●困った時はお互い様。甘えていいんだよ。
私はアメリカから帰国後、東京のアパートを借りて住んでいました。
アパートといっても、立派なものではなく、
6畳一間の○○荘という2階建ての賃貸住宅です。
ただ、そのアパートの大家さんは、とても良い方で、
アパートの隣の住んでいたのですが、
私の両親がアメリカに居て、私が日本で独りだけだと知ると、
正月に家に呼んでくれてご馳走してくれたりしてくれました。
この大家さんは、少し変わっていて、
普通なら、親族が外国にいて、
日本に独りだけという輩にアパートを貸すのを嫌がるのですが、
私がここを契約する時も、面接だけで人柄を気に行ってくれたみたいで、
親が外国に居て大変だろうと、保証人なしで貸してくれた人でした。
私もその後、一度も家賃を延滞させる事もなく、
約3年間お世話になりました。
私も当時、日本で専門学校に通っていた貧乏学生だったので、
大した御礼は出来なかったのですが、
一度だけ、その大家さんのお役に立てた事がありました。
今日はその時の事を書いてみましょう。
ある日、大家さんが病院に行ったけど、原因不明の病気らしいという話を聞きました。
当時私は、占いや霊現象の事に詳しいと言っていた事もあり、
他の人には内緒だけど、ひろちゃんならという事で話してくれました。
奥さんに聞くと、1年前頃から大家さんは頭痛と共に、
頭に色々な人の声が聞こえると家族に言っていたという。
ある時は、誰かと誰かが話し込んでいる声や、
たまに亡くなったお祖父さんなどの声も聞こえるのだというのです。
そこで、私は実際に大家さんに会って話を聞く事にしました。
まずは、大家さんは囲碁を嗜む方だったので、囲碁をしてにお邪魔して、
大家さんが気持ちよく勝った所で、
実は、奥さんから頭痛の話を聞いたのですが、
もしかしたら、お役に立てるかもしれません。と話を切り出しました。
最初は、別に大した事ないからいいよと言っていたのですが、
私が、ペットの霊障で頭が痛くなった例や、
植物の霊障で、皮膚病になった例などをあげて話すと、
興味を持たれて、少しずつ話してくれる様になりました。
頭痛は、家族には話していなかったけど、
実際は1年前からではなく、1年半前からしているとの事で、
頭痛と一緒に、誰かの話し声が聞こえるというのです。
それは、ある時は叔父であったり、ある時は祖母であったり、
ある時は祖父だったりが他の人とガヤガヤと話しているというのです。
「その叔父さんや、お祖母さんや、お祖父さんは、亡くなった人ですか?」
と聞くと、そうだと言います。
つまり、亡くなった人が夢に出る。それも何度も何度も。
これは、今までの私の経験から言うと、
ご先祖が何か、大家さんに言いたい事があるのかもしれない。と思いました。
ただ、話からは、それが何か、
なぜご先祖が大家さんに何か言いたいのか分かりません。
こういう場合、
手がかりになるのは、
不思議な現象が起き始めた時期です。
つまり、1年半前頃に何かがあったのではないかという事です。
そこで、大家さんに、
1年半前~2年前までに、何かご先祖に対して、
申し訳無い様な事をしませんでしたか?とお聞きしました。
大家さんは、少し考えてから、
「そういう事はしていないと思う。」と言います。
また、他に変わった事は起きませんかと聞いても、
頭痛や、話し声以外は無いといいます。
こうなると、もう分かりません。
そこで、話題を変えて、
「夢の中で話している人建は、ご先祖だけですか?」と聞くと、
多分、ご先祖だけですという。
ただ、しばらくして大家さんが、
話はしないが、時々ある恩人が、夢に出てくるという。
その恩人は、何も喋らず、ただじっと悲しそうにこちらを見ているだけだというのだ。
新たな手がかりである。
私はその恩人という方について食いついた。
「その恩人という方は、亡くなられていますか?」
「ああ。亡くなっている。」
「いつ頃亡くなられた方ですか?」
「4年前頃だったか。」
4年前か。1年半前よりもだいぶ前だな。
もしかしたら、関係無いのかもしれないと思った。
しかし、先祖が話しているという夢に出てくるというのは偶然だろうか。
そこで、その恩人という方についてもう少し詳しく聞いてみた。
その恩人という方とは、
戦後、日本が戦争で焼け野原だった頃に知り合ったという。
当時食べ物をはじめ、医薬品も何もかも不足していた時期、
幼い大家さんは、食べ物にも困っていたあげく病気で死にそうだったという。
戦後の混乱の時期、誰もが自分が生きるの精一杯で、
病気で貧乏な他人の子供を助ける余裕など無かった時代だった。
ましてや、病気など移されても困るので、みんなその子を避けて通った。
そんな時、たった一人、その声をかけた人がいたという。
田淵さん(仮名)という闇市の一角に店を出していた人で、
その子に寝床と、薬を分けてもらい、彼は九死に一生を得たという。
その時、子供だった大家さんは涙を流したという。「ありがとう。おいちゃん。」
「坊や、困った時は、お互い様。甘えていいんだよ。」
あの時、田淵さんに会っていなかったら、多分死んでいただろう。と。
その田淵さんこそが、恩人その人だという。
大家さんは田淵さんに、色々な事を教わったという。
その後、大家さんは大学生になり、田淵さんも引っ越していき別れ別れとなった。
それでも年賀状は、お互い常に交わしていたという。
それから30年が経ち、
大家さんは事業で成功され、アパート経営もやり始めていた。
そんなある時、田淵さんからの年賀状が来なくなった。
こちらから年賀状は出しても、翌年も返事が無かったという。
そして、その翌年も田淵さんからの連絡は無かった。
そこで、もうどこかに引っ越して居ないだろと思ったが、
大家さんは田淵さんの住所に行ってみたという。
すると、ハガキにあった見るからに安アパートの郵便受けに、
田淵という紙に書かれた表札があったという。
そして尋ねると、
田淵さんは、布団に寝ていて、
交通事故で体が不自由になり、杖が置いてあったという。
聞くと仕事は出来ない状態で、なんとか生活保護で生きていた。
戦争で家族を失い、
天涯孤独になった田淵さんはそれ以来ずっと一人で生きてきたといいます。
そんな田淵さんに、大家さんは、
「うちのアパートに来ませんか。ちょうど空いているんです。
良かったら食事も一緒にしましょう。昔の様に。」と声をかけたのです。
「そんな他人の君に、そんな迷惑はかけられないよ。」
「私は戦後、あの時、
貴方がくれた薬と食事で、私は助かったのです。
今度は私に、何かさせて下さい。」
こうして、田淵さんは大家さんのアパートに引っ越してきて、
食事も大家さんの家でするようになり、
田淵さんのリハビリ代も大家さんが出して、病院に通わせたのです。
普通なら、孤独死しててもおかしくない田淵さんは、
その後何年も、大家さん家族と親しく交流し、
4年前に亡くなるまで、笑顔が絶えない人生を送ったといいます。
ここまでは、問題無かったのですが、
ここからが、問題でした。
天涯孤独だった田淵さんが亡くなった後、
遺骨はどうなされたのか聞くと、
1年位、田淵さんの遺品から親族を探したそうですが、
やはり見つからなかったそうです。
そこで、田淵さんは命の恩人であり、
亡くなる時は、もう家族に一員のような人だったので、
大家さんの一言で、
大家さんの先祖代々のお墓に一緒に埋葬したというのです。
私はそれを聞いた瞬間に、
大家さんの頭痛や悪夢は、それが原因だと思いました。
どんなに恩人でも、
どんなに家族の一員の様な人でも、
他人は他人なのです。
大家さんの優しい気持ちは分かるのですが、
結婚して家族に一員になったのなら別ですが、
あくまで他人を、自分の家系のお墓に入れてはいけないのです。
先祖の反感を買うばかりか、
お墓に入れてもらった本人も、困惑して成仏しにくい状態となってしまいます。
それが大家さんに頭痛や悪夢という形になって表れたのでした。
その後、大家さんは田淵さんの遺骨を墓から出し、
新たに田淵さんだけのお墓に埋葬しました。
不思議とそれから頭痛はしなくなったという事です。
今から考えてみると、大家さんが優しかったのも、
昔、赤の他人だった田淵さんに命を助けてもらったという出来事があったからかもしれません。
「坊や、困った時は、お互い様。甘えていいんだよ。」
END