●世界で一番醜い女(みにくい女)

 


このお話は、昨日のブログ(●眠れる森の美少年)の続きです。

 

従って、昨日のブログ(http://ameblo.jp/hirosu/entry-12148952448.html

 


を先にお読みください。


そしてから下をお読み下さい。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■





























 

[前回までのあらすじ

 

私がまだマレーシアにいった当初の頃に起きた事です。私が高校生一年の時でした。

中学時代はバスケ部でした。私はさっそくバスケ部に入部したのです。

複数の友人が出来ました。私はポジションで言うと、ガードでしたが、

私よりも少し背が高い、インド人の子がセンターをしていて、

彼とは、一番仲良くなりました。彼の家に遊びに行った事があるのですが、

彼の家は、お金持ちという訳ではなさそうでした。普通の家庭で、それも大家族。

7人兄弟の中で、インターナショナルスクールに行かせてもらっているのは、

彼だけで、それだけ家族の中の期待を一身に集めていたのかもしれません。

確かに彼はスポーツだけでなく、ハンサムで、頭もよく、

よくゲームをしては負かされていました。そんなある日、彼に異変が起きたのです。

学校居る時やクラブ活動中にも、彼は眠そうな時が頻繁に起こり、

早退する事が多くなっていたので、おかしいなとは思っていたのです。

やがて、彼は学校に来なくなったのです。私がお見舞いに行くと、彼は寝ていました。

お母さんは、ヒンズー語しか話せないので、お兄さんに話を聞くと、

彼はもう眠りについてから、18時間経っているとの事でした。

そして、次いつ起きるのか分からないと・・・・

私は30分程彼の部屋で待ちましたが、彼は目を覚ます事はありませんでした。

まだ中学生のハンサムな友人が眠りについている様は、

まさに、眠れる森の美少年でした。この病気は、私が知った当時はまだ、

男性だけがなる病気であるとされていましたので、

眠れる森の美女症候群という名前が付いたのは、ずっと後になってからです。

彼がクライン・レビン症候群になって学校を休んでいるというのは、

当時、校長先生とバスケ部の先生と、私を含めた2人の部員だけでした。

彼からの伝言で、他の人には絶対言わないで欲しいと口止めされていたのです。

やがて、彼は静かに独り学校を辞めていくのですが、

最後に一度だけ彼が調子が良い時に、学校に手続きに来たのですが、

その時、私にだけ色々な事を話してくれました。

学校を辞めたくなかった。とか、将来が不安という事でしたが、

その話の中で、1つ気になる事があったのです。

 

 

 












当時、私は彼の病気についての知識はまったくありませんでした。
 

ただ、眠る病気だとだけ知らされていて、
 

彼が患ったその病気は、滅多に無い奇病で、
 

インド国内でも、数える人しかなっていないという事でした。
 

だから治療をする為に、インドに帰らなければならないとだけ教えてもらいました。


 

 


そんな珍しい病気だと聞かされたのに、
 

彼は変な事を言ったのです。




 

 

それは、つい3ヶ月前、
 

インドに住んでいた親戚の子が交通事故で亡くなったのだけど、
 

その子は、僕と同じ眠り病だったんだ。



 

だから、僕もインドに帰って、彼が生前かかっていた医者に診てもらうんだ。
 

彼はそう言ったのです。




 


私が何かおかしいなと感じたのは、次の2点でした。
 

■まず、インドでも数人しかかかっていないという大変珍しい奇病が、
 

近い親族に2人。 えー、かなり確率低くない?

 

■それよりも、気になったのは、
 

眠り病だった親戚の子が亡くなった直後に、今度は彼が眠り病になった事です。
 

リレーのバトンじゃあるまいし、まるで病気のバトンを受け取ったみたいな現象。


 


もっと詳しく言えば、
 

親戚の子を頼って憑いていた霊が、
 

その親戚の子が亡くなったので、今度は彼を頼って来て憑いた感じがしたのだ。
 

そして、こういう医者もよく分からない謎の病気というのは、


 

霊障の場合である事がよくあるのである。


 


私は彼に、その親戚が子が病気になる前に、
 

誰か家族か先祖の方で、眠りながら亡くなった人とか、
 

眠りに関係して亡くなった人はいないか聞いてみた。



 

しかし、彼はマレーシアで生れていて、
 

インドにいる親戚とは1度しか会った事が無いので、まったく分からないと言う。


 


結局、彼とはその時会ったのが最後だった。 



翌週、インドに帰って行ったのだ。




 


眠り病の唯一の救いは、
 

この病気で死ぬという事は無いという事である。



 

いつの間にか、不思議とある日、フッと病状が無くなるというのだ。
 

ただ、それが5年後か、15年後か分からないと言う。


 

そういう治り方も、霊障が無くなる時と似ているのは、



偶然だろうか。


 


私はその時に思ったものである。

 


世界で、医者が分からない奇病と呼ばれている病気の、いくつかは
 

もしかしたら霊障なのかもしれない。と。

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんは、病気になって、絶望した事はありますか?

 


皆さんは、ネットでいじめられて、泣いた事はありますか?




 

 


今日の最後に、

 

その両方を体験した、ある少女の話をして終わりにしましょう。





 

 

 

去年の2015年、このマレーシアで、
 

ナショナル功績議会が開かれました。

 

 


数々の博士や教授が招かれた中で、
 

 

1人の若い少女も、講演者として招かれました。



 

 

しかし、その少女のスピーチは、会場の中の誰のスピーチよりも、
 

人々の賞賛を受けたのです。

 

 

 

 

彼女の名前は、リジー・ベラスケスさん26歳。
 

 

 

 

1989年、テキサス州サンアントニオ市で生まれた
 

リジー・ベラスケスさんは、4週間の早産でした。

 

 

母親の胎内にいた頃、すでに羊水が無く、
 

医者からは、生まれてきた事自体が、奇跡と言われたそうです。



 

 

その為、遺伝子異常による極めて稀な早発早老症を患っており、
 

世界で僅か3人しかかかっていないという難病「新生児早老症様症候群」になった。
 

皮膚は光過敏性の皮膚炎を生じ、老化が早くから始まる彼女の難病は、
 

体脂肪を蓄積することが出来ない体で、他にも生理的欠陥があり、
 

彼女には栄養を蓄える脂肪組織がまったくありません。
 

食事から栄養がほとんど取れない為、毎日60回食事を取らなければならないという
 

食欲がなくても食べなければ、それだけで免疫力が低下して命の危険もあるという。
 

しかし、それだけ摂取しても皮下脂肪は0パーセントで、
 

急激に進行する白内障で右目は、13歳の時に失明
 

残った左目の視力も現在はごく僅かだといいます。
 

寿命は10歳代後半から20歳代前半とされていて、
 

現在、有効な治療法は1つも無い。



 

 

 

 

生まれてすぐ、両親は医者から残酷な事を言われます。



 

 

お嬢さんは、これからの人生、
 

一生歩く事も、話したりする事も、
 

ハイハイする事もできない子になるでしょう。
 

ましてや普通の生活など送るなどは、絶望的です。」と告知したのです。
 

医師たちは、この子がどうやって生き延びるか想像もつかないと言います。




 

 


この時の事を、Lizzie は後にこう語っています。

 


「私がここまで生きて来れたのも、すべて両親の偉大な愛があったからです。
 

 両親のお陰です。」と。

 

 

 

医者に残酷な告知をされたLizzie の両親は、
 

何も言わず、ただただ、小さい赤ちゃんを抱きしめて、
 

私の大事な、大事な娘です。
 

そう言って、すぐ家へ連れて帰り、抱きしめ続けたと言う。




 


4週間早く生まれてきた、小さな、小さな赤ちゃん。
 

ベビ-服はみな大きすぎて、合うものは1つもありませんでした。
 

そこで、町中のおもちゃ屋さんをまわって、
 

お人形さんの服を買わなければなりませんでした。

リジー1 
娘をただ愛する両親と、
 

そんな親の愛情に答えたいと思う小さな赤ちゃん。

 

 

それが奇跡を呼んだのでしょうか。





 

 

なんと、彼女は医者達の予想を覆して、


生きて、生きて生き延びたのです。


 

 

身体は本当にとても小さいままなのですが、
 

内臓も、脳も骨も普通に成長したのです。
 

 医者は口々に奇跡が起きたと言ったという。

 

 

ご両親は彼女をとても愛し、
 

リジーを障害者や病人としてではなく、
 

普通の子どもとして彼女を育てました。



 

しかし、幼稚園に入園したリジーさんには、更なる試練が待ち受けていました。


 

 


リジーは、幼稚園では、普通に振る舞うのですが、
 

周りの反応は、やはり普通とは違いました。


 


他の子どもから怖がられたり、嫌われたりしたのです。
 

いじめたり、醜いと言われたり、
 

指を差されて、怪物だぁ!!」と言うので、悲しくなります。
 

 

「私の何がいけないの?
 

 私が何かした?
 

 なぜ嫌うの?」
 

 

母親は、リジーを座らせると、言いました。

 

 

「リジー、あなたが他の子と違うのはね、ただ痩せているという事だけなのよ。
 


 病気はあるけど、それで貴方がどういう子か決まったりはしないのよ。」



 

 


「学校に行きなさい、貴方は何も悪いことはしていないの。
 

 だから顔を上げて、いつも明るく笑うの。
 

 そうすれば周りも同じなんだと分かってくれるはずよ。」


 

 

リジーは自分がまさか難病に冒されているなどと
 

思ってもいませんでした。
 

 


幼いリジーはカトリック信者でした。
 

毎晩、神さまに、
 

明日は普通の子になっていますように。」と祈りました。

 

 


しかし、毎朝起きると、変わっていない自分を見て、がっかりしたそうです。
 

 


幼い頃から何度も入退院を繰り返し治療を続けてきて、
 

病気と闘いながらも普通の生活を送ろうとしていた彼女。
 


高校生のときに2度の大きな手術を受けました。
 


しかし、病状は改善されませんでした。


 

 

そんな彼女が、17歳になったある日、
 

彼女が今まで想像もしなかった様な、突然の悲劇が彼女を襲って来たのです。



 

 

 

学校にいる自分の顔を、誰かによって盗撮された映像が、
 


インターネット上に勝手に投稿され、
 


世界中に公開されていたのだ。


それも、そのタイトルが、

 

 

 

 

 

 

 

 


世界で一番醜い女として。

リジー2 
 

 

そのコメント欄には、彼女を傷付ける、ものすごい数のコメントが並んでいた。
 


画像を見たネットユーザー達に笑われ、バカにされていたのだ。
 


それらの言葉が、更にLizzieを悲しませた。



 

 


「リジー お願い どうかお願い

世界の為だと思って 拳銃で自殺してね」(米国)
 

 


他にも、

 

 

「彼女の両親が彼女を捨てていないのはなぜだ? 
 

 彼女は生まれてすぐに、殺されるべきだった。」(中国)

 

 

 

「世界にお願いしたいです、コイツの頭に拳銃の玉をぶち込んでくれ!」(米国)
 

「世界一不細工ながこんなかんじじゃなかったか??」(日本)
 

「マジでwこえーだろw 下手な死体画像より怖い」(日本)
 

「子供の頃に、みんな捨てるんじゃなかったのかよ!」 (中国)
 

「うわっ、なんだこいつ? 干物のたたりか?」(日本)
 

「世界一醜い犬コンテスト三連覇の犬に似てるよな 」(日本)
 

「飯食いながらこれ見たら吐いたわ?」(日本)
 

「そいつを火で燃やしてしまえ!」
 

彼女は、自殺すべきだ!!
 

 


見るに耐えない恐ろしい内容の悪罵が世界中から集まっていた。
 

 


これを見たリジーは、毎晩、泣き続けました。
 

もう私の人生は終わった。と思ったという。


 


まだ17歳の少女にとって、その言葉の数々が、
 

どれだけ残酷で衝撃的なものだったのか、私には想像も出来ません。



 

 


そんな時だった。

 

 

アメリカ合衆国ミズーリ州で一人の少女が、
 

ネットいじめに遭い、自殺に追い込まれていた。

 

少女の名はメーガン・マイヤー(13)ちゃん。
 

当時彼女は、注意欠陥障害(ADHD)やうつ病を患っていたが、
 

近所に住むローリ・ドリュー(47)という主婦から壮絶なネットいじめを受けて亡くなったのだ。
 

「お前のような人は生きる資格がないぜ!死んだら少しは世の中スッキリすらぁ。」
 

「ミーガンはデブだ」
 

「お前なんか、この世にいなくていい」
 

というようなことまで書いてあったそうです。



 


リジーは、そのニュースを聞くと、自分の事の様に悲しみ
 

娘を失くした母親と、一緒にこういった卑劣ないじめに立ち向かおうと決心する。
 

いじめを失くす活動に取り組む事にしたのです。

 

 

この決意はリジーさんの新たな人生の始まりでした。
 

 

 


私は長い間、泣き暮れましたが、どこか吹っ切れて見返してやろうと思いました。
 

 


Lizzieは気づいたという。
 

自分自身を決めるのは、他人ではなく、自分自身であるという事を。

 

 


その日から、彼女はありのままの自分を、全世界に発信する事にした。
 

病気の事、自分に向けられた悪意にひどく傷ついた事。
 

生まれてから経験したさまざまな苦しみを、彼女はYouTube上でその全てを告白しました。

 

 

“醜い”とは、一体なんでしょうか?
 


人生に幸せを感じられるのは、どんな時なのでしょうか?
 

私が思うに、外見や病気は関係ない自分の人生は自分の選択で決まるんです。
 

自分らしさは、目標や成功、やり遂げたことで決まるのであって、
 

私を誹謗中傷した人達には、決められない事なんです。

 

 

世界で一番醜い女性」と呼ばれた彼女は、

 

今や勇敢にインタビューにも応じます。
 

自分の中に幸せを見出し、自分の人生を自らコントロールするようになれば、
 

いじめる側の者達は常に負けるのだ、と彼女は言う。

リジー3 

私の話を聞いてくれる人がいる限り、私はいくらでも出かけて行って話しますよ。
 

私の母が、ファイティングスピリットを私に教えてくれたおかげで、
 

皆さんの前で、胸を張って話す事が出来るんです。
 

 

1000人の前で講演をしていても、
 

そこに来た、たった1人の絶望した人を勇気づけることが出来るならそれでいいんです。
 

私にとって、その1人を助ける事が重要なんです。」


 

 

病気や壮絶ないじめの体験など、自分の事をありのままに打ち明けました。
 

YouTubeにアップしたところ、爆発的にヒット。
 

彼女のYouTubeチャンネルのフォロワー数は、30万人以上にまで膨れ上がったのだ。
 

こうして、リジーは同じような悩みを経験をしている多くの若者に勇気を与え、
 

孤独を乗り越えた彼女のメッセージは、世界中の人々の心の支えになった。

リジー5 
 
世界で一番醜い女」として笑われた彼女は、
 

今や、逆に

世界で一番美しい強い心と称賛される様になったのである。


 

 

医者たちも「彼女の前向きな気持ちが、彼女の人生を支えている」と語り、
 

「彼女が生きている事、それだけでも奇跡だ」と称賛している。



 

 


2年前には、体内で血液が生成されない状態に陥り、
 

血液の半分を輸血で補ったリジーさんだが、
 

今まで自分の体の事で、ヤケになった事は、一度も無いという。


 

病気は祝福すべきもの。
 

 病気は私に、人生の大切さを教えてくれる。」

 

と、あくまで前向きである。



 


ある記者が彼女に、
 

「貴方の病気は、長く生きても20代後半までしか生きられず、
 

 しかも残念ながら、
 

 治療する方法は、現在の医療では見つかっていないそうですよ。」
 

と言うと彼女は、



 

 


「That’s OK!」(それでもいいわ





 

 

それでも、私は幸せです

 


左目はまだ少し見えるのよ。
 

 

それに、
 

 

髪も綺麗でしょ。 と、微笑んだ。


 

 

 


彼女はいつも、スピーチの最後は、皆にこう語っている。

 

 

“If I live my life the way I do,
 

  you can do it too, no matter what.”



 

 

こんな私でも、生きているのだから
 


貴方だって、大丈夫。 

何でも出来るのよ。

リジー4 
Elizabeth Ann Lizzie Velasquez

 

 

END


参考:http://latino.foxnews.com/latino/lifestyle/2014/05/30/lizzie-velasquez-once-called-ugliest-woman-in-world-takes-her-life-to-big/
https://www.pinterest.com/pin/503558802060812184/