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 一六 示して云く、学道の人衣糧を煩ふこと莫れ。只仏制を守て、世事を営むこと莫れ。仏の言く、衣服に糞掃衣《ふんざうえ》あり、食《じき》に常乞食《じやうこつじき》あり。いづれの世にか此の二事の尽ること有ん。無常迅速なるを忘れて徒らに世事に煩ふこと莫れ。露命の且《しばら》く存ぜるあひだ、仏道を思て余事をことゝすること莫れ。
 有人問て云く、名利の二道は捨離《しやり》し難しと云へども、行道の大なる礙《さは》りなれば捨てずんばあるべからず。故へに是を捨つ。衣糧の二事は小縁なりと云へども行者の大事なり。糞掃衣常乞食は是れ上根の所行、亦是れ西天の風流なり。神丹の叢林には常住物等あり。故に其煩ひ無し。我が国の寺院には常住物なし。乞食の儀も即ち絶て伝はらず。下根不堪《げこんふかん》の身、いかゞせん。然あらば予が如きは、檀信の信施《しんせ》を貪らんとするも、虚受《こじゆ》の罪随ひ来る。田商士工を営むは是れ邪命食《じやみやうじき》なり。只天運に任せんとすれば果報亦貧道なり。飢寒来らん時、是を愁ひとして行道を礙《さ》へつべし。或人諫めて云く、※[#「にんべん+爾」、第3水準1-14-45]《なんじ》が行儀はなはだし、時を知らず機をかへり見ざるに似たり。下根なり、末世なり。かくの如く修行せば亦退転の因縁となりぬべし。或は一檀那をも相かたらひ、若は一|外護《げご》をもちぎりて、閑居静処にして一身をたすけて、衣糧に煩ふこと無く静に仏道を行ずべし。是れ便ち財物等を貪るに非ず。暫時の活計を具して修行すべしと。此の詞を聞くと云へどもいまだ信用せず。かくの如きの用心いかん。
 答て云く、但夫れ衲子《のつす》の行履《あんり》、仏祖の家風を学ぶべし。三国ことなりといへども真実学道の者いまだ此の如きの事あらず。只心を世事に執着すること莫れ。一向に道を学すべきなり。仏の言く、衣鉢の外は寸分も貯へざれ、乞食の余分は飢たる衆生に施せ、設《たと》ひ受け来るとも寸分も貯ふべからず。況や馳走あらんや。外典《げてん》に云く、朝《あした》に道を聞いて夕べに死すとも可なりと。設ひ飢へ死に寒《こご》へ死すとも、一日一時なりとも仏教に随ふべし。万劫千生《まんごふせんしやう》、幾回か生じ幾度か死せん。皆な是れ世縁妄執《せえんまうしふ》の故へなり。今生一度仏制に随て餓死せん、是れ永劫の安楽なるべし。いかに況や未だ一大蔵教の中にも三国伝来の仏祖、一人も飢へ死にし寒へ死にしたる人ありときかず。世間衣糧の資具は生得の命分ありて求に依ても来らず、求ざれども来らざるにも非ず。只|任運《にんぬん》にして心に挾むこと莫れ。末法なりと謂ふて今生に道心発さずば、何れの生にか得道せん。設ひ空生迦葉の如くにあらずとも、只随分に学道すべきなり。外典に云く、西施毛※[#「女+嗇」、第3水準1-15-92]《せいしまうしやう》にあらざれども色を好む者は色を好む、飛兎緑耳に非ざれども馬を好む者は馬を好む、竜肝鳳髄にあらざれども味を好む者は味を好む。只随分の賢を用るのみなり。俗なを此の儀あり。仏家亦かくの如くなるべし。況や亦仏二十年の福分を以て末法の我らに施す。是に依て天下の叢林、人天の供養絶へず。如来神通の福徳自在なるも、馬麦を食して夏を過しましましき。末法の弟子、豈に是を慕はざらんや。
 問て云く、破戒にして虚く人天の供養を受け、無道心にして徒に如来の福分を費やさんより、在家人に随ふて在家の事をなして、命ながらへて能く修道せんこと如何ん。
 答て云く、誰か云ひし破戒無道心なれと。只強て道心を発し仏法を行ずべきなり。いかに況や持戒破戒を論ぜず、初心後心を分かたず、斉しく如来の福分を与ふとは見へたれども、破戒ならば還俗すべし、無道心ならば修行せざれとは見へず。誰人か初めより道心ある。只かくの如く発し難きを発し、行じがたきを行ずれば、自然に増進するなり。人々皆な仏性あり。徒づらに卑下すること莫れ。亦文選に云、一国[#(ハ)]為[#(ニ)][#二]一人[#(ノ)][#一]興[#(ル)]、先賢[#(ハ)]為[#(ニ)][#二]後愚[#(ノ)][#一]廃[#(ル)]と。言ふこゝろは、国に賢者一人出来れば其の国興る、愚人ひとり出来れば先賢のあと廃《すた》るゝなり。是を思ふべし。