THE ALFEE(以下「アルフィー」と言います)は、1983年に「メリーアン」で大ブレイクしてから今年(20023年)で40年になります。今年の5月にリリースされた「鋼の騎士Q」で、通算72作連続でオリコンシングルチャートにトップ10入りしています。40年もの間、日本の音楽界でトップを走り続けているというのは凄いことだと思います。

 

 

 アルフィーの楽曲は、全て高見沢俊彦さん(以下「高見沢さん」と言います)が作詞・作曲しており(初期のアルバム「青春の記憶」、「TIME AND TIDE」は除く)、また、新しいシングルを出す時期に「ミュージックフェア」などに出演するときは、そのファッションの派手さやエレキギターの演奏によって高見沢さんが目立っていて、桜井賢(まさる)さん(以下「桜井さん」と言います)は歌がうまくてベースとボーカルとコーラスを担当する人、坂崎幸之助さん(「以下「坂崎さん」と言います」はなぜか真中に立っていて音も聞こえてこないアコースティックギターを弾くコーラス担当の人で、アルフィーは高見沢さんのワンマンバンドのように思っている人もいるかもしれません。

 しかし、私は、坂崎さんがいなければ現在のアルフィーはなかったと思っています(もちろん桜井さんのボーカルがなくても同様です)。今回は、そのことについてお話ししようと思います。内容が散漫になることをお許しください。

 アルフィーは、もともと桜井さんが高校生の時に所属していた「コンフィデンス」というグループから発展したバンドです。このことは、私のもう一つのブログ「昭和じじぃのひとりごと」でお話ししていますので、よかったら見てください。別のグループで活動していた坂崎さんがふとしたきっかけでコンフィデンスに加入し、大学生になって(3人とも同じ大学でした)、ハードロックのバンドにいた高見沢さんが、大学のキャンパスの庭で練習していたコンフィデンスに声をかけて、坂崎さんとCSN&Yの曲などで意気投合したことがきっかけで、高見沢さんもコンフィデンスに加入しました。

 コンフィデンスは、もともとはS&G(サイモン&ガーファンクル)の曲などをやるフォークグループでした。ふとしたことがきっかけで、日本のフォーク界の大御所の「小室等」さんに見いだされ、ある映画の主題曲を歌うことになり、それが芸能プロダクション「田辺エージェンシー」の田辺社長の目に留まり、芸能界にデビューすることになりました。しかし、彼らの思惑とは別に、いわば「アイドルフォークグループ」として売り出され、彼らは数年後に田辺エージェンシーをやめることとなります。

 

 

 

 ここから、現在のアルフィーへの道のりが始まるのですが、「メリーアン」がヒットするまで、彼らは9年間売れず、大変な苦労をします。田辺エージェンシーをやめて、まさに何もなくなった彼らは、アコースティックギター2本とベース1本で、ギターアンサンブルとハーモニーを大事にする音楽をやっていく決意をします。桜井さんはドラムセットを買う金でベースを買わされ(?)、高見沢さんはエレキギターを封印します。

 坂崎さんは、中学生の頃に「吉田拓郎」さんの音楽に出会ってから、日本のフォークソングにどっぷり浸かっていましたが、アコースティックギターが中心の外国のバンド、例えば、CSN&Y、アメリカ(というバンド)、ポール・サイモン(バンドではありませんが)などの曲も大好きで、彼らの演奏を完璧にコピーしていました。

 

 

 

 

 

 

 その頃、日本の音楽は、サザン・オールスターズなどのロックミュージックが徐々に受け入れられ始めており、アルフィーはしばらくその流れとは別の道を歩むことになりました。

(続く)

 

※ 「X」に画像を投稿しました(2023.9.25)。

https://twitter.com/sasurai_hiropon

 

(以下次回→時期は未定)