●水1杯の判断

 


このお話は、昨日のブログ(●庭が泣いている。)の続きです。


 

従って、昨日のブログ(http://ameblo.jp/hirosu/entry-12095263425.html


 


を先にお読みください。


そしてから下をお読み下さい。
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[前回までのあらすじ

 


ある主婦の方からの電話でした。

彼女の5歳になる次女が、喘息(ぜんそく)の様な奇妙な病気になったというのです。



奇妙だというのは医者に連れて行くと、まったく喘息の症状は無いというのである。


しかし、家に帰って来ると、また喘息の症状が現れるというのだ。

とにかく、家に居る時だけ娘が苦しがるというのである。

彼女はある不思議な話をし始めたのである。それは、2ヵ月前の事だったという。

玄関のベルが鳴ったので、ドアフォンのカメラで確かめると、

1人のお坊さん見たいな、修行僧らしき男の人が立っていたという。

その修行僧は、一言「お水を1杯いただけませんか。」と言ったという。

奥さんは、変な人だなと思いながらもお水をグラスに1杯入れようとした時だった。

横からお祖母ちゃんが「ちょっと待って。」と言って縁側の方に行ったという。

祖母は縁側を開けて、その修行僧らしき人に、

「お水じゃなくて、お茶もありますがいかがですか?」と聞いたという。

すると、その男は、「そうですか。ではお茶を頂きます。」

やがて、祖母がお茶を入れ、祖母が直接その修行僧にお茶をあげた。

男は、茶を飲みながら、ただただ、庭を眺めていたという。

やがて、その修行僧らしき男はお茶を飲み終えると、変な事を聞いてきたのです。

「この家には幼い子供はおりますか?」「はい。5歳になる娘がいますが」と言うと、

「そのお子さん、何かの病気ではありませんか?」と言ったという。

「いえ、元気ですよ。」と奥さん。すると、その修行僧の男は、

「そうですか。それは良かった。」そう言って、腰を上げ、

茶の礼を言うと、門の方に歩いていったといいます。

その時だった。祖母が何を思ったのか、その修行僧を呼び止めて、

「あのう、ちなみに、どうして子供が病気だと思ったのでしょうか。

 良かったら、教えてもらえまえせんか。」と聞いたという。

すると、その修行僧は「いや、何でも無いのなら、気にする事はありません。

ただ、庭が泣いていたので・・・・」そう言って、去って行ったという。

それから1ヵ月が経った頃、急に5歳の娘にあの喘息の症状が出始めたのである。

どの病院に行っても、異常が認められないのに家にいる娘は苦しがっているのである。

そんな姿を目の前にした時、あの時修行僧が言った、

「そのお子さん、何かの病気ではありませんか?」という言葉を思い出した。

そして、あの言葉、「庭が泣いていたので・・・」という不思議なフレーズ。

それから、彼女は色々な人に聞いて回ったという。

会社の人や、庭師の人、占い師、神社の神主さん。

でも、誰も分かる人はいなかったという。やがて雑誌に載っていた私にあたったという。

なんとはるばる奈良から電話してきたのか!

急にご主人に変わり、「是非お願いします。交通費とは別に3万円お支払しますので、

 なんとか来て見て欲しいのですが。」と頼んできた。

私は意を決して、奈良に行く事にした。

あの修行僧の男は、いったい庭で何を感じて、何を見たのだろうか!






























 

 

 

 

翌週、私は電車の中に居た。



 

東京駅から新幹線に乗車し京都駅。

そこから奈良線に乗り換えた。



先方の家は、奈良県の橿原市(かしはらし)だという。


この時点で、往復3万円をゆうに超えていた。

先方は交通費がこんなにかかると知っているのだろか心配になる。


いずれにしろ、約束したので行かない訳にはいかない。

電車の中で、あの庭の事を考えていた。

私が最初に思ったのは、

庭の手入れが余りされていないのではないか。という事だった。

庭の手入れがされてなくて、草ボウボウになっていて、

せっかくの良い「庭が泣いている」という意味じゃないだろうか。





しかし、この考えは直ぐに打ち消された。

そういえば、彼女は庭が泣いているという言葉が気になってから、

会社の人や、庭師の人、占い師、神社の神主さんに聞きまわったと言っていた。

つまり、プロの庭師が見ているのである。

庭の手入れをしなくて、庭が泣いているのなら、すぐに指摘されただろう。




 

やはり、現場の庭を見てみないと分からない。

今は寝ておこう。

でも、さすが歴史がある奈良県である。

過ぎていく電車の駅名が、まったく読めない。

私の国語力が弱いのもあるだろうが、難しい駅名が多い。

目的地の到着駅の名前なんか、とても読めたもんではなかった。

畝傍駅(うねびえき)に着いた時には、すっかりお腹が空いていた。





 

しかし、食べる訳にはいかない。

空腹の方が、感覚が鋭いのだ。

満腹になっては、感じるものも感じられなくなってしまう。

飲み物だけにして、先方に駅に着いた事を連絡した。





畝傍駅は結構大きい駅で待合室も大きかった。

それよりも、時間があったので、見て回ると、

なんと駅舎内に貴賓室というものがある。

説明を読むと、昔、神武天皇陵への最寄駅だった為に、



皇族が参拝する時の為に設けられたという。

どうやら由緒正しい駅らしい。




そこで待っていると、奥さんが車で迎えに来てくれた。




 

しばらくすると、2階建ての一軒家の前に着いた。

庭も広そうで、立派な家である。






そして、ここに着いたのが、午後2時頃だった。

実はこの時間にも意味がある。




この時点で、どうして私が午後2時にこの家に着くようにしたのか、

ここから下を見ないで答えられる人は、凄い才能の持ち主と言えましょう。











 

 

 

 

 


車を降りると、奥さんが、

どうぞどうぞと、玄関を開けて家の中に案内してくれた。










しかし、私はそれを断った。





それには理由がある。





皆さんは、テレビドラマの刑事コロンボをご存じだと思います。


刑事コロンボは、拳銃の腕は下の下。

格闘術も余り出来ない。血を見るのも苦手という刑事です。

なのに、どうして他の刑事よりも優秀だと思いますか?




実は、刑事コロンボには、他の刑事よりも優秀な捜査方法の1つに、

再現を大事にするという信念があるのです。



どういう事かというと、

コロンボは殺人課(日本で言えば捜査第一課)なので、



当然現場に行けば、死体がある訳ですが、


コロンボは現場に着くと、まず死体の気持ちになるのです。

死体が生きていた時から、死ぬまでを

自分がその死体の人物になって、心の中で再現させるのです。

だから、他の普通の刑事が、これは自殺ですね。と言っても、

おかしいなぁ。僕だったら、死ぬ前にこんな本は読まないとおもうなぁ。とか、

死ぬ前に睡眠薬飲むかなぁ。という疑問が出てくるのです。


やがてその小さな疑問の積み重ねが、謎を解いていくという訳です。






 

では、刑事コロンボと、私が玄関から家の中に入らなかったのと、

どういう関係があるかと言うと、



当時、修行僧の男の人は、

門から入ったけど、家の中には入らず、

庭先の縁側に直行してお茶をご馳走になったのです。

つまり、謎を解くなら、当時の修行僧と同じ行動をとった方がいいと思ったからでした。




そして、奥さんに聞くと、

当時その修行僧がこの家に来たのが、午後2時位だったというので、

私も午後2時に、この家に着く様に来たという訳です。






さっそく私も、門から入ると、

庭の方に直行しました。

「修行僧の方が腰かけたのは、この辺りですか?」

「もうちょっとこっちです。」とお祖母さん。

「どっちの方を向いていました。?」

「主にあっちの方を見てましたね。」とお祖母さん。






2ヵ月間というギャップはあるが、

とりあえず、私はその時の修行僧と同じ時間、同じ場所に座った。

そして、庭を見まわした。

 

 

私はただただ、無になって庭を見た。

庭には大きな木が2本と、その他もろもろの木々、

芝生と花壇と、右手に灯篭が1つ建っていた。



 

 

 

5分経った。






 


やがて、修行僧が茶を受け取った位の時間に、

私も茶を貰った。






ゆっくりと茶を飲んだ。




しかし、分からないのだ。


なんだこりゃぁ。




どう見ても普通のただの庭だろう。

どこが、「庭が泣いている」んだろうか。





 


庭が泣いているという事だったので、

きっと池があるのか、井戸があるのか、

庭がジメッと湿っているのかと思っていたが、

池も無ければ井戸も無いし、庭も乾いた庭なのである。





 


イカン!、全然分からない。


庭よりもオレの方が泣きたくなってきたなぁ。







 

 

これだけ交通費をかけてやって来たんだ。

何も分かりませんでしたでは済まんぞぉ。こりゃ。




 


こりゃ、のんびり茶飲んでる場合じゃねぇぞぉー!






だいたい、修行をかなり積んだ修行僧と同じようにしてて、

分かる訳ないか。


もう刑事コロンボどうでもいいや。





 


私なりのやり方に変えた。






まず、のんびり縁側に座ってなどいられんわ。

さっそく木々の1本1本の近くに行って見てみた。

2本の大きな木はだいぶ昔からここにある様で立派だった。

それに比べて、その周りにある木々は貧弱で枯れそうである。

聞くと外からの目隠しの為に、後からそれらの木を植えたという。




 

花壇は手入れもされていて、問題なさそうだった。




芝生も問題ないだろう。




嫌な感じのする庭石も無い。


 

灯篭は夜明かりが点く様になっているという。

灯籠 

ただ、灯篭の近くに行った時、

若干だが、動物の臭いがした




 

そこで、奥さんにこの家にペットはいますか?と聞くと、

前は犬がいたが、1年前に死んで今はいないという。

なるほど、

「その亡くなった犬は、どうされましたか?」

すると、

その灯篭の後ろ辺りに埋めたという。

なるほど、もう一度灯篭の側に行って見ると、

灯篭の後ろ辺りに、木で作った十字架が土に刺してあった。




 

私なりにこの庭を見て考えた場合、

2つの悪い所がありますと、彼女とお祖母さんに言った。


■まず、1つは灯篭である。

亡くなったペットを庭に埋めるのは許せるとして、

灯篭の下辺りに埋めるのは良く無いのである。

飼い主にしてみれば、明るくしてあげたいのだろうが、

灯篭の下にペットの死体を埋めると、

他の動物霊が寄ってきてしまうのだ。



そして、その中で余り良く無い動物霊が寄ってきて居ついてしまった場合、


その家で一番弱い人間に影響する事があるのである。

だから、灯篭を動かすか、ペットの遺骨を動かす様にアドバイスした。

■もう1つは、大きな2つの木の近くにある枯れそうな木々である。

多分、後から植えた木々は、以前から根をシッカリはっている2本の木によって、

栄養もなかなか取れず、また大きな木の葉によって太陽もさえぎられ、

ただ枯れていく感じです。

こういう場合、そういう弱い木々ではありますが、

木も命があるので、希にその精霊が助けを求める事があります。

その助けは微妙なもので、大人の人には分かりませんが、

赤ちゃんや幼い子供はキャッチする事があります。

もしかしたら、これが娘さんに影響を与えているかもしれません。

これが、あの時の修行僧が言った「庭が泣いている」というのに一番近いものかと思います。

なので、あの2つの大きな木の周辺にある枯れそうな木々を他の太陽が当たる場所に、

移動させるとかしてあげてみて下さい。

 


以上が、私が出した結論だった。

その後、ご家族は直ぐにそれらを実行したという。

すると、段々と娘さんの不思議な病状は無くなっていったとの事だった。


多分、上のどちらの現象が娘さんを病気の症状にさせていたのだろう。



 

最後に、お祖母ちゃんが、


私に「あの時、どうして修行僧の方は、水をもらいに家に来たのでしょうか?」

と聞いてきた。




「それは、その修行僧に聞いてみないと分かりませんね。

 ただ、想像するならば、

 多分、この家の前を通った時、

 何かしらこの庭に違和感を感じたのでしょう。

 そして、水を1杯頼んだ。

 もしかしたら、助けるべき家なのかそうではないのか。

 水1杯で試したのかもしれませんね。

 断れれば、教える必要は無い家。

 多分最後は、天の判断に任せたのではないでしょうか。

 その為の水1杯だったのかもしれません。

 すべては私の推察ですが・・・」


END