エルガー交響曲1.2番:自作自演 | クラシック音楽三昧

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音楽は無くても暮らせるけど素敵だよネ 笑


エルガー交響曲1番 1930年11月20-22日
エルガー交響曲2番 1927年4月1日
ロンドン交響楽団
エドワード・エルガー指揮

英国のスペシャリスト尾高忠明氏のお陰でエルガー愛に目覚めたアタクシ 笑
最近では尾高忠明&N響のライブ音源を繰り返し聴き、1番より2番が好きになっている 笑

エルガーラブであるならば、沢山の自作自演音源が遺されているので、遡らなければファンとは言えないかもしれない!?笑

このアタクシがゲットしているEM I音源は、11枚組CDの日本盤
解説も素晴らしくエルガー晩年の自作自演を集めたもの
交響曲は好きで、かなり聴き込み満を持してのマイ自作自演鑑賞となる 笑

現代では英国を代表するエルガー(1857-1937)
マーラー(1860-1911)、トスカニーニ(1857-1957)と同世代
エルガーは楽器商の息子として生まれ
独学で音楽を学んだ
妻となる女性エリスと出会い
作曲家として成功するため二人は苦労を重ねる
生活は妻が支えたようなものだ
1904年47歳にはナイトの称号を得て、英国とドイツ圏で名声を確立する
しかしながら、生活のため国威高揚な作品を書くことと、自分が書きたい作品とのジレンマでいつも悩んでおり、自分を隠すショスタコのような側面もあると勝手に感じた
またその悩みで、自殺を仄めかしたこともあるようなのだ
また、本人は威風堂々などの「マーチのエルガー」というイメージがつくのに不快感を感じていたようだ
1914年第一次大戦後が起こりドイツとイギリスは敵国となり、ドイツ圏での名声を失う
1920年妻アリスが亡くなり創作意欲がなくなる
これ以後亡くなる最後の年の未完となる交響曲3番まで、創作ゼロとなり演奏活動に没頭
自作自演録音は、この晩年の演奏家時代の録音となる

交響曲1番、交響曲2番の自作自演盤は演奏家にとってバイブルのようなのだ
交響曲2番の解説コラムによると
エルガーは、楽譜通り演奏していない部分があり、エルガー自作自演盤の解釈に基づく解釈を原点主義というようで、楽譜至上主義とは異なるようなのだ
ちなみにエルガーの交響曲で名盤を遺しているショルティは楽譜至上主義な人だけど、自作自演盤を聴き原点主義に基づく解釈をしているとある
また1920年代はポルタメント奏法が主流で現代とは慣習が違う
演奏家が楽譜通り演奏しなくてはというのは20世紀初頭くらいからという背景も周知の事かもしれない!?
またエルガーから解釈直伝であり、演奏の正当後継者かつ普及者のボールト卿とその弟子ハンフリー盤はまず聴かなければならないとされる
原点主義かつテンポも継承しているとのこと

さてさて聴いてみて、テンポも早めで動的でドラマティック、またポルタメント奏法を多用し、現代とは異なる
色々な演奏が聴ける現代のアタクシからすると聴きやすく古臭くも感じない
古さを感じるとしたら録音かもしれないが、ヒストリカルファンなアタクシなら、この時代ならこんな録音だからという感覚があるから気にはならない!?笑
ちなみにロンドン交響楽団は1904年創設で、この録音の頃はまだ新設オケ
エルガーは1911/1912年首席指揮者だったそうな
アタクシは、バルビローリ卿の音源は好きだけど、動的でドラマティカルであった
継承しているのかな!?笑
しかしながらベートーヴェン、ブラームスとは違い満を持した自作自演録音が遺ってるというのは解釈の点で文句はつけようがないよね!?
これこそオリジナル 笑
録音だけども本物だ!?笑
なんてね 笑