今回の題名を見て、「死後の世界は素晴らしいところだった」とか「私は前の人生で〇〇だった」とかいう話かと思う方がいらっしゃるのではないかと思いますので、最初に申し上げるのですが、私はスピリチュアルとか前世の話には興味がありません。

 今回は、「木内鶴彦」(以下「木内さん」と言います)という方が書かれた「臨死体験が教えてくれた宇宙の仕組み」(普遊舎:刊)という本の内容をご紹介したいと思っています。

 木内さんは、医学的には心肺停止の状態(「死亡」の状態)になりその後蘇生するということを3回経験しているとのことで、死亡してから蘇生するまでに経験したことをこの本に書いておられます。私は、書かれている内容が正しいのか間違っているのか判断することができません。なぜなら、書かれている内容が、現在の科学や医学では証明できないもので、また、自分では経験できないもの、つまり「死ななきゃ分からない」ものだからです。

 この本に書いてある内容の要約を、できるだけ主観を交えずにお話ししたいと思います。

 まず、木内さんの経歴をお話しします。木内さんは1954年に長野県で生まれました。こどもの頃から星や宇宙のことが好きで、小学生の時に星の観測を始めたそうです。宇宙に行きたいという夢があり、大人になってからは航空自衛隊に入隊し飛行管制の仕事をしていました。22才の時に生死をさまよう病気になったことをきっかけに退官し、以後は、彗星探索家として活動し、いくつもの彗星を発見し、その業績を認められ、ある小惑星に「KIUCHI」と命名されています。全国で講演会、観望会を行っておられるそうです。

 木内さんは、22才の時に最初の「臨死体験」をしました。ここでお話ししなければならないことは、木内さんがおっしゃるには、臨死体験については、「第一次臨死体験」「第二次臨死体験」にはっきり分けることができるということです。「第一次臨死体験」とは、昏睡状態からよみがえった人がよく証言している「お花畑を歩いていた」とか「死んだ人が手を振っていた」とかいうものです。木内さんは、このような状態は、脳が一定の状態になった時に現れる夢や幻覚ではないかと述べておられます。それでは「第二次臨死体験」とは何かということですが、この場合の特徴として、脳波計が反応していないことが特徴であるとのことです。木内さんが「第二次臨死体験」をした時(つまり「死んだ」後)の記憶は、年月を経た後も鮮明に蘇ってくるとのことです。脳が「死んだ」状態の時の記憶が、なぜ鮮明に蘇ってくるのかということについては、常に科学的な思考を行う木内さんにも合理的な説明ができないそうです。しかし、木内さんは「これらは間違いなく私が実際に体験した事実である」と述べておられます。

 木内さんが最初の臨死体験をしたのは22才の時で、茨木県の百里基地で航空管制官の任務に就いていました。夜間勤務を終え、朝焼けの美しい空を眺めていた時に、突然、今まで経験したことのない激痛が腹部を襲い、近くの病院に緊急搬送され、その病院では「このままでは命が危ない」と判断されて、東京医科大学阿見病院(現:東京医科大学茨城医療センター)に転送されました。後で分かったことですが、木内さんの病気は、「上腸間膜動脈性十二指腸閉塞」という大変珍しい病気で、世界でも症例は120例ほどで、助かった人は一人もいないという病気でした。前日まで72キロあった体重が翌日には42キロまで減少したそうです。そのまま木内さんは生死の境を彷徨うことになりました。

 

(続く→時期は未定)