私のお勧めの曲・邦楽編(その96) | 洋のblog

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Music Journey


今回の邦楽は 世良公則&ツイストの「あんたのバラード」。

発売は1977年11月。
オリコンの最高位は6位だったようです。
意外に上位じゃなかったんだなぁ、という印象ですが
どうやらロングヒットだったようです。
だからもっと売れてた感があるんですねぇ。
1978年の年間チャートで25位に入っています。

ヤマハ ポピュラーソングコンテスト つま恋大会で優勝。

そのまま1977年の第8回「世界歌謡祭」でグランプリを獲得しています。


世良公則&ツイスト(後に「ツイスト」に改名)のデビュー曲です。


当時の世良さんは大阪芸術大学芸術学部放送科の学生で
卒業記念の意味でのポプコン出場だったようです。

世良さんはプロ志望でしたが、他のメンバーは卒業後は普通に就職すると言うことで

このデビューシングルの音源はグランプリ受賞メンバーでのレコーディングでしたが
プロとしてデビューしたバンドは世良さんとキーボードの神本宗幸さん以外は
プロデビューのために集められたメンバーでした。

私は大好きなアーティストでしたねぇ。(^^)

以下は「世良公則&ツイスト」に関するウィキの記事です。

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1977年11月のレコードデビュー、
翌1978年1月のテレビ初出演(夜のヒットスタジオ、フジテレビ、1月9日)後は、
出す曲出す曲大ヒット、わずか1年足らずで頂点に立ち一世を風靡した。

Char、原田真二と共にロック御三家と言われ、
それまでのテレビを拒否していたニューミュージック系のミュージシャンと違い、
テレビアレルギーのない世良らは、有効なプロモーシャン・メディアとして
テレビを積極的に利用していった。

当時は『ザ・ベストテン』が始まった時期で、

このようなランキング番組や『レッツゴーヤング』などのアイドル系歌番組にも積極的に出演。

「銃爪(ひきがね)」で『ザ・ベストテン』初年度年間1位も獲得した(1978年)。


また、当時の売れっ子アイドル最大のステータスともいうべき「月刊明星」の表紙を

日本のロックバンドで初めて飾った(1978年8月号)。
この他、ツイストとして4度、世良単独でピンクレディーらと2度表紙を飾る(単独の場合は基本男女二人)。

「月刊平凡」の表紙はツイストとして2度、世良単独で1度。

こうした「月刊明星」「月刊平凡」等のアイドル雑誌、

「セブンティーン」「プチセブン」などのティーン雑誌やテレビに頻繁に登場・出演した

最初のロックミュージシャンであった。

彼らの成功は、1970年代後半の歌謡曲とニューミュージックの全盛時代に

新たに「ロック」をオーバーグラウンドにのし上げる事となった。


野生的なルックスや"演歌ロック"、"歌謡ロック"とも言われた野太い声を利かした唱法、
"世良足"ともいわれたがに股など、空手風の派手なアクションで
魅せる世良独自のステージングは物真似の格好のネタになる程で、
当時のまわりの歌手も一様にオーバーな歌唱法と身ぶり手ぶりをやり始めるなど
後の音楽界にも多大な影響を与えた。

ロックのメジャー化はもちろん、
それまでのロックバンドにはなかった女性ファンを開拓した功績は大きく、
新たな潮流を生み出すきっかけとなった。
サラサラ髪のおかっぱ長髪の髪型も流行、女子中・高生のアイドルになった

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