こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原 一六四(ひろし)です。

 

今回も戦国時代より「歴史の裏側」を紹介します。

 

 

今回の歴史の裏側は、よく重大な分かれ目などの試合などで使われる、天王山。秀吉と光秀が戦った山崎の決戦である。この戦いでは、どちらが天王山を抑えるか、これが決め手であった。結果は、皆さんもご存知のように、秀吉の勝利。これによって光秀の天下は三日天下となってしまいました。

 

それほど、重要な大きな戦いだったかというと、実は違うんですね。これは、秀吉についた堀尾吉晴が光秀の先鋒を激戦の末、破って天王山を占拠し勝った事になっていますが、実はこれが後の創作。このブログでも度々出てくる小瀬甫庵による「太閤記」によって作られた話です。

 

では、何故そんな話になったのか?実は堀尾は小瀬の主君で、主君を盛り立てるために作った話である。

 

 

実際は、小競り合いはあったものの、光秀は味方する約束だった筒井順慶が来なかったこと等の理由から、天王山を目指せず撤退しているのです。そのため、秀吉はアッサリ天王山を占拠しているのです。

 

 

度々出てくる小瀬甫庵。この人は、すごい歴史を考えますね。今回の歴史の裏側はいかがだったでしょうか?次回も面白い歴史の裏側を紹介いたしますので、楽しみにしていてくださいね。