美和さんと前に話をした、「記憶」について。ちょうど気まぐれで読み返していた河合隼雄さん・よしもとばななさんの対談本『なるほどの対話』で、河合さんがこんなことを語られていた。
《私は、こんなことを思ってるんですよ。これもちょっと勝手な話しなんだけど、「この夕焼け」とか「この息づかい」とか、それはちゃんと記憶として保存されるわけです。そういうのが、その人をつくっているのではないか、と。それは歴史の何々を覚えました、というのとは違うんだけれど、むしろだからこそ、その人の人間全体に作用しているというか。子どもの頃にそういうものが保存されている人とそうでない人の違いを感じるんです。やっぱり子どものときの試練や、人間とどう接したか、そして何を食べたか。
~中略~
それはやっぱり、自分を大事にしているということですね。自分の感覚というか、自分の掴んだものを譲れないというか。それをやっていくことが、個性をつくることだと思います。》
いろんなことをもう覚えていないんじゃないかとか、あるいは、すぐに忘れてしまうんじゃないかとか、頭では決めつけてしまっても、身体というか、魂の深い部分で、大切なものはちゃんと保存されているのだと思う。そのためには、自分が「これは」と思った経験を、丁寧に感じること。拙くても、自分なりの物語に置きかえて楽しむこと。
それら記憶たちは、宇宙の彼方になりを潜めたように見えても、いろんな形に姿を変えて、重なりあいながら、わたしという人間を支えてるのだと思う。たとえば、小説を読んでしずかに癒されたり、音楽を聴いて懐かしい情景がふとこころに浮かんだり、星ひとつない漆黒の壮大な夜空を見上げてただただ美しいなと感じたり、残り野菜と市販のルゥを使って思いつきでこしらえたカレーライスをしみじみ美味しいと思えるように。