こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原 一六四(ひろし)です。
お待たせいたしました。本日は長尾景春の乱の続きをお送りします。
長尾景春の反乱に呼応して山内上杉顕定を離反した豊島泰経を太田道灌が撃退したのですが、豊島泰経は諦めません。ですが、その前に太田道灌らは五十子の陣を取り戻すべく出陣します。
文明9年5月の事である。山内上杉顕定と、その家宰・長尾忠景そして扇谷上杉定正、そして、その家宰・太田道灌は五十子の陣を取り戻すべく出陣。それを長尾景春は黙って見過ごすわけはなく、「なまいきに。五十子の陣は取り戻させない!!」とばかりに出陣します。
両軍は用土原で激突するのです。世に言う「用土原の戦い」が起こります。
この戦いでは、長尾景春は太田道灌らの軍に敗北してしまいます。敗北した長尾景春は、武蔵鉢形城へと引き上げます。それを好機とみた太田道灌らは一気に長尾景春を追い詰めるべく追撃するのです。
ところが、ここで、まさかの古河公方・足利成氏が長尾景春を助けるべく出陣してきます。これにより、やむなく太田道灌らは陣を退きます。まだまだ、長尾景春には運があるようですね。
やむなく退陣した太田道灌らは、古河公方・足利成氏らが上野滝というところまで出陣してきたため、上野の荒巻に陣を構えるのです。敗戦した長尾景春は、これにて息を吹き返し「今度こそ、目にもの見せてくれるわ!!」と越後の長尾為景(ながおためかげ)、下野の那須明資(なすあきすけ)らに援軍を要請。この要請を受け、両名とも出陣。
しかしながら、長尾景春に人望があるのか、関東管領の山内上杉顕定によほど人望がないのか、よく、関東の国人らに反逆されますねー。
もうこうなると、山内上杉顕定も「何!?ヤダ!どんだけ~」って自分に突っ込んでるでしょうね。
かくして両軍は、文明9年10月2日から上野の塩売りで対陣するのです。世に言う「塩売原の戦い」です。この戦いは、両軍とも目立った戦闘も無く陣を退いて終わります。何のために出てきたの・・・と言いたくなりますが。
そんな中、平塚城に籠る豊島泰経が、またもや反撃をしようとしているのですが、今回はここまで。
まだまだ、長尾景春の乱の終息は見えてこないですね。たった一つの決断が、こんなにも大きな反乱になるとは。誰が予想できたでしょう。いや、ここまで反乱者が出るという事は、その以前より山内上杉顕定の政治に問題があったんでしょうね。
では次回もお楽しみに。
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