●募金と教育



子供が募金をして誰を助けるという行為は、


学校では習わない、福祉の心を育てている






それも町に出ての実践だけに、


ある意味、仕事をしているのと同じだ。


机の上の勉強よりも、いつまでも心に残る教訓として。



良い子に育ちやすいと言える。







また、霊的に言っても、


募金をする方も、募金を募る方も、


それらはいつか自分に帰ってくるだろう







そんな中、


日本政府に1つお願いしたい事がある。






例え僅かな募金やイマイチな物資でも、



そこに心が詰まっていれば、


受け入れてあげてもいいのではないだろう。




例えば、


タイ国は、


被災者たちが1日おにぎり1つという話を聞いて、




タイのお米を、1万トン集めて送る準備をした。



タイ政府は数ある米の中でも日本人の口に合うようにと選別した。





少しでも東北の人の口に合うようにと、


モチ米5000トンも用意した。




タイ米にモチ米を混ぜたら、


東北の人たちにも食べ易いのではないかという配慮からだ。




しかし、


どこに送ったらいいのか、


政府はいつまでたっても教えない。


返事もしない。





結局、無言で断った形となっている。







タイのお米は、


カレーライスにするととても合って美味しいという印象がある。




東京や大阪にはタイのお米が好きな人もいるかもしれない。


今は輸送できないという事情で、

タイのお米が好きな人に東京で買ってもらい、


そのお金を寄付しても良かったし、




また、東北のお米は美味しい。


だからと言って、


タイの米が例え口に合わなくても、東北の人達は、


タイ米をけなすような事は言わないだろう。



助け合いとは、


お互いに助けるから助け合いなのだ。


品物の事よりも、気持ちを受け取って貰いたかった。



一方通行だけでなく、


困っている友人を助け、


困っている時には助けてもらう。


そこに友情は生まれ易い。






最後に、


ある小学校でおこなわれた募金活動に触れたい。




募金は大人から言い出す場合が多いが、


ある小学校では、


子供達から募金しようという声が上がった。



募金箱を作り、校外で募金するのではなく、



クラスメイトに募金を募った。


だから、


集まった募金のお金は、


すべて、子供達のわずかなお小遣いの中からだ。


http://blog.naver.com/rhdqhtlfeorn?Redirect=Log&logNo=20125121669


一人平均1000ウォンにもなったという。


募金のほとんどが子供達がこつこつ貯めた小遣いであり、


子供達の思いがいっぱい詰まっている1000ウォンだろう。


いつの日か


東北の小学校が


上の小学校と何かで、助け合う事が出来る日が来て、


日韓の友好に結びつくことを願う。