大晦日は今年も、実家で紅白。

変えていくことは大好きですが

変わらないことも大好きですw

どうもこんばんは、カヅーです。



2011年、振り返ってみようかと思います。


1月はひたすら国家試験の勉強をしました。

朝から晩まで口のことを勉強して

それでも全然自信を持てなかったこと

そのストレスが元で1ヶ月に12kg太ったこと…。

精神的に底の辺りを這っていました。



2月は国家試験本番。

その後はバイト先でゆったりバイトしつつ

旅行に行ったりしていました。



3月、東日本大震災の発生。

3月11日は家でダラダラしていました。

ふと携帯で『大きな地震があった』というニュースを見て、テレビをつけた時

津波が東北の街を飲み込んでいる光景が映し出されて

微動だに出来ず、その衝撃に圧倒されました。

情報を集めたり、友人に連絡を取ったり

何か出来ることはないのか、と考えてばかりで

行動していない自分を恨めしく思いました。


そして、3月末に国家試験合格。

人生の岐路に立ちました。

国家試験に落ちていたら、被災地に住みこんでボランティアを…などと考えていたので

喜んでいいやら…、あまり気持ちを表に出せませんでした。



4月、研修医としての生活が始まり

新しい環境に慣れるために精一杯でした。

下宿も始め、意気揚々としていました。



5月、中学時代からの親友が結婚。

東京まで行き、彼らの門出を祝福しました。

実は、結婚式に出席したのは初めてで

嬉しくて飲み過ぎてあまり記憶はないのですが

どうやら号泣していたようですw

二次会では、主役の二人が来るまで

ひたすら新郎の過去を暴露していたとか…。

すみません、覚えていませんw



6月、ようやく新環境に慣れてきた…か?という感じ。

ただ、同時に熱意みたいなものも薄れてきて

どうも前向きでない日々が続きました。

夏が近づき、キャンプの準備など始めたいけど

心が動かない、というジレンマ期でした。



7月、暑いのは苦手ですw

一応、配属変えはありましたが

あまり大きな変化もなく、もっと歯医者として働きたいなと

漠然と考えていました。

キャンプの準備に力を入れることで

公私を好転させたい、と考えていました。



8月、キャンプシーズン到来です。

子どもたちを連れて3泊4日、キャンプ生活をするイベントにて

総括をさせていただきました。

中高生スタッフの成長に、奮い立たされる自分がいました。



9月、またもや人生の岐路です。

3月からずっと心にあった、被災地への思い。

それを行動に移すことができた月でした。


診療中にもらった1本の電話で

『一緒に陸前高田でボランティアをしませんか?』と言ってくれた友人。

彼との繋がりは、本当に細く弱いもので

1度会っただけ。しかも10分程度話しただけの関係でした。

その彼から受けた誘いで陸前高田市に行き

がれきの撤去、仮設住宅での歯科検診など

貴重な体験をさせてもらえたこと。

今年流行りの『絆』というか

僕の大好きな『縁』という言葉をこれ以上感じたことはない、というほどの経験をしました。


陸前高田市でさせて頂いた歯科検診。

僕がしたのは、先生のアシスタントと、子ども達のブラッシングだけでしたが

国家試験合格してから初めて

『歯医者になってよかった』と思えた瞬間がそこにあり

自分の中に『歯医者としての誇り』のようなものが生まれた瞬間でもありました。


陸前高田には、子どもキャンプ・ボランティアスタッフの高校生も一緒に来てくれました。

僕が書いた『陸前高田に行く』というブログを見て

『自分にも何かできるんじゃないか』と、自分のお金で参加をしてくれました。

数年前、初めて会った時の彼は

あまり僕と目も合わせてくれず(笑)、進んで前に出るタイプではなかったと思います。

でも、今年の夏のキャンプでも、陸前高田でのボランティアでも

自分の意志で、一歩前に出ている姿を見れた。

『男子三日会わざれば刮目して見よ』という言葉がありますが

本当に、彼らの年代の成長には驚かされます。

そして、彼らの成長がこんなにも自分に影響を与えてくれること

これにも日々驚かされ、感謝の気持ちでいっぱいです。



10月、配置換えがありました。

口腔外科というところでの研修が始まり

『初めは雑用だよ』という指導医の先生のお言葉通り

ひたすらその医局に慣れることと雑用に力を入れました。

毎日毎日忙しくて、帰るのも遅くて、しんどかったですが

陸前高田で生まれた誇りを胸に頑張ることができました。


すると不思議なことに、今までほとんどしていなかった

『歯医者としての仕事』をさせてもらえるようになり

指導医の監視のもと、たくさんの研修をさせて頂きました。

『公』が充実していくのを毎日噛み締めながら生活していました。



11月、人生の好転が続きます。

陸前高田で歯科検診をご一緒させて頂いた先生から

来年度からの就職先をご紹介頂いて

とんとん拍子に話が進み、就職が決定しました。

院長先生もとても度量の大きな先生で

『この人の下で力をつけたい!』と思いました。


ただ11月は公私のバランスが悪く

『公』を重視するあまり、『私』が疎かになって

それが体調に現れ、優れない日もありました。



12月、仕事にも慣れ、毎日が充実していました。

『私』に関して言えば

例年の忘年会の幹事だけでなく

高校の同窓会(学年全体)の幹事を任され

右も左も分からぬまま、招待状を送ったり、人数の把握をしたり、会場の手配をしたり

忙しない1カ月でした。


12月はたぶん、最低でも3日に1回は忘年会で

二次会の幹事を急遽任される、というパターンが多く

精神的にかなり疲れましたw

おかげ様で大晦日の今日、1か月分の疲れが一気に出て

かなり身体が重いですw





2011年、世界にとっても、日本にとっても、僕にとっても

本当に、様々な意味で岐路と呼べる年だったと思います。

東日本大震災、まだまだ復興への道は遠く

人手が必要なのは間違いありません。

広島でこれだけ寒いのだから

東北地方、ましてや仮設住宅は想像を絶する寒さでしょう。

健康状態も気にかかります。



出来るならば来年、2012年は

『復興』への道筋がハッキリ見えてくるような

そんな、希望に満ちた1年になってほしいし

僕に出来ることをしていきたい。



僕個人としても、4月からは新しい職場で

新しい下宿先で、新しい気持ちでの生活が始まります。

やっぱり、希望を持って生きていきたい。



そして、僕の家族、友人、周りの人たち、世界中の人たちが

希望と安心を抱いて生きられるような

そんな1年になるよう、心から祈って

今年も除夜の鐘を撞きに行きたいと思います。




2011年、今年も本当に、大変お世話になりました。ありがとうございました。

2012年、ご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんが

来年も何卒、よろしくお願いいたします。


それでは皆様。よいお年を。








10月はいい月だった。

11月は真ん中あたりから微妙だった。

そんな近況報告。

11月にブログアップしてないのもそれが原因ですかねぇ。

ご無沙汰しております。カヅーです。




今日、12月5日は父の命日です。

今年は14回忌。

僕が13歳の時に亡くなり、それから13年。

父と一緒にいた年月だけ

父のいない年月を生きてきたのだと思うと

この13年を長く感じます。



父は歯科医師で、開業医でした。

亡くなった日も普通に診療をしていて

胸が痛くなって近くの内科を受診しようとしたけど満員で

タクシーで日赤病院に向かう途中で心臓が止まって。


僕は中学2年生で、土曜日の2時間目、幾何の授業を受けていました。

突然教室のドアが開いて、先生が2人

僕の名前を叫びながら血相変えて教室に入ってきました。

『げっ、どの件がバレたんだろうか…』と何で怒られるのか考えてたら

職員室に呼ばれ、祖母からの電話を受け

『パパの心臓が止まりそうなんよ』と言われ。


意味も分からないまま、実家に送ってもらい

近所のおばちゃんに病院まで送ってもらい

僕が到着すると同時に心肺蘇生をやめて臨終を迎えました。

日頃、ほとんど泣かない妹が号泣したのをよく覚えています。


その後は、通夜・葬式の準備でてんてこ舞い。

人が亡くなったのに、みんなが忙しそうで

悲しんでる暇もなくて、気付いたら火葬されている。

中2の僕は

『もっと、親父が死んだことを悲しむ時間をもてばいいのに』と

何かに憤っていました。

今思えば、あの忙しさはきっと

人の死なんて悲しみを直視しないためのものなのかもしれないなと

そういう風に考えられるようになりました。



父が亡くなる少し前から

僕は父を『親父』と呼べるようになり

家のことや、色々な少し大人っぽい話をできるようになっていて

そんな折の父の死は、寂しかった。


母と、母方の祖母に育ててもらい

広島大学歯学部を卒業し

2年の国家試験浪人を経て、今年、歯科医師になりました。


出来れば今、父に生き返ってもらって

息子として、同じ大学の後輩として、同業者として

色々な話をしてみたいなぁと思います。


まぁそれは、数十年後に僕が天寿を全うしたときの

楽しみにとっておきましょうかねぇ。




親父の命日の件は毎年、mixiに日記を書いていましたが

今年からブログにも書いてみようと思いました。


『孝行をしたい時には親はなし』


この言葉、本当にその通りだと思います。

皆さんも、返せる恩はお早めに。

そして、心筋梗塞にはご用心。




珍しくゆっくり過ごした土日でした。

体調崩してしまいましたが

体力回復にはもってこい。

しかしもっと体力つけなきゃなー。

どうもこんばんは、カヅーです。




さて、タイトルの

『桜咲く坂道 ~広島城北学園物語~』は

我が母校、広島城北学園創立50周年を記念して描かれた

城北の紹介(?)コミックの題でございます。




カヅーの広島いろいろブログ



10月30日の中國新聞の1面にも

大きく広告が出ております。

紀伊国屋、廣文館、フタバ図書メガなどで

絶賛発売中!!




僕も早速購入しました。

実在の先生方が登場するので

懐かしい思いもありつつ

でも、描かれてる校舎が新しい校舎ばかりで

少し寂しい気持ちもします。


ストーリーは、坂上翔という主人公が

城北中学に入学し、城北高校を卒業するまでの6年間を描いたもの。

部活や勉強、寮での生活を経る中で

成長していく姿を描いています。


卒業生としては

『確かにこんな葛藤してた時期あったわ』という共感も出来るし

『この先生、こんなしゃべり方するっけ?!』って疑問もあったりと

色々と楽しめますw


一般の方が読んでも

主人公に感情移入して、懐かしい中高生時代を思い出せるかと思います。


廣文館は、お店を入ってすぐ右の

新書コーナーという、結構いいところに置いてありました。

是非、一読されてみてください。


印税は、東日本大震災遺児育英資金に

全額寄付されます。

1冊500円。

普通のコミックとして買って読んでいただくだけで募金にもなる一品。

いかがでしょう?w





たちまち僕は30冊くらい買って

広島にいない同級生にでも送ってやろうかなー、と考えていますw