こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」で「日本マイナー歴史研究専門家」の原 一六四(ひろし)です。
本日も「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズです。
前回の続きです。
念願の父(畠山政長)の敵討ちをするべく出陣した畠山尚順(ひさのぶ)だったが細川政元の軍に敗れてしまう。一方、畠山尚順と手を組んで将軍の座を取り戻そうとする足利義尹は延暦寺の力を借り入京しようとしていた。
【坂本の戦い】
越中守護代・神保長誠(じんぼうながのぶ)に匿われていた前将軍・足利義尹は入京し自分のもとに権力を取り戻すべく越前守護の朝倉貞景を頼った。足利義尹は越中、越前、若狭、加賀の兵を集め近江に入った。
そして、延暦寺と計って入京しようとしていた。だが、いち早く、その情報を知った細川政元は、延暦寺を攻撃し延暦寺を焼き討ちしてしまう。
細川政元はさらに足利義尹の入京を阻止するべく足利義尹に軍を差し向ける。近江坂本に陣どっていた足利義尹の陣に細川方の細川政春・六角高頼の軍が襲撃します。この襲撃に足利義尹はなすすべなく敗れ、周防の大内義興を頼って落ち延びるのであった。
前将軍・足利義尹を追い払った細川政元の勢いは止まらない。そして、この時を絶好の好機とばかりに動き出した者がいた。そう、十七箇所の戦いで自刃した畠山義豊の子・義英である。
【天王寺の戦い】
近江での戦いに勝利した細川政元は畠山義英とともに河内国に侵攻する。畠山尚順は父・政長の仇である細川政元と宿敵・畠山義英が出陣してきたため、勇んで天王寺まで迎え撃ちに出る。
しかし、細川政元の勢いと、畠山義英の復権への思いに押され畠山尚順は敗戦してしまう。この敗戦で誉田城・高屋城を奪われるという大敗をしてしまうのである。こうなると、河内国を死守することが出来ず畠山尚順は領国の紀伊国に逃げていくのである。
一旦は勢いを取り戻した畠山尚順であったが、またしても細川政元によって窮地に追い込まれてしまいました。果たして畠山尚順は反撃に出ることが出来るのでしょうか!?気になるところではありますが、この続きは次回となります。
終わりが見えない畠山家の争いですが、次回いよいよ決着を見ます。それは驚きの結末となるのです。
それでは次回をお楽しみに!!
今日の織田信長の家臣はだ~れだ!
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今回は「言い訳」についてのエピソードを書いています。エピソードは若かりし頃の細川藤孝です。戦国一の教養人と言われた細川藤孝。
しかし、彼にも苦労の時がありました。勉強家だった細川藤孝ですが、ある事に困っていました。そして悩んだ末、細川藤孝は人知れず、とんでもない行動に出ます。しかし、その行動がある時、バレてしまいます。その時、細川藤孝が言った言い訳とは・・・
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【今日の織田信長の家臣】
・青山与三右衛門(あおやまよそうえもん)
織田信秀の家臣で、信長が那古屋城を譲られた時、家老としてつけられた一人。
林秀貞・平手政秀に次ぐ家老。稲葉城攻略の際に討ち死にしてしまう。