●自動販売機用のコイン
このお話は、昨日のブログ(●地震を予知する少年)の続きです。
従って、昨日のブログ(http://ameblo.jp/hirosu/entry-12116065028.html)
を先にお読みください。
そしてから下をお読み下さい。
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[前回までのあらすじ]
ある時、こんな電話相談を受けました。中学生の息子さんが、
地震の予知夢を見てからノイローゼになって困っているというのです。
息子さんが最初に、その地震の予知夢を見たのは、約2ヶ月前だったといいます。
前の日まで、普通の元気で優しい中学生だった息子さんが、
朝起きると急に私の所に来て「母さん、もうすぐ大きな地震が来るよ。怖いよ。
みんな死んじゃうよ。」と言い出したのです。どこに地震が起きるの?と聞くと、
「ここだよ。この家も潰れちゃうよ。」と言うのです。
それを聞いた私も夫も、半信半疑でしたが、当の息子は、真剣そのものなんです。
そして、大地震の予知夢は毎日の様に見るのだと言うのです。
その日以来、息子さんは地震恐怖症になってしまったという。
家のタンスや食器棚は転倒するからと、
自分の小遣いで、家具転倒防止の器具を買って取り付け、
地震の時の避難所やその経路などを調べて、私たちにも覚えさせたり、
非常用の食料や水を用意する様にせがんだりしたという。
また家具ある自分の部屋は危ないと言い出し、
家具が倒れてきそうもない応接間のソファーで寝る様になった。
それでも寝ている間に地震が来ると言い出し、
夜通し応接間の明かりが点いている事が多いと言う。
それでもこの家は危ないと言い、一日中近くの公園に居た事もあったという。
ところが、1週間経っても、2週間経っても、小さい地震ひとつ来ない。
その事を息子に聞いても、「もうすぐ来る。怖いよ。」と言うだけで、
正確にいつ地震が起きるという事は、言わないのだという。
やがて、地震が起きないまま1ヵ月が過ぎた頃、違う問題も出て来た。
息子さんはどうやら学校や近所でも、もうすぐ大地震が来ると風潮していた様で、
ある日、彼女が美容院に行った時ばったり同級生の母親と一緒になり、その時に、
貴方の息子さんが、いじめまではいってないけど、
いつも、「もうすぐ大地震が来る」と言っているので、
嘘つきと呼ばれし出している様よ。と教えてもらったという。
普通、予知夢を見ても、1ヵ月も外れていると、自然と気にしなくなるものだが、
彼の場合、最初に見た時も、今も変わらず真剣に言い続けているのだという。
このまま息子が、来もしない大地震の事を言い続けたら、
いじめにもあい、高校でも苦労するのではないか。と思い、
予知夢について、色々調べたり、相談したりしたという。
私もこの相談を頂いた時、予知夢の相談は、時々受けた事があるのだが、
それが恐怖症にまで発展してしまった例は、彼が初めてだった。
毎日見ると言う予知夢。いったいこれはどういう意味なのか。
やがて、驚くべき真相が明らかになる。
さて、会話の中で、
お母さんが、息子さんに、
地震は正確にいつ来るのか聞いても、答えてくれない。という部分がありました。
しかし、私からみると、息子さんは答えているんです。
どういう事かと言うと、息子さんは、
「もうすぐ大地震が来る」と言っているのです。
もうすぐという時間は、
明日、明後日、少なくても1週間という感覚です。
つまり、
私が感じたのは、
息子さんの予知夢は、外れているという事です。
では、なぜ外れている予知夢を何回も見るのでしょうか。
しかも、息子さんは恐怖症にでなっているのです。
もはやこれは予知夢では無いのではないかと思いました。
繰り返し見る夢は、何かしら意味があると言われています。
となると、これにはどんな意味が隠れているのだろう。
そんな事を考えていましたが、
実際はさっぱり分かりませんでした。
こういう場合、謎を解くカギは、
いつからその予知夢を見始めたかという事を考えるといい場合があります。
そこで、彼女に、
息子さんは2ヵ月前から、地震の予知夢を見る様になったそうですが、
その日か、その前日~1週間の間に、
息子さんに何か変わった事はありませんでしたか?と聞いてみました。
すると、お母さんは、
息子は予知夢を見る前日まで、修学旅行に行っていて、
変わった事があったかどうかは分からないと言うのです。
それを聞いた瞬間思いました。
修学旅行から帰った時から予知夢を見だしたというのは、
とても偶然とは思えない。
きっと何か修学旅行であったのだろう。と。
そこで、まず息子さんは、どこに修学旅行に行かれたのか聞くと、
京都・大阪、そして最後の地が神戸だといいます。
地震と神戸という2つのキーワードが出て来ると、
誰でも思うのが、あの阪神・淡路大震災です。
阪神・淡路大震災では、6400人以上が亡くなっています。
その後の二次災害を含めるともっとでしょう。
この震災の中心部の神戸を訪れた次の日から、
地震の予知夢を見る様になったのは、多分偶然では無いはず。
何かの霊を拾ってきた可能性はあります。
そこで、お母さんに息子さんの事を聞くと、
息子さんは小さい頃から別に霊を見るとか、変な行動を起こす様な事は無いし、
霊感も全然無い子だとの事。
普通の霊感も何も無い人は、例え沢山の死者が出た所に観光に行ったとしても、
そう簡単に霊を自宅に持ち帰るという事はありません。
では、息子さんはどうしてこうなってしまったのでしょうか。
そこで、もう1つの可能性を考えてみました。
「もしかして、神戸の震災で、
貴方の親族か友人が亡くなっていませんか?」
すると、
神戸に住んでいた従姉妹家族が、震災で亡くなっているというのです。
私は、それだと感じました。
時として、家族全員が亡くなると、その後の供養が余りされない事があります。
それで家族の中の誰かが、無念の内に不成仏霊となっていたのでしょう。
そんな時、
修学旅行で親族である家の息子さんが、その地を訪れた。
こういう時、他人には訴えなくても、
親族には、自分の無念や悲しみなどを聞いて欲しい、
せめて供養して欲しいと、頼って来てしまう事がよくあるのです。
私は彼女に、息子さんと一緒に、
神戸の震災で亡くなった家族を供養してあげる様にアドバイスしました。
1週間ほど供養したその夜から、
息子さんが地震の予知夢を見る事は無くなったといいます。
最後に、
阪神・淡路大震災の時の経験が現在にいかされている事があります。
それを伝えて終わりにしたいと思います。
阪神・淡路大震災の前年に、
アメリカのロサンゼルスで起きたノースリッジ沖地震が発生。
その時、暴動が起き、スーパーマーケットが襲われるなどの略奪が起きました。
しかし、阪神・淡路大震災では、
略奪もなかったし、みな整然と行列に並んで、
配給物資を受け取っていたといいます。
これは東日本大震災でも同じで、
神戸市民も、東北市民もとても立派だったといいます。
この陰には、銀行の積極的な協力があった事を指摘する人もいます。
例えば、阪神・淡路大震災では、
ほぼ全ての銀行業務がストップした。
その時、日本銀行・神戸支店長の遠藤勝裕氏は、
日本銀行だけは建物が安全だと分かると、
直ぐに建物を他に銀行14行に臨時窓口が開設出来る様に解放して、
当時日銀に保管されていた1兆5千億円を多くの被災した人が、
直ぐにお金をおろせるようにさせたといいます。
これは日銀にとって、戦後の日本で初めての行動でした。
ところが、窓口に、
火事で通帳や印鑑が無いというお婆さんが来ました。
そこで、遠藤氏は更に「金融特別措置」を実施。
火事や家の倒壊で、通帳や印鑑を失くした人や、
預金通帳を焼失した場合でも、何らかの方法で預金者であることを確認して
その人に払い戻しに応じてあげる事を指示、
たとえ口頭での確認も、その人を信じて、
お金を出してあげるよう各銀行に指示を出しました。
半分焼けた紙幣を持ちこんだ人にも普通の紙幣と交換する様に伝えました。
また、彼は震災後、市内を歩いて視察していると、
コインを持っていない被災者が、自動販売機の前で、
飲み物が買えずに困っている様子と出会ったと言う。
「そうか、物があってお金がないと暴動が起こるな」と思い。
直ぐに銀行協会に申し入れて、
100円玉9枚と十10円玉10枚を入れた1000円分の袋を4000袋つくり、
避難所に行って「銀行協会からの義援金でございます」と配ったという。
しかし、これらは全て今まで一般人とは取引しないという、
日銀には前例にない出来事ばかりで、
こんな事が全て、日銀本店や大蔵省本省が直ぐに許可する訳がありません。
上層部は、彼が勝手にやった事で、クビに値すると判断。
彼の行いは、日銀に対する背任行為であり、
日銀上層部では彼を即解任すべきと検討されていたといいます。
ところが、
一部のマスコミや神戸の方がその噂を聞きつけ、
今度は、そんな日銀に批判が集中したのである。
「遠藤さんを辞めさせると聞いたけど、それは本当なのか?」
「彼がいたから、助かったのに」
「彼こそが、日銀総裁になるべきだ!」
やがて、その声によって、彼には責任は無かったとなった。
その後に起きた東日本大震災でも、遠藤氏と同じように、
困っている被災者に、コインを配布した銀行があった。
それらのコインを受け取った市民は、
その銀行の恩を忘れてはいなかったのである。
その後、その銀行に預ける人が多くなり、預金高が震災前よりも増えたという。
この自動販売機のコインの教訓は、
現在にいかされている。
全国の多くの自動販売機は、現在、
震度6弱以上の地震が起きた時、無料で被災者に提供される様になっている
機械が増えているのだ。
当時、日銀本店や大蔵省本省からは、背任行為だと責められた遠藤氏だったが、
あの被災現場にいた銀行員達には、慕われていたという。
ある銀行員は、遠藤氏が語った言葉で、今でも印象に残っているものがあるという。
彼が当時遠藤氏に電話して、こう聞いたという。
「通帳や印鑑を失くした人にもお金を渡すって、大丈夫ですか?」
「もし嘘(ウソ)をつかれたら、どうするんですか?」
それに対して、
遠藤氏は静かにこう答えたという。
「義援金だと思って、渡してあげて下さい。」
JASSOのHPより
END