The Beatles Lover No.5 ザ・ビートルズ・ラバー・ナンバー・ファイブ

人気ラジオ番組が、読んで楽しめるテキスト版になりました。

 

↓杉田裕のビートルズ・カバー・アルバム NEW!

 

ディープなファン目線、そしてサウンドメーカー目線でビートルズへの愛💖と共に楽曲を紹介していく人気ラジオ番組「The Beatles Lover No.5」。

杉田裕(JAYWALK)とサミー小川(メディアプロデューサー)がナビゲートします。

310回【2023年3月4日〜3月10日】の放送は、アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ(With The Beatles)」をご紹介します。

 

 

【サミー】今週も広田寛治さんをゲストにお迎えしています。

【寛治】よろしくお願いします。

【サミー】先週、先々週とジョージ・ハリスンを深掘りしてきました。今週もジョージに関わりの深い人について広田さんに語っていただいて、ジョージ像、ビートルズ像に迫ってみたいと思います。

【裕】良いですね!

【サミー】広田さん、今週は誰についてお話いただけますか?

【寛治】今週はクラウス・フォアマン。ハンブルク時代からになりますから、ビートルズとは1960年以来の付き合いのある方です。

【サミー】クラウスは以前、本を出版した時にプロモーションで来日されたことがありましたが、渋谷のHMVで偶然お会いしました。ものすごく綺麗な青い目をした人だなという印象があります。

【裕】仕事としてはミュージシャンとイラストレーターのどっちが主なんでしょうか?

【寛治】時期によって変わるみたいですよね。まあ、両方やる芸術家ですね。

【裕】アーティストということですね。

【サミー】ベーシストとしてかなり活躍しました。1970年代の前半は、有名ミュージシャンのレコーディングに数多く参加しています。

【寛治】1960年代の中盤からマンフレッド・マンのベーシストとして活動していましたね。

【サミー】広田さんには、番組の後半の「今週のビートルズ・ラバー」のコーナーでたっぷりとお話を伺っていきたいと思います。さて、杉田さん、今週ご紹介する曲は?

【裕】アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」より「オール・マイ・ラヴィング(All My Loving)」、「ドント・バザー・ミー(Don’t Bother Me)」をご紹介します。

 

オープニングテーマは杉田裕の「ビートルズなんて誰も知らない」

サミー小川の今週の紹介曲は「オール・マイ・ラヴィング(All My Loving)」

【裕】サミーさんはこの曲が大好きですよね。語ることが沢山あるんじゃないですか?

【サミー】この曲は好きすぎて、逆に語れない・・・。ところで、杉田さんはツアーに行かれたりするので、旅というものが上手になっているんだと思いますが、そういう感覚ってありますか?

【裕】移動の身軽さとか、荷物をどう減らすかなどは研究しましたね。あとは、どこに行ったら何が美味しいとか(笑)。

【サミー】それはきっと旅が上手なんですよ。広田さんも春になると沖縄に、夏は北海道に行かれたりして、旅に慣れているように思います。

【裕】旅というより、プチ移住?

【寛治】春は花粉が飛ばないところ、夏は涼しいところ(笑)。

【サミー】僕はね、自分では旅が下手だなって思っています。割と行き当たりばったりで、計画性がなくて、しかも予習が苦手。荷物の準備にしても、欲しいものをどんどんバッグに入れていくと一杯になってしまって、それを減らすと足りなく思えて、また増やしての繰り返しだったりもします。そもそも旅っていつから始まるんだろう?って考えてみました。これは難しくて、旅に行こうと決めた時点から始まるのか、準備を始めた時からなのか、あるいは出発した時からなのか。旅の終わりはいつなんだろう?家に帰り着いた時なのかな?でも旅って、帰ってからじわりじわりと良さが蘇ってきたりもします。

【裕】思い出とかね。

【サミー】旅について、いろいろと考えてしまったんですけどね。僕は、旅の前半は慣れなくて調子が出ない。後半になると全体像がやっと掴めて楽しめる。

【裕】サミーさん、恋だったらどうなの?

【サミー】同じかなー(笑)。人生を旅になぞらえることがありますよね。僕は10代の時にビートルズと旅に出かけて、ずっとビートルズの後を追いかけてきた人生だったように思います。ビートルズの旅に誘ってくれた決定打がこの曲で、ずっとこの曲と共に僕の人生はあるんじゃないかなと思います。

【裕】一筋なわけですね。

【サミー】ビートルズは北極星のような存在で、ずっと行き先を示し続けてくれた。その中でも極め付けの曲がこの「オール・マイ・ラヴィング」です。

杉田裕の今週の紹介曲は「ドント・バザー・ミー(Don’t Bother Me)」

【裕】ジョージがコンポーザーとしてクレジットされた最初の曲です。曲調はジョージらしいといえばジョージらしい。ジョージの才能は後期に開花しますけど、そのスタートになった記念すべき曲です。曲って、作ろうって思わないとできないんですよ、僕もそうですけどね。つまり自然に湧いてくるようなものではないんです。

【サミー】それはポールみたいな特殊な例外の人ですよね。

【裕】僕は、苦労に苦労を重ねて、作ろうと思わなければなかなかできないというタイプなんです。

ジョージも自問自答しながら作ったらしい。この曲を初めて聞いた頃は、あまり好きではありませんでした。ポップさに欠ける感じがして、ピントこない。でも、今、改めて聞くと、すごく日本人向けなんだなって感じます。

【サミー】ほー。それはどのあたりが?

【裕】マイナー調のメロディ・ラインに日本のグループ・サウンズは影響受けていますよ。ジョージは、日本人の心を揺さぶる曲を作るんだな。

【サミー】なるほどー。

【裕】Spotifyの再生回数順位では、このアルバムの曲の中では真ん中あたり。もっと低いのかなって思ったら、14曲中、7位なんですよ。

【サミー】あ、そうなんですか。意外だなー。

【裕】割と評価されているんだなって思いました。

「今週のビートルズ・ラバー」広田寛治さんが、クラウス・フォアマンとのインタビュー体験を語ります

ゲストを迎えてビートルズ愛を語っていただく「今週のビートルズ・ラバー」のコーナー。今週は広田寛治さんをお迎えしています。

 

【サミー】今週紹介いただけるのは?

【寛治】クラウス・フォアマンです。まずは簡単にクラウスについて紹介したいと思います。1938年4月生まれなので、ビートルズのメンバーよりも2歳から5歳ほど年上です。ベルリンのお医者さんの息子で、ピアニストとしての英才教育を受けました。アートに興味を持って、ハンブルクのアートスクールに行って、アストリッド・キルヘルと出会って、1960年10月にハンブルクのカイザー・ケラーというクラブでビートルズに出逢います。そこからずっと、今日に至るまで、メンバーの大切な友人であり続けています。実はビートルズのことを一番見ている人なんじゃないかなって思います。

【裕】付き合いとしては長いですね。

【寛治】僕がクラウスに会ったのは1990年代の終わり頃です。長時間インタビューということで、2時間くらい話を伺いました。その中で今も忘れられない思い出があります。いろんな話を聞いていって、話の流れで1980年にジョンが亡くなった時のことを聞いたんです。ジョンが亡くなって10年以上経っているし、聞いてもいいかなと思って。そしたらジョンの思い出を熱く、一生懸命語ってくれていたんですけど、だんだん彼の目に涙が浮かび始めて、そして涙が溢れてきて止まらなくなってしまった。最後は話せなくなって号泣してしまいました。僕もどうしていいか分からなくなって、言葉もかけられないので、しばらく一人にして差し上げた方が良いかなって思って、席を外して別の部屋にいました。15分くらい経って、席に戻ったら少し落ち着いていて、クラウスは「ごめんね。思い出が急に蘇ってきてしまった。でも、もう大丈夫だから話を続けよう」って言ってくれて、その後も話を聞かせてもらうことができました。さっきサミーさんがブルーの目の印象を語っていましたけど、とっても繊細な方だと思います。例えば、ワイングラスを叩くと音が共鳴してずっと鳴り響きますよね。それと同じように一つの言葉、一つの音にすごく反応して、それが彼の心の中で渦巻いていく。そんなタイプの芸術家なんだろうなって強く感じました。そんなところが、ジョンやジョージと共感できる素地があったのでしょう。

【裕】以前ゲストに来ていただいた福岡耕造さんがクラウスの写真を撮影されてましたが、哲学的なすごく良い顔をしてましたよね。

 

 

【寛治】彼がビートルズに与えた影響についてお話ししたいと思います。1960年当時、ドイツやフランスで実存主義が流行っていました。日本にも入ってきて、僕らも実存主義の顔をして、我どう生きるみたいなことを語ったりしていましたけどね(笑)。ビートルズに一番影響を与えたのは、実存主義的な生き方。今この瞬間を、自分の全てをぶつけて生きるというのを教えたのがクラウスだったのではないかと思います。それでビートルズのメンバーはみんな実存主義にかぶれていった。当時の実存主義の人たちは黒い服を着て、全身黒ずくめだったんですよね。アストリッドも、クラウスもそうだった。イグジスと言われた集団の人たちがいて、その思想的な影響がビートルズを最後まで輝かせたのではないかなって思います。

【裕】ビートルズのメンバーの中で、特に影響を受けていたのは誰だった?

【寛治】ジョンでしょうね。もっといえば、スチュアート・サトクリフが影響を受けて、彼と仲が良かったジョンが影響されて、そこからジョージに行ってという流れだった。ポールも少し影響を受けて、ピート・ベストは関係ないよっていう感じ(笑)。だから、ピートの生き方に実存主義はないんだと思います。クラウスに会ったときに、マッシュルームカットや襟なし服のことを聞いたんですけど、クラウスが最初に全部やって、スチュがそれを真似したと。でもクラウスは、アストリッドにやれと言われてやっただけで、本当はイヤだったと言ってました。

【サミー】そうなんですか!

【寛治】びっくりしました。

 

MUSIC LIFE ザ・ビートルズ リボルバー・エディション (シンコー・ミュージックMOOK) (SHINKO MUSIC MOOK)

 

【寛治】ところで、今回「MUSIC LIFE ザ・ビートルズ リボルバー・エディション」を作っていて気付いたことがあります。ビートルズってサウンドが3回変わっていますよね。ライブ時代、レコーディング時代、ソロ時代(ホワイト・アルバム以降)の3回ですけど、クラウスはそのアタマ(冒頭)に立ち会っているんです。ビートルズをハンブルクのカイザーケラーで見つけたのはクラウスですよね。「リヴォルヴァー」も、音が出来上がった直後にジョンから電話があってジャケットを描いてくれと言われた。真っ先に音を聞いているんですよね。ソロの時代になって、ジョンが「解散するんだ」って最初に告げたのがクラウスだった。飛行機の中で。

【サミー】トロントに行く飛行機?

【寛治】そう、トロントのロックンロール・リヴァイヴァル・フェスティヴァルに、プラスティック・オノ・バンドのベーシストとして同行したクラウスに告げた。ビートルズの決定的な転機を彼が最初に知った。彼に対する信頼感の証と言えると思う。ハンブルクで自分達が一番苦しい時に一緒にいてくれて、応援してくれた人。年上ですし、いろんなことを教えてくれた。こうやって時代を辿っていくと、実はクラウスはビートルズの転機に絡んでいるということに気が付いたんです。クラウスの存在感は、あまり目立たないけど、実はすごかったんじゃないかなって感じました。【サミー】ここで、クラウスに関連する曲を一曲選んでいただきたい。

【寛治】「ラヴ・ミードゥ」は、スチュアート・サトクリフのことを思ってブルージーなアレンジにしたんだよっていうピート・ベストの話を聞いたことがありました。ビートルズがデビューしたのはスチュが亡くなった少し後のことでしたから。「ベイビーズ・イン・ブラック」は黒い服を着た女、アストリッドのことですよね。ところが、クラウスのことを歌った曲を探したけどなかったんです。でも、「ウイズイン・ユー・ウイズアウト・ユー」はロンドンのハムステッドにクラウスが住むようになって、そこにジョージが遊びに行った時にペダル・ハーモニウムを弾いていたらメロディが浮かんできて曲ができたっていうエピソードがあります。ですから、「ウイズイン・ユー・ウイズアウト・ユー」がクラウスに最も近い曲だと言えるでしょう。

ニューアルバム「WALK of LIFE」と「MOSO THE BEATLES」、そして「MUSIC LIFE」

【サミー】杉田さんのニューアルバムが2タイトル発売されています。

【裕】オリジナルアルバム「WALK of LIFE」と、ビートルズのカバーアルバム「MOSO THE BEATLES」です。この2枚のアルバムを引っ提げて、ソロ・ツアーを行行っています。よろしく願いします。

 

 

【サミー】広田さんが編集された新しい本もあります。

【寛治】2月15日に「MUSIC LIFE ザ・ビートルズ リボルバー・エディション」が出ました。これは2022年10月に発売された「リボルバー・スペシャル・エディション」を3か月かけて徹底検証して、基本からおさらいまで、わかりやすく編集しました。杉田さんと小川さんにも寄稿していただきました。

 

エンディングテーマは杉田裕の「絶望してる暇はない」