私は、柳ジョージさん(以下「柳さん」と言います)の歌が好きです。彼は、2011年に63才で亡くなってしまいましたが、もっと年を取って渋くなった柳さんを見たかった。

 「柳ジョージとレイニーウッド」の「酔って候」という曲があります。彼らのファースト・アルバム「タイム・イン・チェンジズ」に収められている、柳さんが作詞・作曲した曲です。

 柳さんは、司馬遼太郎さん(以下「司馬さん」と言います)の小説が大好きで、「竜馬がゆく」などは何度も読み返していたそうです。「酔って候」という曲は、土佐藩の藩主だった山内容堂という型破りな人物のことを歌った曲です。

 柳さんが書いた本に、「ランナウェイ 敗者復活戦」(集英社文庫)という、自身の生い立ちからレイニーウッドの解散までを綴った、いわば柳さんの半生記と言える本があります。この本の中に、柳さんが司馬さんの家を訪ねることとなった時のエピソードが綴られています。

 「酔って候」を含むファースト・アルバムが完成して、発売日まであと2~3日という時期に、大問題が起きました。「酔って候」というタイトルは、司馬さんの小説のタイトルをそのまま使っていたのに、司馬さんの了承を得ていなかったのです。著作権の問題です。スタッフの人が、すぐに司馬さんに電話を入れたのですが、使用することを断られてしまいます。このままでは、このアルバムはオクラ入りとなってしまいます。大変な事態です。

 柳さんは、「使用が認められるかどうかは分からないが、俺が直接司馬さんのお宅に伺ってみよう」と思い、その翌日司馬さんのお宅に伺いました。

 柳さんは、「玄関払いされるかもしれない」と思いながらも、司馬さんのお宅に向かう新幹線の中で「あの司馬さんに会える」と思い、舞い上がっていたそうです。

 玄関の外でしばらく待たされた後、家の人から「とにかくお入りください」と言われ、応接間で待っていました。柳さんは、「司馬さんの小説のタイトルを無断で使って、しかも、約束も取らないで家に押し掛けた俺を、応接間に通してもてなしてくれたんだ。もうそれだけで十分だ」と思ったそうです。

 程なくして、司馬さんが和服で現れました。白髪がまぶしい。神様に会うような気持で見たその人が、とてもおだやかなしゃべり方をするごく普通の人なのに驚いて、「人間が違う」と感じたそうです。

 事情を説明すると、司馬さんは「僕はかまわないんですけど、僕に直接聞かれた場合、ダメだという返事しかできないんですよね」と言いました。

 やっぱりダメかと思ってボーッとしていると、司馬さんが聞いてきたそうです。「ところでどんなレコードなの?」。

 持ってきたレコードを手渡すと、司馬さんは歌詞カードを取り出して、しばらくジッと見つめていて、「いい詞ですね。他の英語の詞も柳クンが書いたの?」と聞きました。「ハ、ハイ」と答えると、「この「酔って候」という曲はどんな曲なのかな?」と言います。

 そこで、持ってきたカセットテープで聴いてもらいました。柳さんは「これでもうダメだ。俺の作ったのはロックなので、世代が違う司馬さんには分かってもらえないだろう」と思いました。

 司馬さんは、曲を聴きながら「ほーう、ロックですか。なかなかいい曲ですね」と言いました。予想外の言葉でした。

 そして、続けて言いました。「タイトルを使うのは、ほんとはあまり良くないんだけどね。今日は、柳クンがわざわざ出向いてくれたことだし・・いいでしょう。あまり売れないことを望むけどね。ハハハ」。やさしい言い方でした。

 ほーっと緊張感が抜けていく。柳さんは、思わず、何度も読み返してぶ厚くなっている「竜馬がゆく」を取り出して、「この本にサインをしていただけませんか?」とお願いしてしまいました。

 司馬さんは「ちょっと待って」と言って、静かに墨をすり、表紙の裏に大きくサインをし、その下に小さな赤い印まで押してくれたそうです。

 その本を柳さんに返しながら、司馬さんは言ったそうです。「柳クン、僕にはサインしてくれないの?」。

 まだ無名の俺に・・・。柳さんは、何かジーンと胸が熱くなってしまったそうです。

 

 

 

※ ツイッターに画像を投稿しました(2022.8.28)。

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