今日の下書き分も先送りで。
今回の 「アニメ、CMソング、ドラマ・映画主題歌」 もアニメから。
アニメ映画 「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」 の主題歌で
飯島 真理さんの 「愛・おぼえていますか」。
リリース&公開は1984年。
彼女の2枚目のシングルでオリコンの最高位は7位でした。
この曲はすでにup済みです。(リンク貼ってます)⇒ 「こちら」
先日、ACジャパンのCMに関して AC側にも流れているCMにも何の罪もない旨の記事を書きましたが
仁科 仁美さんがそのCMに関しての思いを綴ってます。
彼女もアメブロでブログを書いていて、急上昇ランキングでは1位になってます。
お時間があったらアクセスしてみたください。
さて、選抜甲子園大会が始まりましたね。
違和感は否めない開会式でしたが東北高校も立派な行進でした。
兵庫の地元の方々かと思いますが、手書きのプラカードなどで声援を送ってくれてました。
春休みなのか小学生の姿が目立ちましたが
「東北!頑張れーーーっ!!」 という声援が嬉しかったですよね。
以下はサンスポWeb版ににあった記事写真です。

普通の全国大会ですら出場校は郷土の方々の思いを受けて責任が大きいところに今回の震災です。
東北高校を始めとした避難住民が多数いる県の代表校は背負うものが大きいですよね。。。
勝つに越したことはないと思いますが、甲子園で元気にプレーすることだけでも意義があります。
災害を受けた県の高校も、そうではない高校も今大会は例年とは違いますが
期間中は野球だけを考えて懸命にプレーして欲しいです。
例年であれば各代表校のプラカードを持って先導するのは兵庫の女子高の生徒さんでした。
今年は各校の生徒会長が先導したみたいですね。
東北高校の生徒会長は女子生徒でした。
彼女の家も災害の被害に遭っているそうですが、選手と同行して甲子園入り。
胸を張って自校のプラカードを掲げて行進してました。
以下はスポニチWeb版にあった彼女の記事です。
『≪生徒会長がナインを先導≫
開会式では東北の生徒会長、川名理玖(りく)さん(17)がプラカードを持ち、先導役を務めた。
川名さんの自宅も震災で被災。
家具が倒れ、ガスや水道、電気がストップした。
それでも 「みんなを、少しでもバックアップできるように」 と野球部と一緒に19日夜に大阪入りした。
被災地に残って頑張る仲間を代表しての大役で、スタンドからひときわ大きな声援と拍手を受け
「いろいろな気持ちがあって重みがあった。全国の方々に応援してもらえて心強いと思った」 と話した』

震災後一週間が経ったか経たないかの頃だったと思います。
母子家庭の小学生の男の子が行方不明の母のことをおじいさんと一緒に探している姿がありました。
車で流されてしまったことまでは分かってるそうで、その車を探していたのです。
車の周辺の避難所にいてくれてるんじゃないかと。。。
そして母のお姉さんだったか妹さんだったかが その車を発見。
「お母さんじゃなくても助かってると良いね」。
少年はそう呟きながら車へと急ぎました。
車内には人の姿。。。すぐさまレスキューに連絡。
しかしそれは残念な結果となってしまいました。
「大丈夫!私がしっかりしなくちゃいけないんだから!大丈夫!」 と涙ながらに話すおばさんは
それでも狼狽を隠すことは出来ませんでした。。。
おじいさんは変わり果てた娘の姿を目の当たりにして
「うぅぅぅぅ・・・」 と絞り出すような呻き声とともに必死に涙を堪えておられました。
少年は終始 伏し目がちにおじいさんやおばさんの側で佇んでいました。。。
母子家庭や父子家庭の子が、その片親さえも亡くしてしまう。
その瞬間を観てしまったわけですが、もう言葉が出ませんよね。
インタビューが始まった当初は母親が居なくなった状況や車種などを取材の人に伝えてました。
「頑張って見つけてね」 という言葉にも 「はい、ありがとうございます」 と気恥ずかしそうに応えていました。
でも母親の今を知ってからは少年の声が映像に流れることはありませんでした。
ああいう状況で見つかったご遺体は検死するのが決まりだそうで
母親と一緒に消防の車に乗って去って行きましたが
少年は取材のカメラに向かって軽く会釈をして車のドアを閉めていました。
母子家庭だったからかどうかは分かりませんが、お母さんがしっかりと育てられたんだろうなと思います。
まだ小学生なのに大人に対する受け答えや態度などは本当に立派でした。
君は一人じゃない! 独りじゃないんだ!と言いたかったですね。。。
被災地では中、高校生は勿論 小学生も一生懸命にお手伝いをしてくれているようです。
避難所の床や廊下を掃除して回る子、支援物資を運び入れる子、炊き出しの汁物をよそう子、
避難所から自宅に戻り、片づけをしながら生活している家を周り
困っていることや足りない物を聴いて回って、それを町長などに報告している子たち。
その子たちの中には今現在も両親の安否が分からない兄弟とか
親族が行方不明だとかいう子たちも沢山いるんですよね。
あの少年の立ち居振る舞いを思うと、きっと今頃は他の子と一緒になって
大人たちのお手伝いをしてるんじゃないでしょうかねぇ?
晴れの卒業式だって正式なものは行えず、避難所で開催したり
他校の教室を借りて行われたりしましたよね。
子供たちは残念とか悔しいと口にしながらも、式を行ってくれたことに感謝してました。
高校球児もそうだし、そういうチビッ子の姿が疲れ切った大人たちを元気をくれますよね。
頑張って!チビッ子たち!!