●双子の姉妹の明暗を分けた部屋
私がマレーシアにいる時の話である。
当時、私は
インターナショナルスクールに通っていた。
ある時、双子の姉妹が転入してきた。
私を含め、日本人は男性2人、女性は妹を含め5人となった。
二人は双子だけあって、とてもよく似ていた。
余談ですが、
皆さんは、双子が産まれた時、
どうやって姉と妹を決めると思いますか?
そんなの簡単だと、思われるでしょうが、
当時、彼女達からこんな面白い話を聞きました。
昔、日本には、
「産婆ノ妄説」というものがあって、
戦国時代の毒見役ではありませんが、
双子が産まれる時、
まず、弟がまず表に出て、露払いをする。
そして、万を期して兄が出てくるとされていたのです。
つまり、
後から生まれる方を兄、もしくは姉とする。
これは、日本で独自に始めたものではありません。
遠く、古代ローマ時代でも、
後から生まれた方を兄とするとしていました。
つまり、昔から日本では多くの場合、
長い歴史から見ると、つい最近まで、
先に産まれた方を弟としていたのです。
しかし、
時代が経つにつれ、そこに法律の問題が出てきました。
戸籍です。
子供が産まれると、
医師が出生証明書を作り、
それに基づき、戸籍が作られます。
では、どこに問題が発生するかと言うと、
実は、
戸籍には、その子が産まれた生年月日だけではなく
産まれた時間(時分)まで記載されるのです。
だから、よく星占いの時、貴方は何時に産まれましたか?
の質問に、分からないという人がいるでしょうが、
戸籍を見ると分かりますよ。
つまり、
先に産まれた方に当然、早い時間が記載されています。
それなのに、弟というは、おかしいじゃないかと問題になったのです。
やがて、
明治7年12月13日、政府は、太政官布告を発令します。
「双生児、三つ子出産の場合は、前産を兄姉と定む」
つまり、
最初に産まれた方を兄とする。としたのです。
そして、
この12月13日を「双子の日」とし、いつまでも忘れない様にとしました。
しかし、
当時は、病院もかなり混乱してしまい。
法律が出来た後も、
産まれた双子の内、どちらを兄にするかを、
長い間、それぞれの医院の方針に任せたり、
そのお母さんに選ばせたりしていました。
例えば、
●以前からの習慣で最初に産まれた方を弟にしますか? もしくは、
●新しく出来た太政官布告に従って、最初に産まれた方を兄にしますか?
それとも、
●体が大きい方を兄さんにしましょうか?
という具合に。
また、昔から伝えられている「産婆ノ妄説」に逆らうのが怖くて、
太政官布告を無視して、先に産まれた方を弟にする人も多くいました。
従って、明治7年に発令された太政官布告ですが、
明治20年になっても、徹底されませんでした。
例えば、
皆さんがよく知っている、100歳超えの双子、金さん銀さんも、
明治25年生まれですが、
先に産まれた方を妹の銀にし、
後から産まれた方を、姉の金としています。
今では、先に産まれた方が当然姉です。
他にも問題はあります。
例えば、
帝王切開の時は、兄と弟の決め方はどうすると思いますか?
(考えてみて下さい。 答えは、本日のブログの最後に)
さて、だいぶ脱線してしまいました。
話を元に戻しましょう。
双子の姉妹が、マレーシアのこの地に来たのは、
もちろん父親の仕事の都合によるものでしたが、
他にも理由がありました。
3ヶ月前にお兄さんを事故で亡くしていて、
彼女の父親は、落ち込む家族の為にも、
傷心を癒すのには海外に出るのも良いと判断された様だった。
お兄さんは、とても妹達を愛していて、
生前すごく可愛がってくれ、色々な所に連れてってくれ、
勉強もみてくれたという。
そんな身近な肉親の突然の死は、彼女達に計り知れないショックを与えていたのである。
やがて、
彼女達がインターナショナルスクールに入ってから3ヶ月が経った。
双子なのに、少しずつ二人に違いが出始めたという。
姉はすっかり、新しい地に慣れ、ショックから立ち直ったようだったが、
妹はまだ兄の死のショックを引きずり、新しい生活にも溶け込めないでいた。
それは、姉が良く分かったという。
双子には相通じるものがあり、
相手の心や心境が手に取るように伝わる事があるようである。
また、彼女達の母親もショックから段々と立ち直っており、
妹だけが、なぜか取り残されている感じだったという。
そんな時、
学校の先輩であり、数少ない日本人という事と、
私が占いが出来るというのを知って、
お姉さんから、相談を受けたのである。
色々話している内に、
家族の中で、妹だけがショックを引きずっているのは、
彼女の部屋に何か問題があるのではないかという事になったのである。
学校でも、食事でも、行動でも姉妹に違いはなく、
他にどう考えても、部屋以外に考えつかないというのである。
こうして、私は妹さんの部屋を診る事となったのである。
学校が終わると、
私は、彼女達がいつも使っているタクシーに便乗し、
彼女の家に向かった。
インターナショナルスクールの生徒は、ほとんど全員が親が車で迎えに来るか、
タクシーである。
危険なので歩いて帰る人は、ほとんどいない。
しかし、彼女達のタクシーは私の使っているタクシーよりも高級だった。
クーラーが付いている。
私と妹が使っているタクシーは、暑いのに窓全開なのだ。
家に着く頃には、汗で上半身びっしょりだ。ワイルドだろう?
私は内心、「おやじ、ケチったな。」と思って、そのタクシーに乗っていた。
やがて、彼女達の家に着いた。
門が締まっており、
門番が車をチェックしてから門が開いた。
私の家は、門番は庭師と兼用で、しかも昼間はいねぇし。
だから家に着くと、
私がタクシーから降りて、
小間使いの様に走っていって門を開けるのだ。ワイルドだろう?
私は内心、「おやじ、ケチってるなぁ。」
「恥ずかして、彼女達をぜってい家に呼べねぇぞ、こりゃ。」と思った。
家もデカい!
車が玄関に着くと、家政婦さんらしき人とお母さんが出て来た。
「初めまして、かやと申します。」
予め電話で連絡してあったようで、すぐに応接間に通された。
マレーシアの家は、天井に大きな扇風機があるのが普通である。
そして、壁のいたる所にヤモリがいる。
現地ではギーコと言って、蚊や害虫をとってくれるありがたい存在として、
普通に壁を駆けずり回っている。
家政婦さんがコーラを持ってきてくれた。
直ぐにでも妹さんの部屋を診たかったが、10分ほど待たされた。
多分、部屋を片づけているのだろう。と思った。
しかし、違った。
綺麗な普段着に着替えていたのだ。
私は内心、「何も着替えてなくてもいいのにぃ。
しかも、二人とも着替えとるわぁ。」と思いながら、
さっそく妹さんの部屋に案内してもらった。
2階だと言う。
大理石で出来た広い階段を登り、2階に到着。
間取りは大雑把に言うと、姉の部屋は東南の角部屋だった。
そして、妹さんの部屋は東北の角部屋だった。
12畳はあるだろうか。
もちろん、外国なのでフローリングにじゅうたんだ。
しばらく見回したが、気持ちの悪い所も無いし、
おかしいと思う所もない。
私はしばらく、その部屋の椅子に座って考えたが、
やっぱり悪い所が思いつかない。
問題をもう一度考えてみた。
お兄さんが亡くなって、半年、
まだショックを引きずっている妹。
まてよ。
大好きなお兄さんが亡くなったんだ、
半年なら、まだショックを引きずっていて当然じゃないか。
てか、普通だろう。
私は、妹さんの部屋には問題ない事を二人に伝え、
まだショックを引きずるのは当然の事だと説明した。
「ええーそうなんですかぁ」とちょっと不満そうで、元気なお姉さん。
「すいません。お役に立てずに。」
帰ろうと一階に降りようとしたが、
その時、
何かお姉さんの部屋も気になった。
そこで、
「あのう、よかったら、お姉さんの部屋も診てもいいですかぁ?」
というと、
「どうぞ、どうぞ」とお姉さん。
「じゃあ、お邪魔します。」と部屋に案内されて入った。
まぁ、入った瞬間は双子だけあって、
同じような部屋だなと思った。
しかし、
私がお姉さんの部屋の真ん中辺りに来た時だった。
あるものが目に入ったのである。
「こ、これは!!!!」
見た瞬間に思った。
これだ!!
これが、二人の明暗を分けたんだ!!!
後半は、明日のブログに続く。
PS.
さて、帝王切開の時の兄と弟の決め方はどうなるか?
の答えですが、
ある医者に聞いたのですが、
彼いわく、
これが帝王切開ではなく、
もし自然分娩だったら、
どちらが先に取り出されていたかを判断し、
そちらを兄とするそうです。