●ツタンカーメンの呪いの続き




このお話は、昨日のブログ(●ツタンカーメンの呪い)の続きです。



従って、昨日のブログ(http://ameblo.jp/hirosu/entry-11902911068.html




を先にお読みください。


そしてから下をお読み下さい。
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[前回までのあらすじ



渡河から電話があり、一緒に食事する事になった。


昨夜、エジプトのツタンカーメンの呪いについてやっていたという。


渡河は、そのツタンカーメンの呪いの番組を見て、


私に、その様な呪いは、あったのか?それとも無かったのか?と聞いてきたのである。


ツタンカーメンの呪いとは、1922年、イギリスのカーナボン伯爵率いる考古学調査隊が、


エジプトのピラミッドで、ツタンカーメン王の墓を発掘した事に始まる呪いの事である。


発掘の経験の無いカーナボン伯爵は、王墓の発掘に考古学者ハワード・カーターを雇った。


発掘する事5年、最初に発見したのは、考古学者カーターが飼っている幸運のカナリヤだった。


しかし、ツタンカーメン王の墓が発見された直後だった。


ピラミッド辺りには滅多にいないというコブラに、そのカナリヤが一瞬にして食べられてしまったのである。


それを聞いたエジプトの現地民は大変おびえてこう言ったという。


コブラは、古代エジプトの王家の象徴だ。きっと何か、恐ろしい事が起きる。と。


やがて、調査団達は、王の部屋にあった財宝や黄金の仮面などを運び出した。


その直後だった。総責任者のカーナボン伯爵が敗血症で倒れたのだ。


その昏睡状態が続いたが、2ヵ月後、突然エジプトで大規模な停電が起きる。


暗い部屋に突然カーナボン伯爵の愛犬が遠吠えをすると、


悲しげなほえ声とともに、その愛犬は息絶えたのだ。そして、その停電のさなか


カーナボン伯爵は死んだ。停電の原因は今だに分かっていない。


そして、これはツタンカーメンの呪いの始まりだった。


1929年まで、ツタンカーメンの墓に関係した22人が次々に不可解な死をとげたのである。


しかし、そんな不吉な話に異議を唱えた者がいた。


メトロポリタン美術館のエジプト学者ハーバート・ウィンロックは、


私もツタンカーメンの王墓を開ける時も立ち会ったのに、まだ生きている。


22人の死は、偶然であり、ツタンカーメンの呪いなどは無いと、世界に向けて断言した。


しかし、そのすぐ後にウィンロックはフランス人の妻に殺されたのである。


また、近年の1972年、ロンドンで、ツタンカーメン遺宝展が開かれた。


当時、マスコミはツタンカーメン遺宝展の開催責任者のカイロ博物館のガマル・メフレズ氏に、


ツタンカーメンの呪いがあるのではないか?と質問した。彼はそんな意見には真っ向からこう言った。


「私は墓とミイラに人生を捧げてきました。 どうです。今も生きていますよ。


 ツタンカーメンの呪いなど、ただの偶然ですよ。ハハハ」と豪語した。


4週間後、メフレズは脳卒中で死亡したのである。


では、ここからは、ツタンカーメンの呪い否定派の意見を、


まず、最初の犠牲者であるカーナボン伯爵であるが、彼は発掘以前から体の状態が良くなく、度々入院していた。


しかも亡くなった年齢57歳というのは当時の平均寿命は50歳くらいだったのを考えると、高齢であり、


病身でありながら長生きしたという年齢である。そして、死と同時に起きた停電も、


当時のカイロの電力の供給は不安定で、停電が頻繁に起きていたようなのだ。


また、22人が亡くなったとあるが、ほとんどが、実際の発掘とは関係が無い人である。


第一、呪われて殺されるなら、発掘責任者であり、最初にツタンカーメン王の墓をあばいた


ハワード・カーター氏こそが真っ先に殺されそうなものだが、


彼はツタンカーメン王墓の発掘が終わった次の年に病気にかかったものの、


亡くなったのは、1939年であり64歳だった。


ツタンカーメンの最初の発見者であるカーターが長生きしている事自体が


ツタンカーメンの呪いは無いという証拠である。という。


また、カーナボン伯爵の娘イブリン・ハーバートは、父のカーナボン伯爵と一緒に、


最初にツタンカーメン王墓に入った1人であったのに、


当時としては異例の78歳まで長寿をまっとうしたのである。


よって、ツタンカーメンの呪いは無い。という意見だ。


ただ、反対派でも、●最初のカナリヤの死。●カーナボン伯爵と一緒に亡くなった愛犬。


●ハーバート・ウィンロック氏の死。●ガマル・メフレズ氏の死。については、ただの偶然だと口を濁す。


それで、渡河は私に占い師の立場から、ツタンカーメンの一連の死は、呪いだったのか、


呪いでは無かったのか聞いてきたのである。


そして、私の答えは、

































まず、


ツタンカーメン王であるが、10歳前後で王になり、


19歳の時に殺され、ピラミッドに埋葬された。





そして、当時の占い師のアドバイスにより、


来世に生まれ変わった時に、困らぬようにと肉体はミイラにし、


墓には、来世用にと家具や宝石などを一緒に埋葬した。





生き返った時の備えとして穀物の入った壷を一緒に埋葬、


その中にエンドウ豆等の豆類を入れた。


また、熱を下げるコリアンダーなども備えた。


そして、光り輝く金は、彼の王としての位の高さを表しているだけはでなく、


死者が安全に来世に向けて歩めるようにと、


冥界を照らす役割を担っていたという。








このツタンカーメンの墓の最も珍しいと言えたのは、


王墓としてはきわめて希なことに、


3000年以上も王家の墓としてあるのに、


ほとんど盗掘を受けなかったという点である。






つまり、当時の墓を建てた者の願いである、


王の安らかな眠りは、3000年以上続いたのである。





普通、人は死ぬと、


40年~100年で、来世に生まれ変わる。



無念な死などで、それが遅れても


99%の人は500年という月日の内に生まれ変わるだろう。


(99%とというのは、とても希に、自殺など亡くなった人が、供養してくれる人も無く、

 その無念などで、3000年成仏できないかったという逸話がある)








ツタンカーメン王は、紀元前1330年頃の人である。




紀元前というのが分からない人に説明すると、


今は、2014年である。


つまり、今から2014年前は、0年である。この0年紀元だ。


これより前、例えば、紀元より10年前なら、


0年より10年前だから、ー10年となるが、


このマイナス記号は分かりにくいので、


-10年を紀元前10年としたのである。


よって、0年よりも1330年前。


紀元前1330年にいた人が、ツタンカーメン王であり、


今から2014年+1330年=3343年前の人である。






何を言いたいかと言うと、


99%の人は500年以内に、生まれ変わる。


つまり、3343年前に亡くなったツタンカーメン王は、


99%、もうとうに生まれ変わっている。




確かに、殺された無念はあるのだけど、


その後、大きな立派な墓を建ててもらい、民に忘れられず、


エジプトの多くの人に供養されただろう事を考えると、


3000年以上も成仏せずに、墓を掘り起こした人々に呪う事は無かっただろう。





だから、一般的に言って、


とても古い(500年以上古い)お化け屋敷よりも、


最近出来たお化け屋敷の方が、怖いのである。




どんなに怖い所も、古くなれば、やがれそこにいる霊も成仏し、


生まれ変わって、そこから居なくなり、普通に観光できる遺跡となる。





ツタンカーメン王の墓も、もし100年以内に荒らされたなら、


ツタンカーメン王達の呪いが、発掘者たちに襲いかかっただろう。



よって、


このツタンカーメンの呪いの一連の連続死において、









呪いは無かった。








と言いたいところだが、












最初の犠牲者だった、カーナボン伯爵が死んだ時、


突然カイロ中が停電し、


同時に彼の愛犬が遠吠えをして、


悲しげなほえ声とともに、その愛犬も一緒に息絶えた。



というのが、気にかかる。




偶然にしては、3つの事


カーナボン伯爵の死大停電愛犬が死ぬのが一緒という偶然はちょっと・・・・








そこで、改めて色々と調べてみると、






カーナボン伯爵については、あまり良くない事情が浮かび上がってくる。







ツタンカーメンの発掘は、世界的なニュースであるのに、


このニュースを写真入りで伝えたのは、


イギリスのロンドン・タイムスだけだったという。





というのは、




ロンドン・タイムスは、カーナボン伯爵の親戚が経営しており、


カーナボン伯爵はその親戚と独占契約を結び、


すべてのスクープや写真掲載の権利を、


親戚とカーナボン伯爵が握り、儲けたのである。





よって、


当時の他の世界中のマスメディアからかなり怨まれたという。



カーナボン伯爵によって、ツタンカーメンは彼の私有物と化した。と書かれた。






また宝石や黄金、ミイラなど、


イギリスに持ち帰り、それをただ見ているだけのエジプトの沢山の民からは、


エジプトの宝を、カーナボン伯爵に盗まれたとかなりの人の怨みをかった。







私が何を言いたいかと言うと、







生霊である。





それも沢山の人の怨みの念が、1つの大きな生霊となり、


病気がちで体が丈夫ではなかったカーナボン伯爵を襲った。と考えられる。




集まった生霊のパワーが電気器具の不具合や停電を起こす事があるし、


同時に愛するご主人を霊から守ろうと、愛犬や愛猫が犠牲になる事もある。


その点から言えば、呪いはあった。となる。







その後、


ツタンカーメンの黄金マスクと、純金製の副葬品の大半は、


エジプト国民の返還運動と、エジプト政府の強い要請により返却され、


現在は、カイロのエジプト博物館に展示されている。




END