先日、テレビ局から、故須賀敦子さんついての問合せがあった。 ある番組で須賀さんの著書を紹介することになり、須賀さんの顔写真を使わせてもらえないかということだった。
なんでそんな連絡が来たのかというと、須賀さんは、私の勤務先に、かつて教授として勤めておられたからである。
そんなことがきっかけで、私は、人事部の奥底で眠っていた須賀さんの履歴書を拝見することができた。 須賀さんの文章に少なからぬ影響を受けてきた私にとって、その肉筆を見ることができるというのは、まったく想像しえなかった幸福な偶然だった。
約40年前に提出されたその履歴書は、触れたらぽろっと崩れてしまいそうなほど端々が赤茶く変色し、かなりの年季が入っていた。 まるくもなく、しかくくもない、どこか涼しげで真っ直ぐなにおいのする、須賀さんの字。これを書いたとき、はたしてどんな気持ちで、須賀さんは自身の半生を振り返っていたのだろう?
書類の左上には、見る者すべてを射抜くような、鋭い目つきをした須賀さんがいて、見た瞬間に、あ、須賀さんだ、と思った。 著書の巻末で目にするやわらかな表情にかくされた、孤独な道を歩きつづけてきたひとりの女性の素顔。
「きっちり自分に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸を
かこちながら、私はこれまで、生きてきたような気がする。」
日本とミラノを行き来しながら、そのあいだに、夫が死に、父親が死に、母親が死に、友が死んでいく中で、 楽しいことよりも、さみしいこと、我慢できないことの方がだんぜん多かった須賀さんの時間。 より良く生きたいという意志だけを背負い、小さなランプでまとわりつくような闇を懸命に照らし、時にはただ呼吸することだけを課して、ひたすら歩きつづけた人生。
「たとえどんな遠い道のりでも、乗り物にはたよらないで、歩こう。」
夫とともに自身も愛した詩人、サバの故郷を訪れたとき、須賀さんは、この小さなルールを自身に課した。心の底に息づくたくさんの感情の襞をまさぐりながら、須賀さんが、ほんとうは何を見ようとしていたのか、私にはわからない。
