●危険な像、安全な像
このお話は、昨日のブログ(●陸上選手を襲った不思議な痛み)の続きです。
従って、昨日のブログ(http://ameblo.jp/hirosu/entry-12043948737.html)
を先にお読みください。
そしてから下をお読み下さい。
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[前回までのあらすじ]
この話は、私が高校生の時のお話です。
当時、私はマレーシアのアメリカ系の高校に通っていましたが、
夏休みで、日本に帰国していた時でした。お盆という事で、
山口県の父の実家に泊まっていた時の事です。
私が居たお祖父ちゃんの家の向いの家に、遊びに行った時でした。
向いの家と言っても、間に田んぼがあり、300mは離れた向いの家です。
向いの家の方の名前は思い出せないので、仮に鈴木さんとしておきましょう。
その鈴木さん家にも、夏休みで大阪の親戚の方が遊びに帰郷していました。
その大阪の親戚の方には、私と同じ高校生の男の子が一緒に来ていたのですが、
話によると、その子はとても足が速く、
この8月のインターハイに県の代表で出るという程の陸上選手だという事でした。
そんなある日、大変な事件が起きました。
そのインターハイに出るという高校生が、急に足の痛みをうったえたのです。
それはまるで左足が根元からもげる様な痛みだと言い、直ぐに町の医者にかけこみました。
彼は特に怪我をした訳でもなく、突然に痛み出した事から、
周りの人達は、骨肉腫ではないかと、心配していたのを覚えています。
しかし、大きな病院で精密検査をしてみても特に異常は認めらず、また検査をする時になると、
あれほど痛かった足の付け根部分の痛みもすっかり無くなっていたといいます。
ところが、家に帰って来るとまた痛み出したのです。
足を冷やしても、温めてもダメで、再び、別の病院に行ったのですが、結果は同じ。
念の為に痛み止めを貰い、帰宅するとまた左足が痛くなるという繰り返しなのです。
彼のご両親は、息子さんを大阪の病院に見せる為に、
予定よりも早く帰る事を決断。明後日にはここを立つ事になった。
その前に、私は叔母さんとお見舞いに行くことになり、初めてその高校生と会ったのである。
お見舞いに行ったのは午前中だったのだが、私はてっきり病人なので寝ているかと思いきや,
一緒に挨拶に出て来たので、驚いた。
彼いわく、痛みが出ない時は、いたって普通の体なのだという。
私と彼は、少し話している内に打ち解けて、色々話した。
彼は体格がよく、頭はスポーツ刈りで、男前だった。
痛くなるという左足もその時に見せてもらったが、
スポーツ選手らしい、筋肉質で私よりも太いしっかりした足だった。
ジッチャンが言っていた様なアブに刺された腫れもなく、
蛇などに噛まれた跡も無かった。綺麗なものだった。
その時に、彼にいつから足が痛くなったのか聞くと、
どうやら、墓参りに行ってから急に痛くなった事が分かったのである。
そして、気になって、墓参りの時の様子を詳しく聞くと、
彼は、その墓参りの時に、ある気になる事をやっていたのが分かったのである。
私は、それを聞いて何か嫌な予感がした。
率直にその事を彼に言うと、彼もそれに興味を示し、案内してくれるという。
そこで、彼が行ったというその墓に、一緒に行ってみる事にした。
インターハイの彼に、彼が行ったというお墓に案内してもらおうと、
玄関で靴を履いていると、
彼の親が出て来て、「病人なのに、どこへ行くの?」と聞いてきた。
彼が病気の原因は、そのお墓かもしれないので、行ってみると言うと、
なおさら、そんな所へは行ってはダメだという事になってしまった。
すると、鈴木さん家の長男さんが、代わりに案内してくれるという。
私はインターハイの彼に、図を書いてもらうと、
直ぐに彼が行ったお墓に向った。
この辺の田舎のお墓は、山の斜面に作られている事が多い。
都会では、お墓も平地に作られる場合が多いが、
平地が少ない田舎では、生きていく為に、
平らな土地は貴重で、田んぼや畑にされるのだ。
自然と墓地は、使えない山の斜面に・・
山の中腹辺りに、それはあった。
山道を歩いて行くと、その中腹だけ開けていて明るい。
100基ぐらいの墓があるだろうか。
お墓群の真ん中に大きな木があり、
まるで、お墓を雨から守っているかの様だった。
その中で、鈴木さんの家のお墓は、上の方だった。
お盆のこの時期、お墓にも花などが飾られているのだが、
それもこのお墓群の中では半分ぐらいだろうか。
お花を生けてあるお墓もあれば、
まったく何も置かれていない寂しそうなお墓も目立つ。
そんなお墓群の中にある道を登って行くと、
鈴木家のお墓があった。
お兄さんに案内された鈴木家のお墓は、比較的他の他よりも墓石も新しく、
お花も沢山活けてあった。
そこで、インターハイの彼に書いてもらった図を広げて、
目の前の鈴木家の墓と見比べてみた。
「あのう、
あの後ろにも鈴木という墓石がありますが、
あれも貴方の家のものでしょうか?」
「いや、あれは苗字は同じ鈴木ですが、
ウチとはまったく関係無い家系です。」と彼。
同じ苗字であれば、大昔を辿れば、1つなのだろうが、
それが100年、200年となれば、もう他人なのかもしれない。
鈴木家の後ろには、同じ鈴木という墓石があったが、
彼の鈴木家の立派な墓石と比べると、墓石も小さく角も無く、
墓石にはコケが生えている。
貧弱と言ってもいいお墓だった。
そして、その貧弱なお墓の隣には、小さなお地蔵さんが寂しく建っていた。
あらためてインターハイの彼が書いてくれた図を見ると、
やっぱりだ!
彼は母親と久しぶりに訪れた鈴木家のお墓を掃除し、
草取りをし、花を生けて墓参りした。
しかし、その時、
鈴木家の後ろにあった、関係の無いお墓も、
墓石に同じ鈴木と書いてあったので、一緒にお墓を掃除したのだ。
そして、小さなお地蔵さんも掃除したと書いてあった。
インターハイの彼は、この鈴木家とは関係ないお墓とお地蔵さんを掃除してから
不思議な足の痛みに襲われる様になったのだ。
私はこの古いお墓とお地蔵さんを見て、
多分、あのお地蔵さんに不成仏霊が入っていたのだろうと思った。
そういう不成仏霊が入ったお地蔵さんを触ると、
その不成仏霊が、触った人に憑りつく事があるのである。
彼が墓石とお地蔵さんを掃除した時に、憑りつかれたのだろう。
私達は、山を下りると、
直ぐにお年寄りの方に、
昔、左足を怪我して亡くなった人はいないか聞いてみた。
しかし、一番のお年寄りのお婆さんに聞いても、記憶に無いという。
のちにジッチャンが、そう言えば昔、
トラクターだか脱穀の機械だかに
足を挟まれて亡くなった人がいた様な気がすると言っていたが、
もちろん名前とか分からないし、その人だかも定かではなかった。
そこで、私は彼に、
短冊に、「ここに居る、左足を怪我して亡くなった霊へ」と書き、
お水とお花とお線香と食べ物を供えて、ご供養してあげる様に勧めた。
インターハイの彼は、直ぐにやってみると言って始めた。
彼らは明後日には大阪に帰ると言っていたが、
お盆の時期というのもあったのか、代わりの電車の席が取れなくて、
結局予定通りとなり、その供養も1週間続ける事が出来た。
幸いその供養が良かったのか、供養を初めて彼が帰るまで、
彼の足が痛くなる事は無かった。
では、ここで、
浮遊霊や不成仏霊が入った危険な像と、
何も入っていない安全な像との見分け方ですが、
要は、その像に良い念が入っているか、入っていないかなのです。
例えば、貴方の家の庭に、お地蔵さんがあるとします。
貴方は時々、そのお地蔵さんに手を合わせ拝んでいるとします。
すると、そのお地蔵さんには、貴方の祈りの念が入ります。
そういう良い念が入っていると、
浮遊霊や不成仏霊は、そのお地蔵さんには入れません。
つまり、良い念という先約が居座っているからです。
しかし、貴方は、そのお地蔵さんを残して他の土地に引っ越したとします。
するともう誰も、そのお地蔵さんを祈る人はいません。
そうなると、日にちが経つ内に、
段々とそのお地蔵さんに込められていた良い念が、薄れていき、
やがて良い念も消える時が来ます。
その時です。
空になったお地蔵さんに、浮遊霊や不成仏霊が入るのです。
そこに入っていれば、また誰かが自分を拝んで供養してくれるかもしれないと思うのと、
浮遊霊や不成仏霊は、自分の肉体を失っているので、
目がある人間の形をした人形とかお地蔵さんに入りやすいのです。
つまり、そこに像があったら、
良い念が入っているか、否かで、
その像が危険かどうかが分かるという事になります。
では、どうやったらその像に良い念が入っているかどうか分かるかと言うと、
例えば、四国には、お遍路さんという巡礼の旅がありますが、
その道筋には、多くのお地蔵さんが建っています。
多分、これらの道筋にあるお地蔵さんは、
お遍路さんや、地元の人達が近くを通る度に、
声を掛けたり、拝んだりする人がいるでしょう。
つまり、そういう人が通って拝みやすい場所にある像は大丈夫という事です。
ところが、同じお遍路さんの道筋にあっても、
ちょっと目立たない奥にあり、
高い雑草で隠れてまったく見えない場所にあるお地蔵さんはどうでしょうか。
そうです。まったく同じお地蔵さんですが、
誰にも気がつかない様な場所に、ひっそりとあるお地蔵さんは、
建てられた当初は、良い念が入っていたでしょうが、
草木に隠れて、誰も気が付かなくなってから、
段々とその良い念も、薄れ、そして消え、
もしかしたら、浮遊霊や不成仏霊が入っているかもしれません。
外見から見れば、同じお地蔵さんですが、
立地によって、大きな違いになってしまうのです。
インターハイの彼が、掃除したあのお地蔵さんも、
昔は多分、
小さい子が亡くなったか水子の為の供養の為に建てらたお地蔵さんだったのでしょう。
母親は毎日の様に、お地蔵さんに拝みに来たかもしれません。
しかし、その母親も亡くなり、
その子孫も絶え、
段々と母親が込めた子供への念も消え、
空になったお地蔵さんに、お墓を浮遊していた霊に入られてしまったのです。
墓地などにあるお地蔵さんも、
その前に花が添えられて、いつも供養されている感じのものなら大丈夫です。
また、これには例外もあります。
どんなに誰も祈らなくなっても、
一度、お寺の住職さんなどに、その仏像や人形、お地蔵さんに、
魂入れをしてもらえば、その後悪い霊がそれに入る事はありません。
なぜなら、魂を入れてもらった事により、先約入っているからです。
渋谷に忠犬ハチ公の銅像がありますが、
これなんかも、みんなが待ち合わせにしたりして、
「ハチ公、ハチ公」と触ったり、親しんで呼んでいる間は、
安全な像と言えます。
そういう親しみの念が、ハチ公を占めているからです。
しかし、これが例えば、撤去され、
誰も来ない森の中に、捨てられたとしましょう。
まだ捨てられた時は、良い念が沢山入っているので、
悪い霊が入る事はありません。
でも、時が経つ内に段々と良い念が抜けていき、
ただの犬の銅像になる時が来るでしょう。
その瞬間を狙って、浮遊霊や不成仏霊、動物霊などが入り込むのです。
だから、幽霊屋敷などに行く事になった時などは、
絶対にそこにある人形とか銅像などには、触らない事です。
END