Vol.57【町の中華屋さんがある幸せ】で話させていただいたのですが、私が住んでいるのはどちらかと言えば小さな町です。しかし、家の近くに多くの食べ物屋があり、その時の気分でいろいろな店に行けるのはとても幸せなことだと思っています。

 ただ、長い年月の間には、贔屓にしていた店がやむなく閉店することもあります。ここ数年の間にも、長年食べに行っていた地元の中国料理店「四川閣」と洋食レストラン「とんがらし」が閉店しました。どちらの店も他では食べられない味だったので、本当に残念です。

 そんなことを考えていたら、閉店して20年ぐらい経つとんかつ屋のことを思い出しました。その店は「栄(さかえ)」という名前で、夫婦二人で切り盛りしている小さな店でした。この店のとんかつは何の変哲もないとんかつなのですが、この「何の変哲もない」というところが凄かったのです。家族で行くことが多かったのですが、引き戸をガラガラと開けて店に入っても「いらっしゃいませ」の一言もありません。親父さんもおかみさんもとても不愛想なのです(いつもブスッとしています)。ロースかつを頼むことが多かったのですが、おかみさんがお茶を持ってきて、注文しても何の返事もありません。もうこちらも慣れっこです。しばらく待っていると料理が運ばれてきます。お皿にロースかつとキャベツの千切りが乗っていて、それから、豚汁とキムチの小皿とご飯が付いてきます。テーブルの上にはソースとからしがあります。このとんかつが大きくもなく小さくもなく、また、衣が少し粗目のパン粉でこんがりと揚がっていて、少し薄めに切ってあります。ソースをかけてからしをちょっとつけて口にほおばると、衣の食感は「サクッ」というよりは「ザクッ」という感じです。豚肉の端のほうにかなりの脂身があって、この脂身がまた美味しいのです。上品なとんかつではないところがいいのです。キャベツの千切りもシャクシャクしてとても美味しい。それから、豚汁とキムチがまた美味しい。ご飯もどうしたらこんなに美味しく炊き上がるんだと思うぐらい美味しいのです。しかも安い。親父さんとおかみさんはブスッとしていて雰囲気は最悪なのですが、とにかく出されるものが全て美味しいので、何の不満もありませんでした。

 ですから、このとんかつ屋が閉店した時はかなりショックでした(親父さんが体を悪くしたためだそうです)。それからしばらくは、近所にある「かつ波奈」というチェーン店のとんかつ屋に行っていましたが、この店のとんかつは、私には少し上品で物足りなく思っていました。家から車で少し走ったところに「駿河屋」というとんかつ屋があることは前から知っていましたが、自宅から少し離れているので、なんとなく見過ごしていました。数年前に、妻が知り合いから「駿河屋のとんかつは美味しい」と聞いてきて、一度行ってみることにしました。家族で行って食べてみたところ、「栄」のとんかつとは少し違いますが、「下町のとんかつ」とでも言えばいいのでしょうか、とても美味しい味でした。種類も多く、エビフライや牛かつもあります。それ以来、私の家では、とんかつと言えばこの店に行くことが多くなりました(おかみさんがおしゃべりなのが「難アリ」ですが・・・)。

 馴染みだった店がなくなって寂しい思いをしても、また新しい美味しい店が見つかると、ちょっぴり幸せな気持ちになります。