なかなかブログにログイン出来ず…
物理的にね
不具合が生じているようです

書類を整理しているとね

緩和ケアの病院の資料とか

障害者年金に関する資料とか

そういうものが出て来ました

あー
ある種覚悟はしていたんだなぁ
薬も治療もきつかったんだなぁ
会社を辞めて切り替えた方が良いのかなぁ
なんて話してたなぁ

2016年に乳がんが見つかり
これが私が初めて東宝さん
ふぉ〜ゆ〜の舞台のシナハンをしてる時
電話がかかって来て急遽帰京
この時はまだ病院で診て貰っておらず自己判断
…まぁ結局正しかった訳ですが

そこから化学療法…抗がん剤治療

抜け落ちた髪も生え
赤ん坊のような柔らかい髪になり
社会復帰も果たし

2018年11月
いじはりロング公演本番中
乳がんが悪性のHER2
肺に転移
切除不可
治療は難しく延命治療に

この時が本人は一番辛かったんじゃないかなぁ
延命…もう長くは生きられないって事が分かった時ですから

抗がん剤治療をしつつ自宅療養に

2019年4月
更地SELECT〜SAKURAⅢ〜本番中
夜中に緊急搬送
急性前骨髄性白血病を発症

ここから無菌室入院
抗がん剤治療
ひと月入院して数日退院
これを二度繰り返しました

通常三度やるそうですが三度目は本人が拒否
もう辛い治療はいや
家に帰りたい

数値は戻り寛解に

繰り返された抗がん剤治療
心毒性があります
と言われてはいましたが
本人も了承して治療を受けてはいましたが
確実に心臓を痛め続けたのでしょうね

10月末
丁度『いきどおり』の稽古と三越の本番が重なっている時…明日早朝からゲネみたいな日だった
夜中に緊急搬送
鬱血性心不全
HCUに

そこからひと月の入院

早かった

薬剤性心筋症
抗がん剤は怖い
がん細胞を含めた正常な細胞を攻撃する

確実に命を縮めたのだと思います

でもやらなければもっと早かったのかなぁ…

春からはほとんど入院生活
戻って来られた時は嬉しかったんだろうなぁ

三女も嬉しそうだった

あれだけ家に迎えるのに猛反対だったのに
仲良かったなぁ、二人

結局10月の末から入院して帰って来られなかった

家で最期を迎えた方が本人は良かったのかなぁ

この状態で家に戻るのは…
とも言われてたし
生きる為の点滴
酸素吸入
外せない

次女を現場から外して側に居させたのは良かった
最期一緒にいられたから

役者なんて稼業
親の死に目にもあえないよ

よく言われる事です

かみさんの大事は全て舞台と被ってます
傍に居らず板にいました

喜劇を作ってる?
舞台で食べていく?

へぇー

その覚悟があるのかい
どの程度の覚悟なんだい

喜劇役者なんてまだまだ名乗れないけど

喜劇役者は自分がどんなに辛くても

『笑い』をやるんだぜ

身内が、自分が辛くても
『笑い』をやるんだ

片足義足でバク転を切っていたと言われるエノケンさん

神様はね、居ると思ってます
『笑い』の神様も私の中にいます

試されてる
毎度毎回そう思います

芝居道
喜劇道

修羅の道です

後戻りなんか出来ない
するつもりもない

行くならとことん行ってやろう

そう覚悟は決めています

だからカンパニーも始めた

いろいろな
沢山の人に支えられてここまで来ました

ごめんなぁ
そんなことないよ

初日前日
朝早く訪ねて交わした最後の言葉です

信じるしかない

前へ!

ありがとう

まだまだ

道なかば