●「助けて」って言っていいんだよ。
苦しい時って、誰にでもあるんだよぉ。
周りの人に助けを求める事は恥ではないんだよぉ。
困った時は、まわりに助けてもらいましょうね。
いつの日か、その恩返しすればいいのですよ。
「助けてください!!」
「助けてください」
を言う勇気も、時には必要です。
そんな事件があった。
裁判官というと、厳格で、冷たい感じを受ける。
しかし、
裁判官も泣いた事件であった。
認知症の母(88歳)を11年間介護したのち、
母の首を締め殺害。自らも自決を図った事件である。
裁判では、
2人の母子が、段々と追い詰められていく様子が語られた。
京都の工場で、派遣社員として働いていた息子。
給料は18万円だった。
家賃と母のデイケア費と食費で、
生活は常にギリギリな状態だった。
それでも
認知症の母の介護も11年目に入った。
10年目を過ぎた頃から母の病状も重くなっていった。
そんな中である、
仕事中に、
認知症になった母親が徘徊し、
2度にわたり警察に保護された。
「ご迷惑をおかけして、すみません。」
「母さん、
家に帰ろうね」
徐々に会社を休まざるを得ない日が増えていき、
結局、
母の介護に専念する為に、退職することになった。
その後、2人の生活を支えていたのは、
月10万円の失業給付金。
しかし、失業給付金は3ヶ月で無くなる。
彼は、市の福祉事務所に生活保護を申請した。
しかし、
役所からは
「働けよ!っと、つきはなされた。」
介護と両立できる仕事はなかなかなかった。
簡単に見つかるようなら
前の仕事は辞めてなかったのだ。
その後、
2回にわたって、再び市の福祉事務所に生活保護を申請したが、
「なんだ、また来たのか!」
「まだ失業給付金が30日出るだろうが!」
「はやく自分で仕事見つけなさい!」
生活保護はついぞ受理されることは無かった。
「かあさん、ごめん、受理されんかった」
母は、
「そうか、あかんかったか」
真冬の寒さが、静かに2人に迫っていた。
やがてすぐに失業給付金の支給がつきた。
失業中、
介護と両立できる仕事を探したが・・・
54歳という年齢と
介護と両立できる時間帯というのがネックとなった。
やはり仕事は見つからなかった。
カードローンも限度額に達する。
元旦。真冬。
2人の生活は、困窮し始める。
それでも母親だけには1日2回の食事を作った。
「母さん、ゴメンな。1日2回の食事で我慢やで」
自分は、
2日に1回の食事しかとらなかった。
「俺が死んだら・・・・
「もし、俺が死んだら・・・・
母さんの面倒は、
国が見てくれるで、
どうや?」
母は、
「・・・・・」
「2人で生きたい」
「おまえと一緒がいいなぁ」
「・・・・・」
「母さん」
やがて、アパート代が払えなくなった。
「すまん・・・」
「もうアパートに住めんのや。2月の家賃がないんよ。」
「もうお金ないんやで、生きられるのも、
この
1月末までや」
母は、・・・・
「そうか、あかんか」
3万円の家賃が支払られなくなった親子は、
死を覚悟して、
2人で室内を綺麗に片付けた。
「今まで世話になった大家さんに迷惑かけたら、あかんな」
家賃が切れる1月31日 早朝。
車椅子の母とアパートを出た。
ふたりは今まで住んでいたアパートに向かって、
深々とおじぎをした。
「今まで、どうもありがとう」
最後の親孝行にと
車椅子の母を連れて、京都市内を観光する。
「母さんの思い出の京都の繁華街に行こうな」
「母さんが元気だった頃、一緒に買い物に来たな」
ふたりは、半日中 歩き回った。
「母さん、お腹空いたか?」
ポケットの中の、わずかな小銭を、かき集めた。
ふたりは、コンビニに入ると、安い菓子パンを1つ買った。
「ごめんな、これが最後やで」
2人で半分んこにして食べた。
やがて車椅子で、行けるところが無くなった。
結局ふたりはアパートの近くの川原まで戻ってきたが、
家には入らなかった。
昨日で家賃はつきていたからだ。
親子は川辺で、1日野宿した。
「母さん すまん・・・すまんな。」
「寒いやろ」
涙ながらに母にわびた。
「もう生きられへんのやで、
「・・・・・」
「ここで終わりやで。」
「・・・・・・・」
母は、
「そうか、
あかんか」
「康晴、
「・・・・・・・」
ずっーと 一緒やで。」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
ふたたび
「母さん、 すまん」と謝ると、
母は、事情を察したのか、
「康晴、こっちへこい、」
「康晴は、わしの子や・・・わしがやったる。」
しかし母は力が弱かった。
「・・・・・・・」
「もうええか?
「・・・・・・・」
これで最後やで。」
「母さんが行ったら、すぐ、オレも行くからな・・・」
さすがの検察官も、ここで、言葉につまった。
片桐被告は母親を殺害した後、
包丁で自分の左首、腹、左手首を切り、
さらに近くの木で首を吊って自決を図る。
しかし被告人は、息があるまま発見され、
承諾殺人罪に・・・・
以上が、この事件のあらましであります。
最後に、被告人が言った一言が、印象に残った事件でもある。
「もう一度、母さんの子として生まれたい」