あほんだらすけ 

終に札幌で30年の歴史に幕を下ろしました

札幌のみなさんには凄く楽しんで頂けて

こういう公演はないからね…

こちらも嬉しかったです!

ありがとうございました
(*^^*)

そして

打ち上げました

30年

平成元年から同じ時期同じ劇場
メインスタッフ同じ
メインキャスト変わらず

ギネスに申請したら通るんじゃない?
位な稀有な劇団内劇団

入団2年目の
あほんだらすけ 1から参加させて頂きました

こんなに長くお付き合いさせて頂く事になるとは

稽古場筆記してたのが
いつからか
慣れないワープロでカタカタ台本を打つようになり
パソコンになり

明確な作家・演出家もなく
みんなで作るネタ

「笑い」に特化した舞台

板の上で随分勉強させて頂きました

15年には骨折事件もありました

間違いなくあれは一つの転機で

山口
たかはし
大森
荒牧

で始まり

そこに

まいど
小林
能見が加わり

荒牧は作森に代わり

その作森も退団し
小林と能見も退団

若手のメンバーが次々に加わり

村田が継続し

ゲストをお願いするようになり

ペテカンの長峰
岡さん
まほ
絢香…

25は記念会
小林と能見が復活して
26でも参加してくれて

能見が亡くなり

二度とあのメンバーでやる事は叶わなくなり

ラストの30

16から作曲をお願いしていた千葉さんに出て頂く事になり

岡さんにも再度ご出演頂く事になり

いろんな
ホントにいろんな思い出があります
地方にも沢山行きました

口幅ったいけど

30年の役者人生
あほんだらすけ は正確には29年間
間違いなく僕の中の大きな比重を占める公演であり
青春でした…

正直言うとね

正直言うと30回

僕の中では限界でした

ここ数年は毎年毎年

『卒業』の二文字がありました

それでもそこにフタをして続けて来たのは

お見送りの時に

毎年楽しみ
来年も楽しみ
笑顔で帰られるお客様

あー、こんなに喜んで頂けてる

来年もやらなきゃ!

ココ!

各所に気を遣いながら作品を作る事に疲れてた

中間管理職的な?

いろんな意味で

良いものを作る為に
ではなく

いろんな気を遣いながら作る
良いものを作る為ならどんだけでも気を遣う
細心の注意を払う

けれど

それを作る人間関係に気を遣うのは勘弁
そこに力を使いたくない

こうすれば良いのに
こうしたらもっと変わるのに
それはもちろん僕の好みではあるけれど
好みとは言い切れない部分もある訳で
言いたいけれど言えなかったり

もっと続けたかった人もいるかも知れないけど

お客さんの期待に応えられなくて申し訳ないけど

芝居は興行
興行として成り立たなくなっていたのも事実

悲しい

でもホッとしてる部分もある

タイミング

そういう時機だったのだと思います

ありがとうございました
素敵な
本当に素敵なメンバーでした

何より
劇場に足を運んで下さったお客様

本当にありがとうございました!


10年前から始めた大森カンパニー

更地は「大森そして故林」で10回
その後から単独プロデュースで6回
人情喜劇シリーズは2009年から
山口さんとの二人の文化祭は今はなかなか出来ないけれど…

終わりは始まり

自分がこの先どこに向かうのか
何が出来るのか

やりたい事は沢山あるけれど
計画なんてものはなくて

ただただ目の前の事に
嘘をつかず
楽をせず
真面目に
一生懸命やるだけ

先ずは2月

三山ひろし歌謡劇場


初本多劇場進出『あじさい』


文字通り命を削って、やる!

55歳の大勝負!

NEXT  ONE

宜しくお願いします!