こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原 一六四(ひろし)です。
本日は、久しぶりに、大人気の「愛すべき残念な武将」シリーズをお送りします。
今回の主役は、蘆品盛隆(あしなもりたか)君です。
東北には、安東家(秋田家)、伊達家、最上家など名門の家が沢山ありますが、蘆名家も源頼朝と鎌倉幕府創設依頼の名門です。
黒川城を拠点とした佐原義連(さはらよしつら)が初代で、二代目から蘆名氏を名乗ります。
盛隆君は、そんな蘆名家の十八代当主です。
実は、盛隆君、蘆名家の人間じゃないんです!!実は、二階堂家の二階堂盛義(にかいどうもりよし)の子供です。蘆名家との戦いに敗れ、蘆名氏に降伏した際に、人質として蘆名家に預けられたのです。
そんな盛隆君に、転機が訪れます。
当時の当主、蘆名盛興(あしなもりおき)が、男子を残さず、二十八歳の若さで死んでしまいます。そこで、盛隆君が後継者となったのです。
そして、盛興のお父さん、盛氏さんの養子となり、盛興の奥さん(未亡人)を、嫁さんにして、蘆名家第十八代当主となるのです。
人質から、当主へと、なんとも大逆転人生です。
ですが当主となっても、盛氏さんが蘆名家の実権を握っていて、盛隆君はただの、お飾り当主でした。ちなみに、蘆名盛氏さんは、蘆名家が最大勢力を伸ばした当主で、伊達家や最上家とも対等に争った名将です。
盛隆君のお父さん、二階堂盛義も、この盛氏さんに負けて、盛隆君を人質に出した大名です。
そんな、盛氏さんも、遂に六十歳で、この世を去ります。
さあ、盛隆君が蘆名家の実権を握るときが来ました!!
と、今回はここまで。次回も楽しみにしていてくださいね。
もう一つの「戦国 城跡 歴史の裏側教えます!!」第13号を発行いたしました。今回は、西郷隆盛の西南戦争でのエピソードを取り上げています。是非、読んでくださいね。
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