なんであいつはこうなんだ?とか、
なんであいつはこうしないんだ?とか、
いちいち言ってたら前に進めない。
全部を素直に受け入れて、
あとはできることをやれるだけやるしかなない。
これからは流れには逆らわない。

目を覆いたくなる様な事件や出来事。

なんでこんなに残酷なことができるのか?と、

憤りやえもいわれぬ感情を抱くことが多々ある。

 

その出来事から何かを汲み取りたいと願う人間の性。

でもそもそも生きるということに意味を持たせようとし過ぎていないか?

そんな気持ちになることがたまにある。

 

「目の前で起こることには全て意味がある」

その視点から考えると、

道徳は人の価値観を所謂”正しいこと”に落ち着かせるための

分かりやすい装置と言って良いかもしれない。

しかも世界で最も機能している装置だ。

 

でも突き詰めると、

本当に正しいことってなに?

それは誰から目線での話?

自分の目線である以上、偏っているのでは?

そもそも正しさなんてあるのか?

人がそう考えても特に不思議ではない。

 

もちろんだからと言って、

世間に溢れてる醜い犯罪に同調してるわけでは全くない。

 

何が言いたいかと言うと、

当たり前になっている価値観を疑った後に、

自分なりの答えを導き出し、

喜びも怒りも含めて前に進むことが必要って話で、

目の前で起きていることそのものに意味を求め過ぎるのは違うと言うこと。

 

意味があるかないかも含めて、

自分の在り方を決めるのはいつだって自分しかいない。

 

だから変に綺麗に収めることを求めず、

なんかあった時にやっぱりムカつくんだよ、

そう言えないとダメなんじゃないか?と最近は考え始めている。

 

まあこれすら実際大した話ではないんだが…。

 

正直であることと
決して逃げないこと
それさえできれば
崩せない牙城はない
もしも崩れないのなら
そんなもんはほっておけ