「美は乱調にあり」大杉栄と辻潤 | 大道似顔絵描きのガチンコ人生史

大道似顔絵描きのガチンコ人生史

私は半世紀近く、大道で似顔絵を描いてきました。道路交通法やヤクザにも屈せず、今、尚、続けていられるのは次の言葉からです。

生きるというのは人に何かをもらうこと
生きていくというのはそれをかえしていくこと
by 金 玉先生 以上

大杉栄


人生とは各人がそこへ一文字一文字書いてゆく、白紙の本だ

大正時代の社会運動家、無政府主義者。1885年1月17日香川県生。名古屋陸軍幼年学校に学友と決闘して退学処分に、その後上京、1906(明治39)年東京外国語学校(現・東京外国語大学)卒業。

1903(明治36)年、日露戦争開戦反対を唱えて「万朝報(よろずちようほう)」を退社した(後年、大逆〔たいぎゃく〕事件で死刑となる)幸徳秋水(こうとくしゅうすい)や社会主義運動の先駆者といわれた堺利彦(としひこ=1870~1933。終始非戦論を唱えて数度入獄。日本社会党・日本共産党の創立にも参加)らが創設した明治末期の社会主義結社「平民社」(「平民新聞」を発行したが、官憲の弾圧で1905年に解散。1907年に再興されたが3か月で解散)の研究会に参画、1906年2月日本社会党に参加し、電車賃値上げ反対運動で逮捕・起訴され、有罪判決を受け、収監される。

1907(明治40)年7年2日、日刊『平民新聞』に「欧洲社会党運動の大勢」を発表、直接行動派の立場を明らかにし、アナ-キズム(無政府主義=一切の政治的、社会的権力を否定して、個人の完全な自由と独立を望む考え方)に傾倒していく。

同年3月クロポトキン(1842~1921。国家を廃した小組織の連合による社会を主張する無政府主義の理論家として著名なロシアの政治思想家)の翻訳「青年に訴ふ」が新聞紙条例違反に問われ、収監される。

1908(明治41)年1月の金曜会屋上演説事件で再度投獄され、同年6月の赤旗事件(東京神田の錦輝館〔きんきかん〕で、社会主義者山口義三の出獄歓迎会を開いた際、荒畑寒村・大杉栄らが「無政府共産」と書いた赤旗を掲げて屋外行進をしようとして検挙された事件。錦輝館事件とも)では、堺、荒畑寒村(あらはたかんそん=1887~1981。社会運動家。労農派として活動し、第2次大戦後、日本社会党結成に参加)、山川均(ひとし=1880~1958。同志社中退後、社会主義運動に接近、赤旗事件で投獄。1922年の日本共産党創立に参画し、山川イズムと呼ばれる「無産階級運動の方向転換」を発表、運動に大きな影響を与えた)らとともに2年半の投獄生活を送る(「一犯一語主義」〔投獄の度に1カ国語をマスターする〕を唱え、獄中で語学を独学した)。


出獄後、大逆事件後のいわゆる「冬の時代」(大逆事件が原因で社会主義反体制運動が低迷した時代)下、1912(大正1)年10月、荒畑と文芸思想誌『近代思想』を創刊、生の拡充と創造を説き、社会的個人主義を確立していく。

1914(大正3)年9月「知識的手淫(しゅいん)」と自嘲(じちょう)して『近代思想』を廃刊し実際運動に踏み切るが、月刊『平民新聞』、第2次『近代思想』は連続して発禁となる。

このころ妻(堀保子)がある身ながら東京日日新聞の記者神近市子(かみちかいちこ)や辻潤(つじじゅん=1884~1944。訳書にシュティルナー「唯一者とその所有」,評論集に「浮浪漫語」「ですぺら」などがある)の妻伊藤野枝(いとうのえ)と関係を持つ。このような恋愛関係はマスコミ(世間)や新旧の同志からも批判を受け、1916(大正5)年11月ついに、神奈川県葉山の日蔭茶屋(ひかげちゃや)で神近に刺される(日蔭茶屋事件)。

ロシア革命がおきた1917(大正6)年12月、東京・亀戸(かめいど)の労働者街に移り、『文明批評』を、さらに和田久太郎(きゅうたろう)、久板卯之助(ひさいたうのすけ)とともに『労働新聞』を創刊、1919(大正8)年10月には第1次『労働運動』を創刊してサンジカリズム(急進的労働組合主義)運動の先頭にたつ。

1920(大正9)年8月、日本社会主義同盟の発起人になり、ボリシェビキ(1903年にロシア社会民主労働党が2派に分裂したときのレーニンの率いた左派の多数派で、ソ連共産党の前身)派と協同するが、ロシア革命の評価などをめぐってしだいに批判を強め、1922(大正11)年9月の日本労働組合総連合大会では自由連合論を支持してボルシェビキ派と激しく対立する(いわゆる「アナ=ボル論争」)。

翌1923(大正12)年4月、フランスへ密出国、メーデーで演説するも、逮捕され強制送還される。

同年9月、関東大震災が起こる。

同月16日、伊藤野枝とともに鶴見に住む弟を見舞い、6歳になる甥(おい)の橘宗一(たちばなむねかず)を連れて帰る途中、東京憲兵隊麹町分隊長甘粕正彦(あまかすまさひこ)、憲兵隊特高課の森慶次郎らに捕まり、伊藤野枝や橘宗一(墓所は名古屋の覚王山日泰寺)とともに首を絞められて殺害された(甘粕事件)。

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辻 潤


東京浅草区向柳原町に生れる。母美津は辻家の養女であり、父六次郎は埼玉の豪農に生まれ月給四、五十円程度の東京市教育科の官吏であった。祖父の代からの財産があり、生活は楽であった。女中四、五人にかしずかれて育つ。

国民英学会、アテネ・フランセ等で語学を学んだ。上野高等女学校勤務時代、教え子伊藤野枝と恋愛し退職、野枝はのち大杉栄のもとに走った。辻まことはその子。

ロンブローゾ、ワイルドなどを翻訳、西欧の世紀末思想を紹介し、自らもダダイストをもって任じた。放浪の生涯を送り、《浮浪漫語》《絶望の書》《痴人の独語》《ですぺら》等の著がある。

1944年、淀橋区上落合の静怡(せいたい)寮(小田原在の知人桑原国治経営のアパート)に居候。11月24日 その一室で虱にまみれて死んでいるのが発見される。

医師は狭心症として処理したが餓死とも言われる。弟義郎、流二、その他友人二、三人により、染井(現豊島区駒込六の十一)の西福寺に葬られる。
嗚呼、伊藤野枝!



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詳しくは私の師・玉川しんめいの本を読んでください。

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