●手遅れだった思い出
医者もそうだろうが、
占いをしていると、時々、
「ああ、もうこのケースは手遅れだな。」
と言わざるを得ない事がある。
つまり、せっかく相談頂いたのだが、
残念ながら、手遅れという場合である。
もうだいぶ前の事になるが、
私が所沢に住んでいた頃、
近くに相沢さんと言う家族が住んでいて、
そこのお兄さんがとても性格の良い人で、
優しくて、いつもニコニコしてたのが印象的だった。
そのお兄さんの義理の弟さんが、私と同じ年だったので、
彼の家に行く機会がたまたまあり、知り合ったのである。
私個人としては、弟さんの事は余り好きでは無かったが、
彼の義理のお兄さんが好きだったので、夏は彼の家によく行ったものである。
そんな時は、いつもその優しいお兄さんが、
私達を色々な所に連れて行ってくれた。
山登りや、花火大会、特に私が入れ込んだのは、
オリエンテーリングだった。
オリエンテーリングとは、地図と磁石を使って、
山などに設置されているポイントを見つけて回るスポーツで、
はやく全ポイントを発見して戻って来たチームの勝ちとなる競技だ。
ただの山歩きを、スポーツにして楽しもうというもので、
オリエンテーリング部なるものがある大学もある。
私がオリエンテーリングをやる時は、いつもお兄さんと組みたくて、
わざと弟さんを焚きつける様な事言って、勝負だと別れて戦う様に仕向けたものだった。
でもお兄さんはオリエンテーリングも、とてもうまく、
なにより地図を読むのが絶妙で、このコースは近いが、等高線から見ると、
崖がキツイから、回り道をしようなど、ことごとく作戦が的中して、
いつも私達チームが勝ったものだった。
ただ、相沢さんの家庭は、
ちょっとだけ複雑な事情があった。
彼の家庭は4人家族だが、
父親は再婚で、その時の父親の連れ子がお兄さんで、
結婚後生れたのが、私とタメの弟さんである。
つまり、お兄さんにとっては、今のお母さんは継母な訳である。
しかし、私がお兄さんと出会った時は、
家族4人とても仲が良かった。
新しいお母さんは、とても豪快な人で、
小さな事は余り気にしないという感じの男勝りな感じのお母さんで、
家から徒歩30分位の所に、洋服屋さんを営んでいて、
よくお兄ちゃんが、大学に行きながらその店を手伝っていたを見かけて、
私に気づくと、「今、お客いないから」と言って、話し相手になってくれたり、
コーラを奢ってくれたりした。
私はそんなお兄ちゃんが大好きだった。
ところがある日、
冬だったと思うが、
弟さんから、兄さんが家を出るかもしれないという相談を受けたのである。
実は、二ヶ月前程から、
「最近、家の中でもめ事が多いんだ。」という事は聞いていたのだが、
何処にでもある様な、家庭の茶飯事程度に思っていた。
しかし思っていたよりも、深刻な状態だったのである。
私は直ぐにお兄ちゃんの家に向った。
お兄ちゃんは、まだ家に居たが、
既に荷物をまとめて、家を出て行く寸前だった。
私に気づいたお兄ちゃんは、
「ああ、ひろちゃん、
今までありがとう。元気でね。」と言ったので、
私は、ただ一言、
「どうして・・・ どうして」
と聞くのが精いっぱいだった。
お兄ちゃんは、その質問には答えず、
荷物のリュックの中に手を入れて、
ゴソゴソ何かを探して、やっと取り出すと、
私に、「これ、あげる。」と何か入った袋を渡すと、
静かに家を出て行ったのである。
いつもニコニコしていたお兄さんの顔が、少し涙目で悲しそうだった。
これが、私がお兄ちゃんを見た最後だった。
あれほど、仲が良いと思っていた家族4人なのに、
なぜ、お兄ちゃんは家を出なければならなかったのか。
私にはその時、分からなかった。
あんなに優しくて、性格が良くて、家族の手伝いも良くしていたお兄ちゃんが、
なぜ、家を出なければならなかったのか。
その夜は、誰もが無言で、
私も詳しい理由などを聞く事も出来なかったが、
それから何日かして、
段々とお兄ちゃんが家を出て行った経緯が分かって来た。
2ヵ月位前頃から、
何となくお兄ちゃんと継母の間で、口喧嘩が多くなったという。
もともと継母は、男勝りがある感じの女性だったので、
口喧嘩は負けていない。
一度喧嘩が始まると、大人しい父親は仲裁も出来なかったという。
さすがに、殴り合いまでは無かったものの、
家に居ても、食事の時はお互い無言で、
気まずい空気が、食卓に充満していたという。
それでも、お兄ちゃんは継母の店を手伝っていたのだが、
1ヵ月前、店で決定的な事件が発生してしまったのだ。
この大事件が引き金になって、
お兄ちゃんは、家を出た事が分かったのである。
後半は、明日のブログに続く。