1987年 大学を卒業し劇団の養成所【闘魂塾】へ

当時の劇団東京ヴォードヴィルショーは小劇場の雄

劇団員が大量に別れてワハハ本舗が出来、若手が足りなくなった状況
5年ぶりの新人募集でした

そう、募集要項的には「養成所」ではなく「新人」募集

書類審査に500人
二次の面接に150人…会場はシアタートップスだった

三次の実技審査に50人

「新人」で入ったのが15人

一年間の養成所期間を経て劇団員になったのが10人
1988年入団

今?

1人 (^^;)

同期会が出来ない

その後2年続けて募集して
8年開いて2年募集

僕が闘魂塾の二期生なので、闘魂塾は六期生までいますね

ちなみに一期生はあめくさんとふじこさん

10数年開いて、これは文字通り養成所ナシで新人が入ったのが4年?前

だから劇団員の半分以上は後輩なわけで、でも劇団内での立ち位置は永遠に若手…若手頭みたいなもん

先輩たちとのこの関係性は劇団にいる限り変わらない
否、辞めても変わらない

うちは先輩たちの濃い劇団なわけで、年1の本公演で出番を期待しても仕方ない

劇団入団当初は「待ってても何も出て来ないぞ」と散々言われました
『若手頭』は若手のプロデュース公演に走りました

1990年 天真爛漫ムンムン隊旗揚げ
三回の公演
旗揚げ公演が初脚本作品ですね

みんなで貯金もして赤字が出ても良いように対策
当時は何人か同期もいましたね

初回は大成功!池袋のシアターグリーン…今みたいな綺麗なグリーンじゃなくてね
。・°°・(>_<)・°°・。

続けて行くつもりでした

翌1991年二回目も決まり、今度は脚本・演出・出演を担当

1992年には第三弾を
…するハズだったんですが
人生には何度かターニングポイントがございます
 
物凄いドラマのオーディションに受かりました
オールハワイロケ(マウイ島)
脚本・山田太一
演出・大山勝美

主演がオーディション選抜の若手カップル
円成寺あやさんと僕

出演・小林桂樹 井川比佐志 倍賞美津子 白石加代子
名取裕子

はい、日本人キャストは7人のみ
奇跡
1992年 TBS『ハワイアン・ウェディングソング』

このOAの直後に決まっていた舞台が第三回若手公演
マネージャーからスケジュールを空けるべきと言われ脚本も演出も後輩に任せて出演を見合わせたのです

ノータッチ…いや、先輩面して偉そうに劇場で口を出してたなぁ
後輩からすれば「あんた、出なくなったのに何言ってんの?」みたいな感じでしたなぁ

意気軒昂

この公演を持って若手公演終了
後輩とも距離が出来たし
だから責任は僕にあるのです

どっちにしろ合議制は難しいと思い
数年後に「あほんだらすけ」に出ているまいど・能見・小林に声を掛けて始めたのがGAN-BAM部屋プロデュース

企画は我ながら素晴らしかったねー
『劇団対決20分一本勝負!』
参加劇団は東京ヴォードヴィルショー・SET・劇団七曜日…当時は他劇団同士が一緒にやるなんてのは常識外れでしたから

たまたま空いたGWの駅前劇場…三日間か四日間
当時の動員記録を作る程の大盛況でした

翌年には意気揚々と第二弾をスズナリで!
今度は15分一本勝負の個人戦

声を掛けたとは言え、血気盛んな若手四人
船頭多くして船山に登る
の例え通り、ギクシャクし始め二回で終了
だから合議制はあかんて
勉強せな
σ(^_^;)

でもね、正直一人で全部背負う勇気はなかったんです
合議制で上手くいかなくなることは予想してた
怖かったのね

結局役者なんて個性のぶつかり合いだし
長く続けるのは難しい…

で、僕は1999年に初めて単独プロデュースをやって…東京ヴォードヴィルショーという冠は付いてましたが
てか、全部劇団の冠付きの公演です

ここで手痛く赤字を喰らって10年間プロデュースから遠ざかるわけです

でも実は劇団として若手を中心とした『アトリエ公演』と言う企画があったのです

本公演ともあほんだらすけとも別に年一で打つ劇団の公演
なんて素晴らしい企画なんでしょう!

本題コレ

たまたまね、Twitterでファンの方…多分能見くんのファンなんでしょうね
当時のチラシをアップしてくれて
{082F183E-080B-4946-B211-564E6C894309}

劇団として脚本募集をやったんだな

で、大野君の作品でアトリエ公演をやって行く!みたいな事になったんですね

これはもう嬉しかったなぁ
{0574D574-545E-46E2-880E-FB3AD5AFCC3A}

{6B31BDEB-3943-4DB9-B900-F029D02F60FA}
当日パンフもアップして下さいました

みんな若いなぁ…20年前だよ

で、翌年には第二弾
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僕はいません…キャスティングされなかったんだと思います
1998年の予告がされてますが、これは多分やってないのです
板にあげるべき台本がなかったのか…
収支が良くなかったのか…
なんか中止になって意気消沈した思い出が…
ま、元来嫌な事は早く忘れるタチなので正確ではありませんが、なんか劇団総会で中止になった気がするなぁ

古い話しをアレコレしました

長い劇団員生活もっともっといっぱいあります
ドラマも沢山やらせて頂いて
こっちも沢山あります

大将との出会いもあります

一冊の本になる位ネタはありますねー

来年は役者生活30年
故林君とユニットを立ち上げたのが2009年
2014年でユニットは解消して単独プロデュースに

コレでコケたらアウトだ
始めた2010年の人情喜劇シリーズ
当初は某方との共同プロデュースがいろいろあって単独プロデュースに…あそこも分岐点だったなぁ
素晴らしい作品になったし再演もしたいけど
『あまから』コケてたら数百万の赤字になってたなぁ…

先日資料を見直したら…タイトロープだよ〜
ポケットで13ステージって…動員二桁の日も何日かあって
でも観た方が帰りにまた別な日を予約してくれたり
千秋楽なんか200人入って頂いて
涙の打上げでした、いろんな意味で

はい、芝居の興行は怖いのです

当時はバイト生活だからねー
家族がいてバイトしながら数百万の借金て…想像するだに恐ろしい

いろんな人と出会って繋がって別れて出会って

いろんな人が協力してくれて、助けてくれて

感謝しかないです

何とかここまで来たからねー

でも

ここからなんだよ