一昨年に続き、去年は大切な人が2人もこの世を去った。

儚いってこういうことを言うのかな?と、

冷静に受け止められるほど、まだ大人にはなれない。

 

冗談めかしてずっと言ってきたことがある。

今までの人生で心の師と仰ぐ人物は3人いるって話。

ボブ・マーリー、マイジーニャン、福島のおばあちゃん。

この人たちは今でも魂にガツンと影響を与えてくれる人たち。

辛いことがあった時、思い浮かべただけで自然と生きる力を与えてくれた。

 

去年亡くなったおばあちゃんは、その3人とはまた違って、

とっても大切な人だった。

いつもすごく俺のことを愛してくれた人。

遠くにいても、静かにそっと寄り添ってくれていた人。

そんなおばあちゃんだった。

 

幼稚園の時随分といばり散らしてて、

大病を患い入院している時、ばあちゃんに暴言ばっかり吐いていた。

でも、嫌な顔1つせず、おばあちゃんは俺の身の回りのことをやってくれていた。

 

小学校の上級生になった頃も、

そのことをずっと覚えていて、

申し訳なかったって、夏の夜空に鮮やかに広がる花火を見ながら、

おばあちゃんに謝った。

「全然良いんだよ」って、それだけ答えてくれた後は、

何も言わず、花火を2人で眺めてたね。

 

ああいう匂いが今でも不思議と思い出されるんだよ。

ああ、大好きなばあちゃんが確かに俺の人生の一部であり続けてくれるって、

時々思い出しては嬉しい気持ちになるんだよ。

 

今、世の中って誰かと比較して無駄に苦しくなってる人が多すぎる。

でも俺は沢山の人に愛されながら育ってきたから、

人のことを羨ましいだなんて毛頭思わないで生きてこられた。

そう思わせてくれた紛れもない1人がおばあちゃんだったと思う。

 

ありがとう。

 

おばあちゃんとの思い出を胸に抱いて、

まっすぐ生きていくよ。

「肉どうふが食べたい」

嫁がそう言うもんだから、材料を買って家で待っててくれと伝え、

家路を急ぐ。

 

我が家に到着間際、LINEが送られてくる。

 

「ゲゲゲー」

 

「わたし」

 

「肝心な」

 

「豆腐を」

 

「忘れた・・・」

 

ハンバーグのないハンバーガー。

麺が入っていないラーメン。

米のないチャーハン。

 

もはや何でも良い。

 

あなたには心底驚愕致しました。

 

でもよく考えると、そんなことは随分前から織り込み済み。

全然想定の範囲内。

楽しくやっていこう。笑

「聖人君子」って言葉がある。

 

改めて調べてみると、

「知識や徳の優れた、高潔で理想的な人物」という意味だそう。

 

今までの短い人生の中で、まだ聖人君子に出会ったことがない。

というか、残りの人生でも多分出会うことはない。

 

「理想的な人物」って言葉自体が如何にも実体がなく胡散臭い。

 

当たり前だけど、何が理想なのかなんて人によって全く違う。

例えば尊敬されることが一番の理想の人もいれば、

他人を蹴落としてでも金持ちになることが一番の理想の人もいる。

単純にその2つをとってみても、全ての理想が相入れることなんてありえない。

 

じゃあ理想ってものがなんなのかって考えた時に、

1つの答えに集約させようと言う言葉自体が不穏なものであると言わざるを得ない。

 

重箱の隅をつつくような話かもしれない。

だけども、私見で言わせてもらえば、

世の中に聖人君子なんていないし、そもそもいらない。

面白い奴もわけわかんない奴も、

人生を楽しんでる奴も卑屈になってる奴も、

ごった返しの世の中で、時間や空間、そして思考を侵食し合いながら生きていること、

きっとそれこそが真実で、世界はそれ以上でもそれ以下でもない。

それで良くはないが、受け入れる方法以外に、

生きていく道はない。

 

だからやっぱりズタボロになりながら生きていくことが正しいのだ。