●父ロス
占いの相談というと、
普通、将来仕事がどうなるかとか、
将来どんな人と結婚するだろうかとか、
前向きな相談が多いだろうと、思われるかもしれないが、
実際はそうではない。
自分は病気と闘っていながらも、不憫な子供を心配していたり、
家族が亡くなって、将来を見失ってしまった人もいる。
そんなひとりに、理沙さんという女性の相談者がいた。
電話なので、会ってはいないのだが、
声や話から診て、とても優しく、思いやりのある方だ。
彼女は、私に何を占って欲しいという事などは言わずに、
自分の身の上話を、話し始めた。
3ヶ月前、彼女の最愛の父親が、肝臓がんで亡くなったという。
まだ55歳だったという。
彼女の父親は、以前にも心臓の手術などや、
大動脈瘤の手術などをしていて、それらを乗り越えて働いていたという。
父娘二人だけの暮らしだったのもあり、
ふたりはとても仲良しで、
幼い頃から、娘を大事に育ててきた父だった。
運動会にも、授業参観にも、欠かさず会社を休んで父が来た。
高校生になってからは、彼女が父親のお弁当を毎朝作ってあげるという。
父は、なんでも美味しい美味しいって。
理沙が作るお弁当は、世界一だなって。
そんなある日、町の検診で、
肝臓の数値が悪かった父の結果を見て、
私は父に精密検査を受けるように言いました。
でも、父は毎月心臓の検査に病院に行っているから大丈夫、大丈夫だと、
なかなか行ってくれなかった。
それでも1ヶ月後、
私が、お父さんが検査しないなら、私も歯医者に行かないというと、
しぶしぶ、行ってくれた。
しかし、結果は10cm大の肝臓がんという最悪の診断。
すぐに近くのがんセンターの紹介状を書いてもらい、
翌日、父とがんセンターに。
レントゲンを見た医師が、「大きいな」と一言。
呼ばれたもう一人の医師も、沈黙。
手遅れ感が、漂っているのが、私にも伝わる。
「大丈夫だよ。父さん、日本は医学が進んでいるから。」
一縷の望みを抱えて、重粒子医科学センター 病院の紹介状を書いてもらい、
重粒子医科学センター 病院へ。
足取りの重い父を、私が励ました。
「放射線の力で、ガンをやっつけるんだよ。」
病院に着くと、意外に空いていたという。
受付を澄まし、色々を見回っていると、
治療費が300万円という事が判明。
父が高いな。と言うので、私が、
「大丈夫だよ。車を売って、私も夜バイトするし、家だった売ればいい。」
すると、父が初めて少し笑顔になった。
しかし、ここでも無情の診断が・・・
「残念ながら、
腫瘍の位置が心臓などの臓器に近くて、照射できません。」
この時の、父の言葉が今でも忘れられないという。
父は少し笑って、
「年貢の納め時かな・・」と。
でも、私は諦めませんでした。
インターネットや本などを調べて、肝臓がんが10cmでも
手術で切ってくれる名医を探しました。
そして、武蔵野赤十字病院にその筋の名医がいると分かり、
もう諦めかけている父を説得して、病院に。
CTなどを撮り、医師の元へ呼ばれました。
ここで断られたら、父も私も、もうダメだと思ってました。
その方は、
随分と画像と睨めっこしながら、何分も悩んでいます。
がんセンターでもダメだったという事は話していました。
すると、やってみましょうと言ってくれたのです。
明後日から、さっそく入院となりました。
受付の後、私は父に、
「日本一の名医が切ってくれるんだよ。」そう言うと、
私と父は、抱き合って喜びました。
その後、1週間の精密検査をした結果。
結局切れないので、ガンに良く効くという薬が出ているので、
薬による抗癌治療という結果になってしまいました。
彼女の話は、その後も延々と続くのだが、割愛する。
話しを聞いてあげるのも、占い師の仕事である。
その後も彼女は諦めずに、
横浜の病院が良いと聞けば、かけつけ、
千葉のがんセンターで最新の治療法が見つかったと聞けば、かけつけたという。
最終的に、父をホスピスには入れず、
自宅で介護しならが、看取ったという。
「小さい頃から、父の背中だけを見て育ってきました。
父を尊敬し、父の様な人と結婚したいと思い今まで過ごして来たのです。」
そんな父親を失くし、
彼女は今、全ての気力を失くし、
食事も美味しくなく、本当は仕事もしたくなく、
仕事以外の時間は、全て家に居るという。
思うのは父の事ばかりです。
父の会いたい。
でも、父は夢にも出て来てくれません。
もう何もしたくないんです。
私の一部だった父を失い、心の半分が無くなってしまいました。
居なくなりたい。
結局、彼女の話が終わっても、
ここまでそれらしい占いの質問は無い。
どうする。占い師よ。
後半は、明日のブログに続く。