですが、

 私がここまでの貴方の話を聞いていて、

 その実母であるヨシダキヨの、貴方に対する強い怨みとか、

 復讐心という様なものがある様に感じ無いんですよね。」




■まず、現れるのがその1回だけで、しつこく無いですよね

■それに、なにより、孫娘さんが言った言葉です。

「そばに行くと病気がうつるから、会いたくても、会えないの。」って、

もし、ヨシダキヨの霊が言わせたものだとしても、

あの時の会えなかった事情を良く知っているという事です。

それに貴方を責めている言葉は含まれていません




多分、ヨシダキヨの霊が一時的に娘と孫に会いに来ていたのだと思います。





大丈夫ですよ。誰も貴方を怨んでいませんよ。

孫娘さんの中にも、ヨシダキヨさんの霊が憑りついている事は無いはずです。



 

 

ただ、

会いに来て欲しいのかもしれませんね



「娘さんを、ヨシダキヨさんのお墓か、

 新宿ゴールデン街に連れてった事は、ありますか?」

「無いです。どこのお墓があるかも分かりませんし。」

 

よく、相談者の方は、このお祖母さんの様に、

昔会わせられなかった事や、行けなかった事などを後悔している時があるが、

多くの場合、

今からでも、遅くないのである。


 

その後、彼女に色々昔の事を思い出してもらうと、

ある事が分かった。




 

それは、昔ヤスダキヨさんが亡くなった時、

部屋の中にあった数少ない遺品の中にお守りがあったという

それは下宿から歩いて行ける距離にあった花園神社の物だったそうだ。

多分、安産など何かあった時はいつも頼りにしていた場所だったのだろう。



 

私は、娘さんとお孫さんを、一度、

その花園神社に連れて行ってあげる様にアドバイスした。




そして、その時に、

ヤスダキヨさん、貴方の娘と孫ですよ。

 立派に育ったでしょ。」と言ってあげて下さい。




そうやって、ヨシダキヨさんの「一目、娘に会いたい。」という昔の願いを、

叶えさせてあげて下さい。

それはヨシダキヨさんを救うだけでなく、

多分貴方の心をも救う事になるはずですよ。



 


そして、そこで娘さんとお孫さんにお守りを買って、持たせてあげてください。



きっと、ヨシダキヨさんの霊は、娘さんとお孫さんを、

これからずっと守ってくれるはずですよ。





 

 

 

「会いに来てくれて、ありがとうね。


 こんなに、大きくなって・・・・・


END