こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」で「日本マイナー歴史研究専門家の原 一六四(ひろし)です。

 

本日も「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズをお送りいたします。

 

と、その前に「歴史の裏側教えます!!」動画版、昨日「徳川家康が改名した訳」をアップしましたが、皆さん、見てくれましたか?まだーという方は是非、見てくださいね。

 

「歴史の裏側教えます!!」動画版、「徳川家康が改名した訳」を見たい方はこちらをクリック。

 

では本日の本題です。

 

六角定頼と浅井亮政の激しい争いが一旦、終結し京極高広は実質、浅井亮政の傀儡となり北近江は浅井氏の支配するところとなっていた。そんな時、北近江の雄・浅井亮政が死去すると京極高広が動き出す。それは、新たな浅井氏と六角氏との戦いを呼ぶこととなる・・・

 

【国友城の戦い】

浅井亮政亡き後、浅井家は亮政の息子・久政が跡を継いだ。この久政は亮政ほどの力量が無かったと思われる武将で、その子・長政の方が亮政の力量を引き継いだと思われます。浅井長政は織田信長の妹(お市)を嫁にもらい織田信長から一目置かれるのですから。それは、さておき・・・

 

浅井久政が跡を継ぐと長らく浅井家の傀儡だった京極高広が浅井家に対し敵対する態度を鮮明にしたのである。おそらく亮政ほどの力量の無い久政の代になるのを待っていたのでしょう。京極高広は対立している京極高吉と手を結び浅井家に対し攻めてきたのである。

 

京極高広が最初に目を付けたのが国友城。浅井側だった国友伯耆守をはじめとする国友一族をことごとく打ち破ったのである。浅井久政は、この京極高広の攻勢を止めることが出来ず京極高広に臣従することになったのである。

 

こうして再び、浅井の手から北近江の実権を取り戻した京極氏。京極高広は北近江の支配権を取り戻すべく躍起になって動き出すのである。

 

【佐和山城の戦い】

京極高広が浅井氏から北近江の実権を取り戻した頃、南近江の六角定頼が死去する。跡を継いだのは六角義賢。京極高広は六角定頼が死去したのを好機と捉え六角氏に奪われた佐和山城を取り戻すべく浅井久政に佐和山城を攻めさせた。

更に、京極高広は、六角氏に寝返った今井氏で菖蒲嶽城の今井定清らを味方に引き入れる事に成功する。こうして、京極高広は北近江の支配権を回復しつつあった・・・

 

だが、この動きを黙って見ていなかったのが六角義賢である。北近江を諦めていなかったのである。そして六角義賢はついに動き出すのである・・・と今回はここまで。

 

次回からは、いよいよ浅井長政が登場してくるよ!!織田信長に一目置かれた浅井長政は、どんな活躍をしていくのでしょうか?楽しみにしててね♪

 

【お知らせ】

昨日のブログで、お知らせしましたブログイベントですが、着々と準備が進んでいます。今回も誰でも参加しやすいように考えています!!もう少しで告知できると思うので楽しみに待っていてくださいね!!

 

今日の織田信長の家臣はーーーーーーブログの最後で!!

 

そして、原 一六四のメルマガ もうひとつの「戦国 城跡 歴史の裏側教えます!!」の第37号を発行いたしました。

 

今回は幕末の薩摩藩の偉人・調所笑左衛門のエピソードを書いてみました。調所笑左衛門と言えば財政破綻の危機にあった薩摩藩の財政を見事に立て直した人物です。

 

調所笑左衛門はもともと薩摩藩第25代藩主・重豪の茶坊主だったのですが、経理の才を認められて財政の立て直しを任されたのです。

 

調所笑左衛門が財政立て直しを任された時、薩摩藩の借金は500万両と言われていました。なんと利子だけでも50万両。当時、薩摩藩の収入は15万両と言われているので利子すら返せない状態でした。

 

そんな状態の財政を調所は立て直していくのですが、調所は財政を立て直す前にある事を行うのですが、それが結構すごい事をするのです!!

 

一体、彼は何をしたのでしょうか?全てはメルマガを読んでいただくと判ります!!

 

原 一六四のメルマガには、歴史の偉人の行動や考え方をエピソードを通して学び現代でも生かせるような話が盛り沢山です。

 

明日、誰かに話したくなるような役に立つ、面白さ満載のメルマガもう一つの「戦国 城跡 歴史の裏側教えます!!」の登録は↓↓

 

原 一六四のメルマガを登録して読むはこちらをクリックしてくださいね。

 

登録など一切、無料ですから安心してくださいね。

 

ブログで報告させていただきましたが、このブログの記事が学校の先生への情報提供されるサイトに掲載される事になりました。先生や生徒さんたちの役に立ってもらえるなら嬉しい限りです。

 

私のブログが掲載されているサイトはこちらから確認できます。

 

「城跡TV」はこちらより↓↓

 

城跡TV ファイルナンバー1
 
城跡TV ファイルナンバー2
 
城跡TV ファイルナンバー2
 
また、このブログの読者様で、自分の城跡のレポート動画を提供してくださる方、写真などでご協力いただける方などいましたら、コメントでお知らせください。一緒に城跡TVを作っていっていただける方、お待ちしております。宜しくお願い致します。
 
この度、フェイスブックで新たなグループを作りました!!
 
「歴史 城跡倶楽部」という名前のグループです。
 
マイナーからメジャーまで歴史や城跡の事を気軽に投稿してもらって歴史や城跡で盛り上がろうという趣旨のグループですので、気軽に参加してください。
 
 

 

【今日の織田信長の家臣】

・朝倉景綱

朝倉義景の家臣。朝倉景延の子と言われている。その通りだとすると朝倉義景の股従兄弟となる。朝倉家滅亡の際、織田信長に降り織田信長の家臣となる。越前の一向一揆では一揆に対抗するが一向一揆の七里頼周に攻められ逃れる。