●悲しみの連鎖
あるご婦人からの電話相談でした。
現在彼女は、一軒家で、夫と二人暮らし。
特に生活に不自由はしていないとの事ですが、
世の中生きていても、何も楽しい事はなく、
悲しい過去の思い出や、経験などを思い出すだけで、
毎日が辛く、悲しいといいます。
かといって、聞くと旦那さんとはうまくいっていて、
喧嘩をする訳でも無く、時々外食したりして仲は悪く無いとの事。
こういう心の病というのは、やっかいなのは、
医者に行っても、特に異常はありませんと言われるので、
どうしたらいいのか分からないという人が多い。
また正直に医者に相談すると、精神科に回されて気落ちする方もいる。
その上で、占い師に相談してくる方もいます。
彼女もそんな人達の中の一人かもしれない。
そんな何不自由の無い生活の中で、
人生に対しての悲観と悲しみを訴える相談者の多くは、
過去に大きな悲しみを生む事件を経験している事が多い。
例えば、
いつ頃からそんなに悲観的な人生になったのですか?と聞くと、
父が亡くなってから、とか、
母が亡くなってから、とか、祖母が亡くなってから、とか
はたまた、愛するペットが亡くなってからという方までいる。
そして、彼女も例外では無かった。
以前は、とても明るく、町内でも会長を務めたり、
折り紙の発表会などでは毎年新作を作っては老人ホームなどに教えに行っていたという。
そんな彼女から、今の悲観的な彼女になったきっかけは、
やはり悲劇だった。
3年前、病気で大学生だった一人娘を失って以来、
ずっと、その悲しみから脱出出来ないでいたのである。
こんな時、占い師なら、
これからもっと楽しい事がやってきて、運気もあがりますよ。
と声をかけたくなるが、
言葉だけでは、明日からバラ色の人生にはならない事も良く知っている。
普通、3年も経てば、亡くなった人の事は忘れるだろうと、
思う人は、愛する親族を失くした経験の無い人かもしれない。
特に彼女の様に、大事に育てた一人娘に先立たれたのは、
かなりのショックだったに違いない。
週末には、よく2人で洋服などを買いに町に出かけたという。
お母さんが作ってくれたハンバーグは世界一だと言ってくれたのが、
今でも忘れられないと。
もっと、色々な所を旅行したかった。
大学を卒業したかった。
娘の花嫁姿を見たかった。
娘さんが亡くなる時、最後は自宅で看取ったという。
最後は点滴で栄養を取る形で、お母さんは娘の体をさすってあげるだけだったという。
こういう昔の悲しい出来事を、思い出させるのはいかがなものかと、
思うかもしれないが、
相談したくても誰にも言えない事は、むしろ吐き出させてあげた方が良い。
言いたくなければ、話さない。
向こうも名前も言う必要も無い見ず知らずの人だから、何でも言えるのだ。
さて、彼女の話を聞いていて、
1つだけ気になった。
それは、
娘さんが亡くなって、悲しいのは分かる。
しかし、「大学を卒業したかった。」と言ったのである。
もちろん、大学を卒業したかったろうに。の言い間違いだろうが、
少し気になる。
もし言い間違いでなければ、
その言葉は、亡くなった娘さんが言う言葉だからだ。
なぜ気になるかと言うと、
病気で亡くなった娘さんの気持ちを、
この奥さんが引き継いでしまっている可能性があると感じた。
そこで、色々と聞くと、
まだ娘さんの部屋はそのままにしてあるという。
しかも、時々入っては掃除をするという。
愛する我が子が忘れらないのは、心情的に良くわかる。
しかし、彼女の場合、重症だ。
「世の中生きていても、何も楽しい事は無い」とまで言っている。
人にも寄るが、残留思念に影響されやすい人がいる。
娘さんの遺品には、彼女の悲しみの残留思念がかなり残っているはずだ。
それが、残されたお母さんに影響されているのだろう。
感受性の強い人。
例えば、ちょっと悲しい映画やテレビの報道を見ると泣いてしまうなど、
そんな人は、残留思念にも影響されやすい。
そこで、思い切って提案してみた。
別に捨てなくてもいいですから、
娘さんの遺品を、3ヶ月だけでも段ボールに詰めて封をしてみてください。
(娘さんの部屋以外の所にあるものも、仏壇の写真以外)
しかし、彼女は、
「それはちょっと・・・」と乗り気では無い。
そこで、娘さん側にたって話をした。
多分、娘さん、まだ成仏されていないと思いますよ。
普通、家族が自分の死によって悲しみにくれていると、
いつまで経っても、成仏の道に歩んでいかないのですよ。
だから、3ヶ月だけでもいいので、
娘さんの遺品を仕舞って、仏壇に、
「私は元気です。だから成仏してね。」と言ってあげましょう。
「きっと、娘さん喜ぶと思いますよ。」
3ヶ月経ったら元に戻していいですから。
そうしないと、貴方も娘さんも悲しみの連鎖で、
二人ともずっと悲しいままですよ。
すると、やってみますという返事。
この時は、これだけだった。
それから1ヵ月位過ぎた頃、
また彼女から電話があった。
娘さんの荷物を、段ボールに詰め終わった頃、
ふと、昔の娘さんの同級生がやって来たという。
今は就職して、営業の仕事をしているというその彼女が、
昨日亡くなった娘さんの夢を見たという。
そこで、気になってお線香をあげに来てくれたのだ。
お母さんも、娘の同級生と会うのは葬式以来だった。
でも葬式では、挨拶を交わす程度で、話など出来なかったので、
娘の同級生を話すのは、初めてだったという。
その時、娘が大学で旅行サークルに入ってまもなく病気になった事や、
娘が自分と日本中を旅行したかった事を知った。
特に一番最初は京都の大文字の送り火と決めていた事など。
その子が帰っても、しばらくボーっとしていたという。
そして、ふと、
娘が一番最初に私と行きたかった京都の大文字の送り火とは、
どんなものなのか、気になったという。
夫が帰って来ると、すぐに夫のパソコンで検索したという。
すると、夜空と京都のお寺と山に大きな大の字が輝く写真が出て来た。
ああ、娘はこんな所に私と行きたかったのか。
と思って、色々読んでいると、
ある事に気が付いたという。
それは、京都の大文字の送り火は毎年夏に行われるのだが、
それが、3日後なのだ!
何か胸騒ぎがしたという。
それで、私にまた電話してきたのだ。
「娘さん、
貴方と、京都の大文字の送り火を見に行きたいって
言ってるんですよ。」
「やはりそうでしょうか」
「そうですよ。
娘さんの写真を、持っていって見せてあげましょう。
大文字の送り火を。」
その後、
彼女は京都の大文字の送り火だけでなく、
娘さんが行きたかった所に、夫と旅行するのが趣味となったという。
今は、3人で旅行するのが楽しいと。
「かあさん、
いっしょに旅行だよ。
かあさん。」
END