紙クズで出来た宝物





貴方にとって、宝物と言えば何ですか?と聞かれれば、

ダイヤの指輪だと言う人もいれば、

今住んでいる家だと答える人もいるでしょう。



 

しかし、



私の近所に住んでいて、何回か占った事がある保母さんは、

ある紙クズが、彼女の宝物だと言う。






彼女は今も、その紙クズを大切に保管している。






 

 

私はその話を聞いて、

とても良い話だと思いましたので、ここにブログとして残したいと思います。





 

 

人の価値観は、それぞれ違うけど、

私にも、その紙クズが、まるで宝物の様に見えてきたからです。









 

 


彼女は、小さい頃の思い出を語りました。

千葉に引っ越して来た当時は、

父親は病気がちで病院と家を行ったり来たりでしたが、

彼女と兄さんとお母さんの3人で、貧乏でも楽しい毎日だったといいます。




お父さんのお見舞いには、家族3人で、

お弁当を作り、まるでピクニックに行くかの様に歩いて病院に行ったといいます。

母は、料理が得意で、

兄が100点を取って来ると、

兄好きな料理を作って、手作りの金メダルを作ってあげてました。




兄はとても勉強が出来るのに対して、私は勉強が余り出来ませんでした。

それでも、私が、普段よりもいい点数を取ると、

例えそれが60点でも、

母は、今日は私の好きな料理を作ってくれると言って、

好物のグラタンと、頑張った賞として、

金色の折り紙で作った、金の鶴を作ってくれました。

たかが、折り紙でしたが、子供心に、

母に認められたという気持ちになって、とても嬉しかった。

そんな時は、母は60点を取った私なのに、

「マコ、たいへんよく出来ました。

 母さん、嬉しいわよ。」と、声をかけてくれました。






 

 

その後、彼女は東京の大学に進学。

保母さんになって、結婚したといいます。





しかし、その間、

兄がアメリカに出張している時に、

父が亡くなりました。




 

昔から病弱な父だったので、

随分頑張った方だと思います。



しかし、父を亡くしたショックからか、

その頃から、母に異変が起き始めたのです。




 

最初、料理をしなくなったのは、

父を失ったショックから、食事を作る意欲が無くなったのだと思っていました。




しかし、余りにも母の言動や行動がおかしいというので、

兄が母を病院に連れて行くと、

そこで診断されたのが、




認知症でした。








久しぶりに家に帰ると、母は、


なんと、私の名前をしばらく思い出せなかったのです。

久しぶりに会ったとはいえ、娘の名前を一瞬でも忘れるなんて信じられない。

と言うと、母はごめん、ごめん、と謝りました。





 

しかし、11年後、



彼女の名前はもう出てこなくなったといいます。

その頃には、お母さんは外出してしまうと、

家に帰れなくなり、警察に保護された事もあったそうです。

彼女は一時的に保母さんを休職。

昼間は、兄の代わりにお母さんの面倒をみたといいます。


 

 

昔、母が私達にしてくれた事を、今は彼女が母にしている。

母の衣服を洗濯し、

母の食事を作り、

母が散歩すると言えば、危ないからとついていく。


でも、そんな事は、苦労でも何でも無いと彼女は言います。

今まで私がやってもらっていた事を、今度は私がしているだけ。だと。

 


ただ、

 

ただ、少しだけ悲しい事があります。と彼女。


 

 

 

それは、


私がお母さんに、料理を作ってあげると、

 

「どうもありがとう。

 お隣の方なのに、ご親切に・・」


と、私を隣のおばさん思っている事です。




 

 

 

もう、母さんの目の前には、娘はいないの?



認知症の人を責めたり、問い詰めるのは、良く無いと聞いていたので、


 

私はそれ以後、母の前では、

優しい隣のおばさん、なりました。


 

 

 


そんな生活が3年続いたある日、


母は肺炎で入院しました。





お見舞いに行くと、

母は嬉しそうに、看護婦さんに、

隣のおばさん来てくれたと、言って笑顔をみせてました。



 

 

入院したというので、驚いて飛んできたので、

意外と元気な母を見て、安心して、

私は翌日からは、家族旅行に行くので来れないと兄に伝え、

その日は帰りました。





 

 

しかし、それが私が母が元気な姿を見た最後でした。






 


後から聞いたのですが、

私が帰った後、母は、

お隣のおばさんはどこに行ったの?」と、


病院中を探し回り、


部屋に戻っても、食事も食べずに何かしていたといいます。




 

 

3日後でした。

私が旅館に居ると、

胸が急に苦しくなったのです。

 


こういうのを虫の知らせというのでしょうか

 


そして、何か失恋でもした様に胸が詰まる思いになったといいます。

何か失ってしまう悲しい気持ちになったのです。


 


それから間もなくでした。

病院から携帯に電話があり、母の容態が急変したとの連絡が・・・・




 

 


病院に着くと、母はもう息をしていませんでした。




 

しばらくして、兄も病院に到着しました。



私はただ、ただ、

母のベッドの横で泣いているだけでしたが、

兄は冷静に色々な手続きをやっていました。



 


私はいつになっても、ダメで、

はたして、今まで母の助けになっていたのかも疑問でした。




 

 


すると、看護婦さんが私に、

これっと、

丸まった紙クズを差し出し、

 

「お母さんが、隣のおばさん渡してって、

 一昨日あずかったんだけど、捨てましょうか?」


 

それは、黄色い広告の紙を、丸めた様な紙クズでした。


 


でも、その紙クズは、

看護婦さんには分からない、

娘と母の間だけで、分かり合える言葉だったのです。



 

 


彼女は言います。




 

その紙クズを見た瞬間に、

それが何を意味しているのか、直ぐに分かりました。 と。




 


黄色い広告の紙は、

金色の折り紙のつもりだったのでしょう。





 


丸まった紙クズには、

僅かにですが、口ばしがと尾っぽがありました

認知症で、の折り方をどうしても思い出せなかったのでしょう。





 

何度も、何度も、

折っては、作り直し、

折っては、作り直し、

最後に何か分からないまま、


丸まった紙クズのようなカタマリになっていましたが、



 

 

私には、直ぐに分かりました。


 

 

最後の最後、

私は、隣のおばさんから、貴方の娘になったのよね。


 

そうでしょ、お母さん。



 

 


それは、昔、母が私に折ってくれた金色の折り紙の、


です。





 


私がとっても頑張った時、

母が誉めてくれた時に折ってくれた、

あの金色の鶴です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マコ、たいへんよく出来ました。

 母さん、嬉しいわよ。」


END