私のお気に入り本 自伝「パブロカザルス喜びと悲しみ」 | クラシック音楽三昧

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音楽は無くても暮らせるけど素敵だよネ 笑

パブロカザルス(1876ー1973)は、私の中で一人の大芸術家の理想像として、記憶に留めて忘れてはならない大変立派な人と感じます

私は絶対忘れないであろう




今更、私が語る事項ではないですが、チェロ演奏のパイオニアであるだけでなく名演奏家

(現代では時代考証研究が進みカザルス残された録音を聴き、彼のバッハ演奏は間違っているから聴かないなどあるが、私は受け付けないし、人間味のあるロマンのある演奏を好む者であり、パイオニアが一番苦労するものだということは理解しているつもりなのであります)

またチェリストという点でなく、戦後は、戦う芸術家

この人は、チェロを武器に世界と戦ったのだ…

Rock的にいうとパンクかもしれない

ある種、戦争という時代の犠牲者かもしれない

この時代の人は、生死の問題が常にあり、故郷を捨てざるえない人もたくさんいたのであります

われわれは、まだ幸せな時代にいるのかもしれないのです





祖国スペイン内戦は、ファシズムのドイツ、イタリアが援助によりファシストのフランコ政権に支配(1939年)されて、カザルスは、スペイン国境付近のフランスのプラードにいくことになる

(この内戦でピカソのゲルニカが生まれた、また戦前の日本もフランコ政権を支持していることは忘れてはならないし、また50万人近い人がスペインからフランスへ難民として渡ったのだ)



その後、ヒトラーナチスの侵略により、フランスもドイツの支配下に入るのであった

そこでも国外逃避できたのに、フランス南部プラードに留まり、ブラックリストに入り何度も殺されそうになる思いをしているのです

友人や近隣の人が、囚われたり、処刑されていく中、この極限の中でもバッハ「前奏曲とフーガ」2曲をピアノで捧げと練習と作曲をする日々を過ごしていた
(このlifeStyleは一生続けていいるのです)

逃避しなかったのは、ここにいろいろな戦争難民がいることを知って自分一人逃げる事は考えれなかったからなのだ





第二次大戦が終わっても、カザルスの戦いは、戦後も続いたのだ…

冷戦のバランスの中で、スペインのフランコ政権は戦後も国際社会で容認されたまま、祖国が解放されないかぎり、チェロを演奏しないという戦いを世界に向け発信しプラードに留まったのである





当時世界的知名度があったからできたかもしれない

また一人の演奏家がこんな事をやったからといって何か変わるようなことはありえないだろう

実際、フランコ政権(1975)はカザルスの死後まで続いたのである


こーいう点でも私は、大変尊敬するであります




世界中から、演奏して欲しいと惜しまれ、友人の一人、ブタペスト四重奏団のシュナイダーの働きかけで、プラードで音楽祭をするのなら問題ないだろうと始まったプラード音楽祭



あの当時カザルスを慕いプラードに集まった芸術家は、私は大変尊敬するのです

ピアノではM・ホルショフスキ、R・ゼルキン、J・イストミン、W・カペル、A・コルトー、C・カーゾンなど
ヴァイオリンはS・ヴェーグ、S・ゴールトベルク、Y・メニューイン、J・シゲティ、A・グリュミオーなど
チェロは、P・トゥルトゥリエ


皆中身を重視した音楽をやる人ばかりだ




その後の国連での有名な「鳥の歌」の演奏は「音楽による抵抗と平和への祈り」なのだ

鳥の歌は、祖国スペインカタロニアの民謡にもとに作った曲

各国首脳への音楽による抵抗と平和への祈りであり、またそこでの演奏が世界中に発信されるからなのだ…



また国際社会は軍事独裁政権でスペインの状況を容認したままであり、ホワイトハウスでケネディに会いこの人なら世界を変えてくれるだろうと思い、演奏もしているのだ

その後のケネディ暗殺後のベトナム戦争や冷戦による世界紛争を目の当たりにした、カザルスはケネディの死を大変残念に思うのであった…


そしてスペインの民主化を見る事無く、また祖国へ帰ることなく亡くなったのであります






といろいろ書いてありますが、SP時代の音源が好きな人にもたまらない本だし、この二つの大戦間の世界情勢も知れたりします

コルトー、イザイ、ティボー、クライスラー、ホルショフスキー、ブタベスト四重奏団etcキラ星のような大芸術家が挿話で登場します

また専門用語がないので、読みやすいです

敬愛する吉田秀和先生の訳でもあります






最後に、少年期に読んだところで大変ショックを受けたところ引用しておきます

「カザルスとコルトー」

photo:01


大親友で、ティボー、コルトーとともにカザルストリオを結成した仲間でもあった




そんな、コルトーは、戦争という狭間での人生選択で、立身出世欲があるばかり、親友を裏切ってしまうのだ…

ナチスがフランス侵略のおり、ブラードからボルドーへ脱出しようとする時、政府にコネのあったコルトーに助けを求めたが、冷たくあしらわれ、会いにも来てくれず、助けてくれなかったのである
その後コルトーがナチス側に行くのを知り、なぜ冷たかったか知るのであった




野心のある努力家で頑張り屋の人は、地位、肩書き、権威に憧れるとともに、頑張った当然の報いだと感じる

特に恵まれてないところからのスタートの人は…

生まれながらある人に比べ、それがないために、大変苦労するからだ…

間違っているかもしないが、大人になったかもしれないと思っている私はそう理解する


そこを、コルトーはナチスに巧く利用されたのであろう…




そんな戦後のエピソードから…


~プラードへ帰還後、突然のエピソードか突然の驚きとともに暗い戦争中に私を引き戻した。
ある朝、プラードの家にいたが、誰かが玄関のドアをノックした。
私がドアをあけるとアルフレッドコルトーが立っていた。

彼を見ると私はひどい痛みを感じた。

悲しい過去の日々が、まるで昨日おこったかのようによみがえったきた。
私は立ってお互いに顔を見合わせたまま、ひとことも言わなかった。
私は手招きした部屋へ入れた。

彼は、ぽっつりぽっつり話し始めたが、目を伏せたままだった。ひどく老けてしまっていた。またひどく疲れているように見えた。初め彼は自分の犯した行為を弁明しようと、もそもそ話しだしたので、私は止めさせた。

すると、せきを切ったように、「ほんとなんだ、パブロ。世間で言っていることは本当なんだ。私はナチと協力したんだ。私は恥ずかしい、ひどく恥ずかしく思っている。君に許しを乞いにやってきたんだ…」これ以上なにも言えなくなった。

私も同じだった。私は彼に言った。

「君が正直に言ってくれて嬉しいよ。だから君を許すよ。握手しよう。」~





そんな昔の親友を許す器の大きさ

そこにショックを受けたとともに感動したのであります


photo:02


プラード音楽祭音源の中に、コルトー最後の音源でもあり、カザルスとのラスト共演の録音が納められている
(この音源は、上記メンバーの音源が入っており室内楽ファンには凄い音源なのだ)

ベートーヴェンチェロソナタ3
ベートーベン魔笛変奏曲 (1958)

私は晩年のチェロ演奏が好きということを伝えておこう

深みが凄いからだ

この演奏のカザルスの演奏もイイです

魔笛変奏曲のコルトーのピアノも往年の洒落っけがあり素敵なのだ

晩年の録音でヘタウマという人はいるが、このような挿話を知っている私は、また一層思いが加わり涙なしには聴けないのであります




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~オマケ バッハ無伴奏~